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2008年11月16日 (日)

落語再デビュー

 福島に移住してから、実はずっとやってみたいことがあった。それは「落語」。
 以前の回で書いたことだが、小学校高学年の時、図書館で落語の本に出合ってすっかりハマり、たまたま中学2年の時に学校に「落研」ができ、それから高校にかけて「落語研究部」に属していて、文化祭ではいつも高座に上がっていたのである。進学する高校を決めたのも、家から適当な距離で学力相応ということもあったが、最大の要因は、高校としては珍しい「落研」があった、ということ。順調に行けば、そのままプロに(弟子入りしたい師匠の候補も何人か考えていたくらい)・・・というほどの入れ込みよう。ところが悲しいことに高校の落研は、一級上の先輩一人、私一人という、廃部寸前の所帯(星野さん、元気かな?)。また、落研と同時に同じ文化部の生物部、さらに文化祭の時だけの特別サークル、SPTなる団体(スライドでアニメ的な作品を制作して発表していた)を掛け持ちし、興味が色々な方向へ拡散したあおりで「落語」へのモチベーションが下がってしまい、それっきりになってしまった。
 福島移住最初の年、2004年に、街中の「チェンバ大町」でミニFM局をやることになり、企画案のなかに「寄席番組」があった。私だけでなく、塾とFMのボスであるタンドー氏がかなりの落語好きなこと、放送業界で云う所の「完パケ番組」として、スタッフの休み時間にも使えることで話が進んだ。FM開局直前に「うつくしま芸人会」のテルサ寄席があって、観覧しに行った所が、師匠連の話芸のレベルの高いこと・・・。そこで、事務局のややまひろしさんに掛け合って、テルサ寄席の音源を提供していただき「ふくしま平成ラジオ寄席」として、約1年間、放送させていただいた。そんな縁もあり、毎年秋のテルサ寄席には、ささやかな差し入れを持参して楽屋を訪問するのが、私の年中行事になっていたのである。
 「芸人会に参加したいな〜」という思いは、最初の年からあった。しかし、なにせ塾講師と印刷所、「経験の少ない慣れない仕事」と「経験はあるが慣れない会社での仕事」をふたつ掛け持ちしていた上に、昨年は町内会長まで引き受けていたから、まさかそんな余裕などあるはずがなかった。
 今年になって仕事を1本に絞り、町内会長も3月で任期を終えたので、ようやく余裕が出来てきた。そこで、今年のテルサ寄席(今年から昼席になった)を観覧に行ったら、ややまさんに「ま〜ぜ〜て!」と云おうと心に決め、公演がハネたあとにその旨お伝えした。すると、今「ふくしま素人落語の会」というのがあって、そちらにまず参加して芸を見せてほしい、中心になって活動しているのが、遊印ショップ「みい工房」の川越さん(高座名・みそ家笑遊さん)だから、まずはそちらに行ってみたら、とのお言葉。「みい公房」さんは、私たちのFMが終わったあとのスペースで1年間お店をやっていた、という、不思議な縁。
 参加するとなると、高座名を決めないと仕方がない。実は1年ほど前から、決めたのとは別の名を用意はしてあったのだが、漢字の読み方の難しい名前で、どうしようか再び悩む。なんにしろ自分の身の上を織り込んだ名前にしたい。9月30日、通勤途上で思いついたのが「とんぼ」。これは、印刷物をつくるときに不可欠なもの。紙の端の印刷が切れないように大体3mm幅の「裁ち落とし」というのをこれでつけるところから、亭号は「裁落亭」。「とんぼ」は製品になる時に切り捨てられてしまうものなので、一般の人が目にすることは滅多にない。印刷製品となる「版面(はんづら)」がプロの噺家さんならば、自分はその外側にいるアマチュアである、というのは後で考えた理屈。数日過ぎて、ネットのニュースを見ていたら「とんぼ」という文字が躍っていて驚く。今シーズンで引退したオリックス・清原選手のテーマ曲で、引退試合に長渕剛さんが来て、スタンドでファンとともに大合唱をしたというのだ。野球はほとんど門外漢なので、清原選手のテーマが「とんぼ」とは全く知らなかった。というわけで、タイムリーなようで、全く関係のない名前である。決めるに当たって、プロの噺家さんで「とんぼ」を名乗っている方がいないか確認した所、上方に「桂都んぼ」さんと云う方がいらして、結構活躍されているとのこと。まぁこちらはアマチュアだし、亭号は違うし表記もひらがな(都んぼさんの前名はひらがな表記の「とんぼ」なのだが)だし、印刷業界の人がこの高座名を見ればニンマリしてくれるだろうし、もし万々が一クレームでもつくようなら、新しい名前を考えればいいや、と高をくくってこれに決めてしまった。
 笑遊さんとはトントン拍子に話が進み、12月の23日天皇誕生日、福島県文化センター視聴覚室で開催の「第8回・信夫の麓寄席」に出演できることになった。10月に入ってからは通勤途上で稽古に励む毎日。着物や高座扇一式は持っていなかったが、チェンバ第一期の同期生、新町の「ちんがら屋」富田さんに注文。さらには「素人落語の会」事務局の新井田さんという方が、毎年わが印刷所へ年賀状(写真入り)を注文してくれていて、先方はもちろんご存じないがこちらはよ〜く存じ上げている、というこれまた不思議な巡り合わせ。風が吹けば桶屋が儲かるの伝だが、そもそも「落語」で決めた進学先で出会った親友にタンドー氏を紹介され、タンドー氏の引きで福島に移住し、その関係でうつくしま芸人会さんとつながりが出来てふたたび落語に目覚め、チェンバ関係をはじめいろいろな方々にお世話になりながらの、この度の落語再デビューである。先日、東証株価が24年ぶりの安値を付けたと大騒ぎであったが、自分も巡りめぐって24年ぶりに「素人落語家」に戻るわけで、どうも何だか面白い運命ではありますな。
 ところで、今回の記事もそうだが、話をさせると「長い! くどい!」と今までさんざ不評を買っておりますので、高座での噺は簡潔を旨にしたいと思っております。また、最初飛ばしすぎてあとが続かなくなるのが私の悪い性分。素人とはいえお客様あっての噺家ですから精進はしますが、あまり肩に力が入りすぎないように気を付けて、永く続けられればと思います。どうぞよろしくおつきあいのほどを願っておきます。

アルバムをひっくり返したらこんなものが出てきました。

Kinmeitiku
1980年秋、当時中学2年生、学校の文化祭で「金明竹」を演じたときのわたくし。クラブ内では「真打格」だったので、生意気にも羽織を着ております。上座から口をとんがらかしているところは、おそらく前半、旦那の叱言のシーンか。演目は記憶にあるものの、高座名も出ばやしも何にしたか忘れてしまった。それにしても、なんと髪の豊かなこと・・・

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