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2009年5月31日 (日)

烏、何故鳴くの

明日、6月1日は、私の福島移住5周年記念日。そして、それまでいた会社に就職をした、10年目の記念日でもある。
その会社の社長、元気かな〜と思って、電話をしてみた。そしたら、元気そうな声で、電話に出てくれた。
当時、私が入ったのは、某凸版(“某”は余分か…爆)の下請会社。ところが、社長曰く、この所の出版不況で、会社、閉めちゃったとのこと。
で、今、何をしているか、というと…
「烏」を、森に帰そう、ということに、熱中しているそうなのだ。
ところが「都市化」した烏は、なかなか森へ帰ろうとしてくれなくて、随分苦心しているらしい……。
そんな「烏との交流」を理解できない人たちから、怪しい人と思われて、マンションの屋上で、烏たちとのやり取りがあったあと、地べたへ降りてくると、職務質問まではされないものの、自転車に乗った警察官の視線を感じることもたびたび、なのだそうだ。
……しかし、私が附いた人って、何だかみんな突飛なことをしてくれる。人の子供の指導の次は、烏かいな! そして、それにちょっと乗り気な自分が、可笑しいのだけど。

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2009年5月29日 (金)

レゲエが鳴ってる

レゲエが鳴ってる
酒は過ぎれば身を滅ぼす。わかっちゃいるけどやめられない。
だから今日の一本はコレ。ジャマイカ産の「マイヤーズ・ラム」。

昔、一緒に仕事をしていた仲間に、レゲエ大好きな奴がいて、彼のクルマに乗せてもらうと、いつもボブ・マーリーがかかってた。目を上げればジャマイカの、ラスタ・カラーの旗。

マイヤーズを一口含んで薫りを味わったら、そんな光景がはっきり見え、耳の奥では、あの独特な声で、リズムで、ボブ・マーリーが歌いだした。

お〜い、ニシダくんよ、元気にしてっかい?

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2009年5月24日 (日)

よ〜っしゃ、リセットだ!

 久しぶりの土日連休。前回の土曜日休みは・・・。なにしろ、あんなことがあって・・・。おまけにこのところ日曜になると、天気が良くなかったし。
 連休中にやろうと思っていたことが何もできずに、今週末。昨日の土曜日は、ほとんど泥になって過ごしてしまった。しかし、座って見回せば、前回の元気寄席が終わってずいぶん経つのに、衣装は衣紋掛けに掛けっぱなし、寝床は万年床状態、座敷のタタミはホコリだらけ、とにかく部屋の状態がひどすぎる。まずは掃除だ!
 布団を上げてベランダに干し、座敷一面掃除機を掛ける。きれいになったら、着物と襦袢を畳んで、タンスの定位置に。ついでにシワくちゃの礼服ズボンにアイロンをかけて、これも定位置に。
 洗濯のローテーションも狂ってしまった。物干しに掛けっぱなしの諸々は、畳んで所定の抽斗へ。長袖シャツはそろそろ着ないから、半袖とチェンジ。そうは溜まってはいなかったけれど、洗濯を済ます。その間に、便所掃除。布団を取り込み、押入に収納して、洗濯物を干す。半曇りだけど、今日は風が強くなくていいや。
 家事一式が終わったら、バイクとクルマを洗ってやろう。
 バイクは福島に移住して以来、多分5年は洗ってやってない。春、冬眠から覚めさせた時なんかに、汚れが気になって、GSで雑巾を借りて拭っていたけれど・・・。最近「雨の日は乗らない」軟弱ライダーになってしまったこともあって、天水で自然にキレイになったりもしてくれない。家から階下へ、バケツで水を運ぶ。思わず♪み〜ずを〜、た〜くさ〜ん、く〜んで〜きて〜♪なんて鼻歌が出る。洗うこと一時間。さすがにこういうメンテをずっとしてあげていなかったから、ちょいちょいサビが目立つようになっちゃったなぁ。ゴメン、ゴメンと謝りながら、一時間かけて洗いあがり。仕上げに「タイヤ一発」をかけてやったら・・・。缶の取説に「スリップの恐れがあるので二輪車のタイヤには使わないこと」って書いてある。わ〜ッ、すでに遅し。仕方がない、コーナリングの時は細心の注意を払うようにしよう(^^;)。
 それが終わったら、今度はクルマだ。わがコルサ号、一昨年の夏に福島に連れてきて以来、洗った記憶が一回しかない。ステップ以来、すべてのクルマに付けている「Driving Note」を繰ってみたら、来た年の晩秋、スタッドレスに交換するついでに洗ってやったきり! それ以来、1年半放りっぱなし。なんてこったい(と、きっとコルサが言ってる)。うちの阿武隈川の対岸に、機械洗車でなんと100円のところがある。今日は「ワックス洗車」と「下回り洗浄」を奮発して、400円だ!(・・・って、そんな金額で威張るな!)
 キレイにボディを拭き取りして、車内に溜まったホコリもすっかり拭って、久しぶりにいい気持ち。ボンネットに飛び石傷が二つほどできていたので、それもタッチペンを買ってきて、塗ってやった。洗った当初はあんまりそうは見えなかったけれど、うちの駐車場に帰ってきたら、やっぱりピカピカ、輝きが違う。これで御歳16才なのだから、驚き。コルサの後継車種、ヴィッツなんかと並んでいても、さすがにデザインは「うわぁ〜、バブルの頃だなぁ」だが、それ以外に古ぼけた感じがない。それでも、これからやりくりして支払う税金は「割増」、おまけに「環境対応新車」に買い替えると、今なら25万円もらえるのだ。最近エアコンがちょっと調子が悪いけど、それ以外に不安材料はなにもなし。もちろん新車など、買う金もないし買うつもりもないので、まだまだ当分、宜しくお願いします、コルサくん。
 さあ、やるべきことはやった。あとはお出かけだ。市立図書館へ本返し・本借りに、買い出し。ひと月後に高座に掛ける噺の稽古も忘れずにね。
 近所のスーパーマルイチで「カツオの切り身6切入・398円」の半額シール、ゲット。これは、味噌を酒と味醂で溶いたのにショウガを加えた漬け床に漬ける。
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 これが、漬けた状態。・・・なに? カレーにしか見えないって? そりゃ失礼しました(^^;)。

 さて、もう一品。
 先週の日曜日に、団地の同じ階の家へ「元気寄席」のチラシを持っていった。そこのご主人が、実は落語が大好き、というのを、前回の元気寄席がハネて帰宅したところで、たまたま顔を合わせて知ったのであった。そこで、わが汚い自室へお招きして、飲みながらの「落語談義」と相成ったのである。ところがこれが落語談義に終わらず、ギターを持ち出してきて昔の歌を二人で歌いっこしてしまったりなんかして、大いに盛り上がっちゃったのだ。そのとき「つまみにして」と、いくらかの料理を戴いたのだが、そのお皿がまだ返せずにいる。でも、空で返すのも、なんだか無愛想なような気が・・・。で、家に在庫の「ヒジキ」を煮て、お返ししようと思い立った次第。それが、コレ。
Nec_0088

 ニンジンと、水煮大豆と、薩摩揚げの細切り、コンニャクの細切りを加えて、久々に作ったヒジキ煮。今、火を止めて、じっくり味を含ませているところ。これからさっと一風呂浴びて、さっぱりしたら、届けに行って来ようっと。

 部屋と、乗り物たちをキレイに掃除して、料理も作って、これで、リセット完了! 今夜も美味しくご飯とお酒をいただいて、明日からまた精一杯生きるぞ!

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2009年5月19日 (火)

夕方の買い出し

店の入口、八百屋さんのコーナー。ニラが5〜6把入った袋に「100円」の値札が付いていた。
「よ〜っしゃ! 今日はコレ、ゲットして、今夜はカロチン補給デーだ! それにしても、5把は多すぎだよ……。そうだ! オッサンと…………」


もう、シェア出来なくなっちゃったんだった。


もっと、もっと、美味いもの、一緒に味わいたかったんだけどな。

西会津名物の「にしんの山椒漬け」。この春、初めて漬けてみた。「こんなんじゃ、話にならん!」とか云って、メタメタにこきおろしながら、ヒントを与えて欲しかった。

お互い、酒が好きだったけど、「白飯の旨さ」「納豆の美味しさ」が解っていたし、もっと追求してみたかったな。

とにかくお互い貧乏だったから、その範囲内で目一杯楽しめる工夫をしてきたけれど……。せめて一度は、
「越の寒梅、持ってきたヨォ!」
「へ〜、奇遇だ! こっちにはね…、あ、止しとこ」
「え? 何すか、気味が悪ィなぁ」
「ま……、またと云うことで」
「……あぁ、そう。じゃ、寒梅はネ、私、持って帰って一人で飲ります」
「……………ん〜〜、ん〜〜〜〜!、ちょ〜っと待った! ココだけの話だよ……いいかい、何とロマネ・コンティが……」
「え〜、嘘ばっか……………………って、……!?マジ!?」
ってな、やり取り、してみたかった、かな。

タンドーさんとは、長いこと、一緒に「半額シール」を求めて止まない「同志」ではあった。だから、今、その遺志(つまらないものだけど)を引き継いで……、

ただ、いつも、食わせてもらってたかな。今思うと、オッサンは「食わない」のではなく「食えない」人だったのだ。(念のため。「食えない人」には、文字通りの意味、世間通用の慣用句の意味、双方を包含します)。自分の喰いたいものが、実は自身には過剰で、それを誰か他人に食べさせて、それを観て喜ぶようなことを、結構やってたなぁ。
人には「犬・猫は、食卓の上で食い物を与えてはイケナイ!」なんて説教するくせに、実は自分の家のプライベート空間ではグズグズだった様で、猫たちがうれしそうに食べる様子をながめては、ニコニコしていたし。

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2009年5月16日 (土)

禁煙中!!!

・・・今、ずいぶん酔ってるんですが、この話なら大丈夫かな、と。

何かと思うところがあり、私「煙草断ち」を始めて、一週間のヤマを越えました〓。

法律違反ギリギリアウトの歳からの「煙草吸い」。20年オーバーのキャリアで、「煙草断ち」の経験は、これが三度目。

最初は、24歳の夏。その頃自分を取り巻いていた、しがらみから抜け出したかったらしい。ところがすでに、しっかり「ニコチンの呪縛」には囚われていたらしく、「三日目」「一週間目」「一ヵ月目」というヤマが、なかなか越えられなかった。何度か行きつ戻りつがあって、三ヶ月を達成した時。「へ〜、俺も、やるじゃん! ココまでやれるなら、いつでも禁煙出来るよ、うん! じゃぁ、それを祝して、ショートホープ一箱おごろう!」・・・で、すっかりもとのモクアミに・・・。

二回目は、約四年前。福島に移ってきて、全く稼ぎがなかった頃。頭の中でソロバン弾いて「酒と煙草に使う銭が月に8,000円。節約だべ!」と答えが出たのはいいけれど、無謀なことに両方一遍にやめちゃった。この時は、酒の代わりに、酢の水割りを飲むようにしてなんとか自分をだまして(しかし、おかげで、今また話題になってるけれど、余分な脂肪がグンと落ちたんですヨ!)、酒は我慢が出来たけど・・・。煙草は三日と保たなかった。「酒と煙草と、どっちがやめる自信ある?」と尋かれたら、それまでは「煙草!」と迷わず云ってきたのに・・・これには我ながらガクゼン。

で、今回の「ヤニ断ち」。
理由は一つではなくて、コングロマリット(敢えて説明すれば、今回の世界同時不況のように、色々絡んでるってこと)。
ただし、前回の教訓があるので、酒を抱き合わせには、しなかったんです。

おかげで………。

毎日、二日酔いなんですけど〓。

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昨夜アップした文

どうしても、自分で気にくわなかったので、削除しました。
そんなものを読んでしまったかた、どうもすみません。
最近、ケータイから投稿することが多いのですが・・・
手軽に書けるのはいいけれど、書く時に酔っていることがほとんど。単なる「今日の食卓レポート」ならいいけれど、あんまり「意見」みたいなものは、書かない方がいいかもしれない。
一晩置いて、目を覚まして、シラフでもう一度読んでから投稿することにしよう。べつにニュース速報書いてるんじゃないんだし。
意見を言うなら、胸を張って堂々といかないとね。呑んでたんじゃ、ただのヨッパライの愚痴だ。
大反省。

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2009年5月10日 (日)

タンドーさんと、落語と、私

 5月2日に、盟友、というか、兄貴分、というか、親分、というか、21年半にわたって親しく付き合いをしてきて、私を東京から福島へ連れてきた張本人、丹藤祐爾(たんどう・ゆうじ)氏が亡くなった。

 楽しかった思い出、悔やまれること、それこそ筆舌に尽くせないが・・・。そのうち、少しずつ書いて行ければと思う。

 先ずは、タンドーさんと、私と、落語を巡る不思議な縁について書き留めておきたい。

 お互い東京にいた頃は、あまり落語の話をした記憶はないのだが・・・。とにかく一緒に過ごす時間はかなりあったから、身の上話などで、私の過去の「落語熱」は聞いていたのだと思う。
 2002年暮れ、タンドーさんが福島に転居した後、私の家が「タンドー東京基地」になった。独り者だし、テレビのある部屋で寝られたし、放っておいてくれるし、そこそこ交通も便利だったから、居やすかったらしい。
 年明け1月に上京した時「寄席に行きたいね」と意気投合し、とある一日、新宿末広亭で、昼〜夜席通しで遊んできた。じつは、それが私にとって、今のところの「唯一の寄席体験」(ホール落語はかつてずいぶん行ったが)。
 さらに翌2004年。タンドーさんが、自ら開業した私塾 慧學舘に私を招ぶにあたっての誘い文句、「三澤くんは、落語を知ってるから“古典”ができるだろ? だから、国語を頼む!」。もちろん、落語の知識がちょいとあったからといって、国語(古文)指導の役に立つわけなどないのだが・・・。まぁ様々な理由があって、私は福島への移住を決断したけれど、この洒落とも真面目ともつかない誘い文句が効いていたのは確かである。
 移住をしてきたら、塾のほかに、福島街中・チェンバ大町の「ミニFM局」の構想が進んでいて、企画が通って10月から開局してしまう。その放送番組の企画で「寄席番組がほしい」ということになり、情報集めをしていて出会ったのが「うつくしま芸人会」のテルサ寄席。公演を観覧に行き、代表のややまひろしさんに掛け合って、過去のテルサ寄席の音源を拝借し、一年間、お昼の番組として使わせていただいた。落語をキッカケに福島に来たら、もっと濃ゆ〜く落語に出会ってしまったのである。
 少々時は流れ、昨2008年、私は塾を辞めさせてもらい、仕事を1つに絞り、秋口から「素人落語の会」へ参加させていただくことになった。10月13日に、別の用事もあり、久しぶりにタンドーさんに会って「今度、落語をやるんだ」という話をしたら、翌14日の夜。タンドーさんから、NHK「プロフェッショナル」で面白いのやってるよ、というお知らせメール。柳家小三治師匠の会だった。小三治師匠は、私が中学2年で「演者デビュー」したときの演題「金名竹」のお手本に仰いだこともあって、たいへん興味深く話を聞いた。私は滅多にテレビのスイッチを入れないし、もちろん番組表など気にしたことがない。タンドーさんが知らせてくれなかったら、見られなかったのだ。感謝。

 そして、この5月2日。
 急を聞いて、日赤に駆けつけたら、タンドーさんはベッドにいて、混濁した意識のなかにいた。
 目が開いていたから、顔を見て、手をさすりながら「タンドーさん、タンドーさん」と話しかけること、約一時間。
 「三澤くん・・・。三澤くん・・・。」と、タンドーさんが私のことを呼んだ。そして、
 「三澤くん・・・落語! 三澤くん・・・落語!」としきりにねだる。
 「えー、こんな病室でできないよ。でもね・・・“隣の空き地に囲いができたね”“へ〜”、これじゃだめ?」
 【首をかすかに振って、ダメ出し】
 「じゃぁ、なに、やろうか?」

 次の瞬間、私は目と耳を疑った。タンドーさんは、明らかに顔を上手下手に振りながら
 「ツ〜ッ! ・・・ル〜ッ!」
 と云ったのだ。

 「・・・じゃ、さわりのセリフの所だけね!“もろこしの方角から、一羽の雄の首長鳥が、ツ〜ッと飛んできて、浜辺の松へポイととまった。後から雌が、ル〜ッ、と飛んできて、ツルになったんだよ”」

 そうしたら、タンドーさん「フフッ」と笑った。

 そこへ、息子さんが到着したので、私は彼にその場を譲って、退場した。

 本当は、高座で演っているのを観てほしかった。でも時間が合わなかった。タンドーさんも「行けなくて残念だ〜!」と云ってくれていた。

 亡くなって、葬祭ホールに遺体を移した。儀式張ったことの嫌いだったタンドーさん、その心を汲んだ遺族、友人で「儀式的なこと」はほとんどやらない「お別れ会」にした。坊さんのお経も、時刻を決めての焼香・献花もなにもなし。儀式は納棺と出棺だけ。
 いわゆる「お通夜」の席。特に私とも関係が深い友人たちが揃ったところで、タンドーさんの最期のリクエストの話をして、着の身着のままだったけれど、枕経のかわりに「つる」を、つい数日前の元気寄席での形、マクラもそのまま一席演った。結構良い出来だったようで、みんな笑ってくれた。席が席だけに、笑っていいやら困ったと、あとで云われたけれど。

 「つるに始まり、つるに終わる」と、上方では云うそうだけれど、私にとって、忘れがたい、大きな、重い作品になってしまった。しかし・・・「つる」を最期のリクエストにしてくれて、タンドーさん、ありがとう。もっと精進するからね。

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