« タケノコをゆでるうた | トップページ | バカボンのパパはなぜ・・・ »

2007年5月26日 (土)

わが「人生を変えた」本との再会

 定かな記憶ではないが、小学校五年生の頃であったと思われる。
 当時から、月に数回は、市立の図書館に入り浸っていた。鉄道少年であった私は、専らその手の本を漁り、借りまくっていたのである。年中しょっちゅう似たような本、同じような本ばかり借りてくるものだから、親も少々呆れて、ある日「たまには他の本棚からも借りてきなさい」というようなお叱言をたまわったようである。そこは素直なもので、「ああなるほど」と、いつもは目もくれなかった本棚を眺めて歩くことにした。
 目に飛び込んできたのは、割と分厚く、上のオレンジ、中の白、下の緑のグラデーションに彩られ、背には太く、黒々と奇抜なタイトルが躍っている本たちであった。
「首ちょうちん」「お化け長屋」「死に神」「ろくろっ首」「まんじゅうこわい」……。
 同じ頃、本屋で「心霊写真」の本をゾクゾクしながら立ち読みしていた思い出もある。ホラーなタイトルに「その手の本なのか?」と思いつつ、手に取ったのかもしれない。
 開いてチラッと読んでみる。
 ……なんだ、コリャ!
 先入観は見事に打ち砕かれた。「怖い本」ではなく、「落語」の本だったのだ。
 それまでも、笑い話やとんち話は好きであったが、ボリュームのあるストーリーになっているものは初体験で、その場ですっかり魅了されてしまったのであった。
 借りて帰って、読んでゲラゲラ笑っている私を、親も不思議に思ったのであろう。借りてきた本を音読してみよ、という。そこで「牛ほめ」を、爆笑しつつ読んだのを、はっきり憶えている。
 以後、私はこの「偕成社・少年少女名作落語」シリーズ全十二巻を、爆笑のうちに読破したのを手始めに、その隣に並んでいた先代の燕路師による「子ども寄席」はもちろん、大人の本のコーナーにあった興津要氏「古典落語」へ・・・と、触手を広げていった。
 「演じられる落語」にはまったのは、中学生になり、ラジオ少年になってからである。ラジオの演芸番組はすべからく網羅してエアチェック(・・・今や死語)しまくった。その頃のカセットコレクションが今でも段ボールひと箱ある。そして中学二年生のとき、学校になんと「落語クラブ」ができた。もちろんそれに参加した。文化祭では、上級生を差し置いて「金明竹」で高座を務めた。スポットライトのまぶしさ、熱さを今でも思い出す。
 進学する高校を決めるとき、決め手になったのがやはり「落語」である。たまたま家からほど近い高校に「落語研究部」があったのだ。中学の落語クラブの先輩もそこに進学していたし、学力も相応であったから、迷わなかった。
 ところが、いざ行ってみると高校の「落研」、すでに廃部寸前だったのである。私を入れてメンバー二名というていたらくで、私の在学中はなんとか維持したが、結局私の卒業とともにクラブはお仕舞いになり、私自身の落語熱もすっかり冷めてしまった。この「落研」が盛んであったら、私は恐らくプロの道を目指していたであろう。残念ながらというか、幸いといおうか、そういうことにはならなかった。そんなこともあって、「ホール落語」ではない、ほんものの「寄席」に初めて足を運ぶのは、つい四年前、落語と出会ってからもう四半世紀の刻が流れた後のことになる。
 ただ、それから自分の歩んできた三十年を振り返るにつけ、「落語」の影がいかに大きかったか。「落研」ゆえに進学した高校だったが、そこで出会った友人との関係から「生物部」に入部(落研と掛け持ち。「理科少年」でもあったのだ)、その流れで進学する大学も決めた。もちろん国語(古文漢文)は得意分野であった。さらに、今福島で塾講師をしているが、塾頭との出会いも、高校時代の親友の紹介によるものである。塾頭が私を国語講師として福島に呼んでくれたのも、私が落語、古典落語におおいに馴染んでいることを知ってくれていたからということもある。
 この春、塾で小学校五年生の男の子を二人、受け持つことになった。前々から毎回の国語の授業で「音読」「暗誦」を採り入れたいと思っているのだが、ネタ選びがなかなか苦しい。もちろん「落語」も候補のひとつで、図書館で子ども向きの落語の本を一通り漁ってみたりもした。五百ばなしの圓窓師、笑点でおなじみの木久蔵師(こんど木久扇-きくおう-に改名される)の本などが並んでいる。しかし、どうも、自分にはいまひとつしっくりこないのである。「あの本」のインパクトが強烈に身にしみているせいか。
 ネットで調べたら、ありました、「あの本」。福島市立図書館に蔵されていることがわかったので、係のお姉さんの手をわずらわせて、普段は書庫で眠りについている「首ちょうちん」と「目黒のさんま」にお呼び出しをかける。……出てきました、さすがに三十年の時を経て、ちょっとくすんでいるけれど、まさしく少年の頃の私にインパクトをあたえてくれた「あの本」たち。
 改めて見れば、感心することしきり。活字は思いのほか小さい。ただし、ほぼ総ルビになっているので、小学生にも読みこなせる。著者の諸先生方が、当時第一線の放送・演芸作家の方々ということもあって、本文は気っぷのよい「江戸弁」にあふれ、小学生にはなじみのない言葉も少なくないけれど、リズムに乗って気持ちよく読ませてくれる。若菜珪氏の挿絵も流麗で楽しい。各々の噺のあとにはその噺の解説が付き、「落ち」の種類の説明もある。巻末には「マクラ」で使う小咄数点が掲載されているのもうれしく、江戸の風物や、落語の成立についての解説文(「落語について」という文は、かの百人一首の研究などでも知られる国文学者、池田彌三郎氏の筆である)が附されている。落語に関する本は数あるけれど、「入門書」として、これだけ豊かで親切な内容の本はなかなかなさそうだ。
 長らくDTPに携わってきた経験から、「表紙・カバーのインパクト」にも注意が向く。ぱっと目を引く派手な地色に太く黒々としたタイトルを配した、厚みのある背には、ほかの本を圧倒する力を感じる。「書名」の選びかたも、収録演題中の最もよく知られたものではなく、あえてホラー的だったり不思議な言い回しのものを主体にし、「おや!?」と思わせ、中身でガラリとひっくり返すという秀逸さ。加えて、小学校低学年でもわかる漢字+かなと単語の組み合わせが効いている。同じデザインでも「寿限無」より「目黒のさんま」、「長屋の花見」より「首ちょうちん」のほうが、「何だ、コレ?」と興味をかき立て、取っつきやすい感じを与える効果は大きいであろう。
 (余談だが、このカバーの色、上がオレンジ、下が緑は、いわゆる「湘南色(東海道線や首都圏の東北線、高崎線の電車の塗色)」だから、鉄道少年であった私にとっては、余計目を引く色だったのではないかと思われる)
 現在でも、第七巻「目黒のさんま(「寿限無」も収録)」だけは、一般書店で手に入るようだが、他は残念ながら絶版。長引く出版不況の時勢に加え、注意して読むと、いわゆる「差別的用語」が使われているところもあり、なかなか困難かもしれないが、少々形を変えてでも、復刊を望みたい。ただ、もし実現するなら、「背のインパクト」は、必ず引き継いでほしいものである。
---
 投稿日は5月26日ですが、これを書いたのは5月20日の日曜日でした。その日、私が尊敬していた「出札口」で一世を風靡した三遊亭右女助師が逝去されました。合掌。

| |

« タケノコをゆでるうた | トップページ | バカボンのパパはなぜ・・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: わが「人生を変えた」本との再会:

» 旅立ちの日楽譜 [旅立ちの日楽譜]
旅立ちの日の楽譜は、誰の心にも残る珠玉の卒業ソングを集めた楽譜集です。旅立ちの日の楽譜で、旅たちの日に聞いた曲を演奏すれば旅だちの日の思い出があふれてくるでしょう♪ [続きを読む]

受信: 2007年5月26日 (土) 09時32分

» 塾の特色! [野田塾ってどう?]
高校入試のボーダー公開を見てみると、カテゴリとして、愛知県の各地区ごとに分けられていて [続きを読む]

受信: 2007年5月26日 (土) 13時18分

« タケノコをゆでるうた | トップページ | バカボンのパパはなぜ・・・ »