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2008年8月27日 (水)

くだものの郷にて

朝飯抜き、簡便な昼食、間食はせず、夕餉イコール晩酌、という生活が長いから、どうしても買い出しの時にくだものに手が伸びない。しかし決して嫌いなわけではない。
昨日の帰宅途上、車で福島盆地の等高線に沿った道を走っていたら、もう桃は終わって、すっかり梨のシーズンになっている。丸々として、ザラリとした「ありの実」の姿を思い浮べたら、むしょうに食べたくなった。しかし、こんな山の中の道でも、山裾にかなりの工業団地があるせいか、往来はそこそこにある。梨の看板に気をとられて事故ってもつまらないので、昨日はあきらめて帰宅した。
明けて今日。お盆が明けてから初めての、雨にたたられなさそうな日であった。二週間放って置かれてご機嫌斜めのバイクを何とか叩き起こし、勇躍出社。
帰りはちょっと遠回りだが、あえて昨日の帰途をとる。軒並み「幸水300円」の唯中、あった、あった、ありました、200円の店! すぐさまバイクを止めて、よさそうなのを選んでゲット。車だと、なかなかそうはできない(平気でウインカーもろくに出さず、しかも交差点にアクセル全開+フルブレーキで勢い良くツン出てくる、この辺の地元のドライバーなら、平気でやるのでしょうが)。
お酒をたらふく飲ったあとは、とにかくそのまま布団に潜り込みたい……それで余計にくだものを食べようという気が起こらなくなる、と、かねて気付いていたので、今日はそれを逆手にとる作戦。すなわち、夕食の調理にかかる前に、梨の支度をしてしまうのである。これはナイス選択であった。腹八分で「もう少し!」と思う頃、ちょうど好く冷えて、すぐつまめる梨が冷蔵庫に納まっている、という寸法だ。
……そして、今宵はすっかり堪能した。
まだまだ梨のシーズンは続く。季節が移ると、梨の品種も代わる。また異なる味わいが楽しみだ。そして、梨が終われば柿である。ぴかぴかの「おつかいもの」になりそうな柿も悪くはないけれども、庭先の放ったらかしの木に生ったような、黒い筋だらけで、なりが小さいくせに種ばかり大きなやつの、秋の夕暮れの如き淡い甘さは捨てがたい。
農家の「庭先100円ショップ」探索が楽しみな季節が、またやってくる。

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2008年8月19日 (火)

豆腐なめ小僧

という妖怪がいるそうだが、私はひょっとするとその生まれ変わりかもしれない。我が食卓には、温暖な季節には冷奴、寒冷な頃合には湯豆腐もしくは豆腐メインの鍋物が欠かせない。今の福島はちょうど茗荷が旬で、安く大量に手に入るから、冷奴の薬味というより、刻み茗荷の台座に豆腐が置いてあるくらいの勢いの一品が、毎晩酌の友である。かつてパーソナル無線をやっていた頃には「冷奴」というハンドルネームを名乗っていた。自らの豆腐好きと、白くて丸っこいざる豆腐のような愛車のスタイルから思いついたハンドルであった。
この夏に帰京した際、神田の古書店街を歩いてきた。目当てにしていた本は見つからなかったのだが、やはり私を「呼んでいた」本があった。その名も「新撰・豆腐百珍(林春隆著/文春文庫)」。豆腐料理のレシピをメインに、豆腐の歴史や、豆腐にまつわる粋な話がちりばめられていて、豆腐と歴史と江戸情緒が大好きな私の趣味を、存分にくすぐってくれる本である。
これを読んでいて気が付いた。古の朝廷では、豆腐を「おかべ」と呼んでいた(「お壁」の意。白くて四角いから)のだが、振り返ってみれば、今自分は「福島市オカベ」に住んでいるのだ……。よほど豆腐に縁があるようだ。

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2008年8月13日 (水)

桜観光バス

帰京の際に愛用している、格安高速バスである。
休憩時間に、バスの脇で一服していて、ボディサイドの「桜(この車は『もにわざくら』号)」の絵が、手描きなのを発見。感心して運転士さんに聞いたら、平成8年式までは手描きだったが、描いてくれていた職人さんが他界されて、それ以降はカッティングシートになっているそうな。貴重な職人芸だと感心したのだが、今や再現できないのである。
そういう「芸」を追い詰める片棒担ぎのような仕事をしている自分だが、惜しいことだと思うのは、ムシが良すぎるか……。

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2008年8月 6日 (水)

冷房

うちにはエアコンがない。東京郊外のわが実家にもエアコンはない。福島にはエアコンのない家がまだちらほらあるが、郊外といえど東京都でエアコンの無い家は、今や天然記念物に値するかもしれない。
そもそも「日本の夏」は、東アジア、そして地球上でも有数の蒸し暑いものなのである。松尾芭蕉は江戸の熱帯夜が堪え難いがゆえに、奥の細道の旅に出た(のではないかと思われる…)。兼好法師は徒然草で「家は夏を旨とすべし(夏を基準にしてつくりなさい)」と云ったし、紫式部や清少納言は、そんな「風通しのいい屋敷」に住んでいたので、冬場は着物を十二枚も重ね着してしのいでいた。10円玉の裏の「平等院鳳凰堂」だって、襖や障子を総て外してしまえば、会津喜多方の「長床」と変わらない吹き曝しである。さらに云えば、かの「長床」だって、あれだけ冬の寒雪が厳しいところにもかかわらず、見事な吹き曝しなのである。
然るに、1980年頃から、日本の住居と公共交通は「エアコンありき」になってしまった。
住居について云えば、設計上ネックになる「水まわり」を狭い範囲に集中できる上、集合住宅に暮らしていると何かと気になる「上下左右の水音」をシャットアウトするのが容易になる。勢い、湿気抜きや風通しを二の次にした設計が罷り通り、しかも好評を博したわけだ。
日本で最初に窓の開かない通勤電車を入れたのは、北総線であった。当時は驚いたものだが、今ではJRの「走るンです」のおかげで、当たり前になった(最近のは少し開くようにしてあるが)。
列車に冷房がついていなかった頃は、窓の全開する車両がかなりあった。国鉄101,103,111,113,115系、キハ20系後期型などの通勤・近郊型、西武の旧501後期型〜101前期型、などなど。私が学生時代に、青春18きっぷで旅をしていた頃は、ローカル区間になると窓をスカっと全開して、おもむろにタバコをくゆらしつつ、車窓の風景を愛でたものである。これを楽しめない今の学生諸君が哀れだ。ただ、当時の列車のトイレは垂れ流しだったから、事前に進行方向前方にトイレが無いかのチェックを欠かせなかったが。
最近のマンション・アパートなどで、風通しを売り文句にうたうところも増えてきたが、風呂場、便所に台所の全てが窓に面しているのはほぼ皆無である。却ってエアコンが未だ「普通の家電品」でなかった頃、1970年代までに建てられた物件は、兼好法師の教えが生きている。だから、この資源高の中、集合住宅に住むなら、築年を経た、ボロい所に限る(笑)。
進化ばかりが進歩ではない。三歩あるいて二歩下がる、でも、トータルで一歩前進。
ご近所の炊事洗濯、廁、風呂などの水音、また、ほのかに石鹸の香などきこゆるもいとつきづきし。これでいいのだ!

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