町内会長などやっていると、市役所からうちにいろいろなものが届く。先日、そのなかに、今日7月1日の「福島市制100周年記念記念式典」の案内状があった。こんな機会はおそらく二度とないだろうから、出席してみることにして、100周年記念100円バスに乗って、公会堂に行ってきた。
出席するにあたっては、ひとつ楽しみがあった。席上発表される「福島市制100周年記念讃歌・市民のうた」の、DTP組版の仕事をさせてもらっていたのである。出ればきっと、自分の仕事の完成品がもらえるだろうし、なにより職場のディスプレイの前に座り、いつも頭の中で想像していた曲を、いの一番に生で聴けるのである。
合唱団で出会った両親のもとに生まれ、子どもの頃ピアノを習い、長じては「DTMがしたくてMacを買った」私は、楽譜にはちょっとこだわりがある。まずは、五線譜を読み慣れた人に笑われないものにしたい、そして、なにより演奏する人たちが読みやすいものにしたい・・・。そのためにずいぶん神経を使った。
職場に「楽譜組みアプリケーション」などなく、まずはフリーで使えてDTP出力ができるソフト探しから始めた。しかしフリーソフトはやっぱりそれなりのもので、私のこだわりを再現するのは困難なように思えた。おまけに、扱ったことのないアプリの操作も習得しなければいけない。結局フリーアプリ利用はあきらめ、楽譜用フォントだけを使って「手書きとほとんど変わらないんじゃない?」という手間に泣きながら、イラストレータで組み上げた。伴奏付、伴奏無、式典パンフレット用・・・と、大きさも体裁も異なるものを3種類。周りから見たら「凝りすぎ」で「時間をかけすぎ」に見えたことであろうが、私のこだわりはDNAに刷り込まれているようなものだから、どうしようもない。
ただ、面倒を極めたものの、脳の聴覚野で音を奏でながらの作業は、一面、時間を忘れるほど楽しいものでもあった。おかげでその間、ほかの仕事は放っぽらかしになってしまったが・・・。同僚の皆さん、ごめんなさい。
式典第一部の最後、いわゆる「中締め」が『ふくしまをてのなかに』の発表である。作詞の和合さんのインタビューの間に、舞台に東高校吹奏楽部、コーラス各団体の面々が揃い、指揮者の先生登壇。タクトが振り下ろされて、演奏が始まった、その瞬間。
・・・私は胸がいっぱいになり、眼がポワ〜と熱くなった。
舞台上の皆さんの、私の組んだ楽譜で練習してきた成果が目の前に繰り広げられている、という達成感といおうか、いつもひとりで頭の中で歌っていた音が、豊かなふくらみをもって目の前に展開された一種の共有感というか・・・。
私のやったことといえば、楽譜の組版という、末端でしかも小さなものでしかない。それでも、自分の技術と知識−−それはとりもなおさず自分の生まれてからこれまでのすべての経験の積み重ねだ−−を目一杯投入した結果が、周りのたくさんの人たちの手を経てひとつの大きな作品となり、私を、それを見せて、聞かせてくれる晴れの場に招いてくれたようであった。和合さんは、初めて完成した曲を聴いたとき鳥肌が立った、とおっしゃっていたが、私は自分の仕事の小ささも忘れて、かなり大げさに感激してしまったのである。
わが国日本の「モノ作り」の危機が叫ばれて久しい。そんな中で、よい製品を世の中に送り出すべく奮闘努力している町工場の社長さんや後継者の方々のインタビューを、このごろよくラジオで耳にする。彼らは一様に「自分の製品が世の中の皆さんに受け入れられて、喜ばれているのを見ることが一番のやりがいだ、ただ、会社の名前は誰も知らないけれど」と口にする。名前が知られていなくても仕事の成果が残る、広まるというのは、モノ作り冥利に尽きることであろう。DTPオペレータという仕事も、至って地味なもので、まず作業者の名前が残ることなどはない。しかし仕事の結果は、ものによっては日本国が続くかぎり残る。今回、いろいろな偶然が重なって、福島市の100周年という大きな節目、わが国屈指の作曲家・古関祐而の出身地で、音楽というジャンルにおいて、私はひとつの「DTP仕事」ができた。そしてそれは、福島市がこの世にあるかぎり残っていく。これは私にとって大きな喜びであり、誇りである。
ともかくも、私にこのような喜び、誇りを与えてくれた多くの方々(山川印刷所で仕事を任せてくれている皆さん、町内会長を任せてくれている団地の皆さん、福島に呼んでくれた塾頭、DTP技術を鍛えてくれた諸々の皆さん、Macを薦めてくれた友人、音楽に親しむ習慣を与えてくれた両親、ピアノの先生、そして私を今まで支えてくれた方々、今も支えてくれている方みんな)に、感謝したい気持ちでいっぱいである。
今日の「引き出物」に入っていた『ふくしまをてのなかに』の冊子は、一生の宝物になるだろう。
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