バカボンのパパはなぜ・・・
・・・天才なのか、という本。
3年前に、塾の国語講師を始めたとき、出会ったのが「齋藤メソッド」で知られている、齋藤 孝さんの「声に出して読みたい日本語」と「理想の国語教科書」であった。最近はまた図書館で齋藤さんの本を拾い出しては読んでいたのだが、今朝、市立図書館のホームページに行ったら、この本が引っかかった。まさかの齋藤さんの漫画評論!?
前回「中学生の頃の将来の夢は噺家だった」と書いたが、小学校高学年の頃の、私の将来の夢は漫画家だったのである。今はそれほど漫画は読まないが、夏目房之助さんの漫画評論はかなり好きで買い込んでいるし、テレビを見る時間より、まだ漫画に親しむ時間の方が長いし、塾の生徒にも「本は読まなくてもせめて漫画は読みなさい」と云っている。しかも、この「題名のインパクト」ときたら! ましてや、この本、うちの最寄りの学習センターに在庫中、というのだから、これはもう「本が呼んだ」としか云いようがない。
じつはほかに色々こなさなくてはいけない用事もあるのだが、いても立ってもいられず、さっそく出かけてまんまと借り出した。いままでとは違った、齋藤さんの一面を見せてもらったようで、自分の状況に照らし合わせてなるほどと共感しつつ、部屋で一人で爆笑しまくったあげく、先ほど読破。これはうちの書棚にも加えるべし、と決意して、先ほどネットショッピングで注文してしまいました。
ある塾生が「三澤の講義はクドイ」と云ってきたそうである。
確かに自分でも、そうだろうと納得できる。それを聞いたのが昨日の夕方。それからずっと「講義をクドくなくするには・・・」と考えていたが、結論として、どうもこれは直しようがない、食い物も飲み物も、クドイ味のものが好きだし、落語もクドイくらいに繰り返しの多いの(寿限無とか牛ほめとか金明竹とかあくび指南とか)が好きだし、「クドくて嫌われる」とご自身が書いている、橋本 治さんの作品が好きだし、古いクルマや10年選手のMacに固執するのもそれだし、そもそも自分自身が不器用で、あることを修得するのに山ほど繰り返さなければできるようにならないから、自分に教え込むのと同じように彼らに押しつけている感じもするし、だいたいがこんなことをつらつら考えてブログに書き込んでいること自体そうだし、自分の遺伝子自体がクドくできているんだからしょうがない、と、腹をくくったところである(以上言語化に要した時間まる一日・・・苦笑)。でも、クドイ講義がウケないなら、どうすりゃいいのか。
十年ほど前の漫画に「ソムリエ」というのがあり、稲垣吾郎さん主演でドラマにもなったが、そのなかにヒントがありそうである。主人公のジョーがフランスでチーフをしていたレストランの評判が落ちているという。シェフの「古典的フランス料理」がクドイ、というわけだ。で、ジョーは、シェフの味を守りつつ、お客にもウケる方法を編み出す、という件(くだり)がある。それをこれから読み直そうかと思う。
あとは、「バカボンの・・・」の中で、齋藤さんの云っていた「型にしてしまう」のも手かな。私の大好きだった柳昇師の「わたくしはぁ、春風亭柳昇といいまして、大きなことを言うようですが、“しんぷーてーりゅーしょー”といえば、我が国では、・・・」が、毎度のセリフなのに、いつ聞いても、なんだか、どうしても笑ってしまうように。
しっかし、今回のこの文も、まぁ、クドイこと。
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