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2008年6月17日 (火)

お江戸でござる

世界人類を取り巻く状況がどうであれ、何だかんだ、現代日本は、いまだ「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」を享受しているようだ。
繁華街での猟奇殺人。
二の腕に「○○命」と、花魁(おいらん)の名の彫り物をした田舎者が、吉原で百人斬り、というのは、まるで芝居の定番ネタ。
大天災も、官僚の横暴も、江戸の芝居には全て取り入れられている。
芝居小舎は、それを真に逼って観客に訴え、客はその気にさせられてしまうのだ(それはそれで大事なのだが)…。
一方、そういったモヤモヤを笑い飛ばしてしまう文化も江戸にはあった。それが「寄席」である。
徳川開府400年とあって、江戸時代礼賛の気分が世間にある。しかし、その影には数知れない暗部があったはずなのだ。
但し、江戸にはちゃんとガス抜きシステムがあって、だから260年保ったのである。その一つが「寄席」であり、「落語」であろう。
落語には、閉塞感を緩和してくれる力がある。だからこそ、今、たいへんなブームになっているのだろう。
反面、それに捉われてしまうと…、上方の枝雀師や東京の三木助師の如く、芸の質を保つ緊張のあまり、自ら命を断つような、深刻なことにならないとも限らないが。
むずかしぃなぁ!
ただ、秋葉であの事件を起こした彼が「萌」ではなく「噺」をもう少し知っていたら、ああいうことにはならなかったべなぁ、と思うばかりである。
「破壊された顔」は、たった二秒で七人殺すより、時代の寵児になるどころか、自分の命が尽きた後まで、何百万人をも笑わす力があるのに。……もったいない。

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