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2009年5月10日 (日)

タンドーさんと、落語と、私

 5月2日に、盟友、というか、兄貴分、というか、親分、というか、21年半にわたって親しく付き合いをしてきて、私を東京から福島へ連れてきた張本人、丹藤祐爾(たんどう・ゆうじ)氏が亡くなった。

 楽しかった思い出、悔やまれること、それこそ筆舌に尽くせないが・・・。そのうち、少しずつ書いて行ければと思う。

 先ずは、タンドーさんと、私と、落語を巡る不思議な縁について書き留めておきたい。

 お互い東京にいた頃は、あまり落語の話をした記憶はないのだが・・・。とにかく一緒に過ごす時間はかなりあったから、身の上話などで、私の過去の「落語熱」は聞いていたのだと思う。
 2002年暮れ、タンドーさんが福島に転居した後、私の家が「タンドー東京基地」になった。独り者だし、テレビのある部屋で寝られたし、放っておいてくれるし、そこそこ交通も便利だったから、居やすかったらしい。
 年明け1月に上京した時「寄席に行きたいね」と意気投合し、とある一日、新宿末広亭で、昼〜夜席通しで遊んできた。じつは、それが私にとって、今のところの「唯一の寄席体験」(ホール落語はかつてずいぶん行ったが)。
 さらに翌2004年。タンドーさんが、自ら開業した私塾 慧學舘に私を招ぶにあたっての誘い文句、「三澤くんは、落語を知ってるから“古典”ができるだろ? だから、国語を頼む!」。もちろん、落語の知識がちょいとあったからといって、国語(古文)指導の役に立つわけなどないのだが・・・。まぁ様々な理由があって、私は福島への移住を決断したけれど、この洒落とも真面目ともつかない誘い文句が効いていたのは確かである。
 移住をしてきたら、塾のほかに、福島街中・チェンバ大町の「ミニFM局」の構想が進んでいて、企画が通って10月から開局してしまう。その放送番組の企画で「寄席番組がほしい」ということになり、情報集めをしていて出会ったのが「うつくしま芸人会」のテルサ寄席。公演を観覧に行き、代表のややまひろしさんに掛け合って、過去のテルサ寄席の音源を拝借し、一年間、お昼の番組として使わせていただいた。落語をキッカケに福島に来たら、もっと濃ゆ〜く落語に出会ってしまったのである。
 少々時は流れ、昨2008年、私は塾を辞めさせてもらい、仕事を1つに絞り、秋口から「素人落語の会」へ参加させていただくことになった。10月13日に、別の用事もあり、久しぶりにタンドーさんに会って「今度、落語をやるんだ」という話をしたら、翌14日の夜。タンドーさんから、NHK「プロフェッショナル」で面白いのやってるよ、というお知らせメール。柳家小三治師匠の会だった。小三治師匠は、私が中学2年で「演者デビュー」したときの演題「金名竹」のお手本に仰いだこともあって、たいへん興味深く話を聞いた。私は滅多にテレビのスイッチを入れないし、もちろん番組表など気にしたことがない。タンドーさんが知らせてくれなかったら、見られなかったのだ。感謝。

 そして、この5月2日。
 急を聞いて、日赤に駆けつけたら、タンドーさんはベッドにいて、混濁した意識のなかにいた。
 目が開いていたから、顔を見て、手をさすりながら「タンドーさん、タンドーさん」と話しかけること、約一時間。
 「三澤くん・・・。三澤くん・・・。」と、タンドーさんが私のことを呼んだ。そして、
 「三澤くん・・・落語! 三澤くん・・・落語!」としきりにねだる。
 「えー、こんな病室でできないよ。でもね・・・“隣の空き地に囲いができたね”“へ〜”、これじゃだめ?」
 【首をかすかに振って、ダメ出し】
 「じゃぁ、なに、やろうか?」

 次の瞬間、私は目と耳を疑った。タンドーさんは、明らかに顔を上手下手に振りながら
 「ツ〜ッ! ・・・ル〜ッ!」
 と云ったのだ。

 「・・・じゃ、さわりのセリフの所だけね!“もろこしの方角から、一羽の雄の首長鳥が、ツ〜ッと飛んできて、浜辺の松へポイととまった。後から雌が、ル〜ッ、と飛んできて、ツルになったんだよ”」

 そうしたら、タンドーさん「フフッ」と笑った。

 そこへ、息子さんが到着したので、私は彼にその場を譲って、退場した。

 本当は、高座で演っているのを観てほしかった。でも時間が合わなかった。タンドーさんも「行けなくて残念だ〜!」と云ってくれていた。

 亡くなって、葬祭ホールに遺体を移した。儀式張ったことの嫌いだったタンドーさん、その心を汲んだ遺族、友人で「儀式的なこと」はほとんどやらない「お別れ会」にした。坊さんのお経も、時刻を決めての焼香・献花もなにもなし。儀式は納棺と出棺だけ。
 いわゆる「お通夜」の席。特に私とも関係が深い友人たちが揃ったところで、タンドーさんの最期のリクエストの話をして、着の身着のままだったけれど、枕経のかわりに「つる」を、つい数日前の元気寄席での形、マクラもそのまま一席演った。結構良い出来だったようで、みんな笑ってくれた。席が席だけに、笑っていいやら困ったと、あとで云われたけれど。

 「つるに始まり、つるに終わる」と、上方では云うそうだけれど、私にとって、忘れがたい、大きな、重い作品になってしまった。しかし・・・「つる」を最期のリクエストにしてくれて、タンドーさん、ありがとう。もっと精進するからね。

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コメント

タンドーさんが見ててくれると思いますので、
たくさん落語をやってくださいね。

投稿: さおり | 2009年5月10日 (日) 22時33分

うーん 得難い経験をされましたね。
落語は観客と演者との微妙な関係のうえに成り立っているので、お通夜という特殊な状況で演るとどうなるんだろう。という純粋な興味が湧いてきます。
いささか不謹慎で申し訳ありません。
きっと、とんぼ師匠とご友人と親しかったタンド-さん、それぞれの思いのなかで濃密な落語空間が出来ていたのだと思います。
いいご供養になったのではと感じます。

投稿: いさん | 2009年5月12日 (火) 02時30分

さおりさん、いさん師匠、コメントありがとうございます。
長かったけれど、あっという間に過ぎてゆき、もちろん悲しいのだが、大笑いばかりしていたり、と、まさに激動のGWでした。
親しい人の中には「実感がわかない」という人もいますが、私は「見届けるものをすっかり見届け」ちゃったので、タンドーさんの顔がもうこの先見られないという現実を、わりとすんなり受け入れてしまいました。それに、そのとき同席していたのも、自分とタンドーさんの間柄をよ〜くわかってくれている人ばかりだったから、枕辺で、落語が演れたのでしょう。
そして、タンドーさんは、これからは、いつでもどこにでも一緒にいて、観ていてくれるのです。だから、今まで以上に手抜きができません(落語の会に迎えていただいて以来、手抜きはしてないつもりですけど・・・)。その時出せるだけのものを出し切って、お客さまに喜んでもらえる、そういう高座を目指して精進します。どうか、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いします。

投稿: 卓 | 2009年5月12日 (火) 21時04分

はじめまして。古い記事へのコメント失礼します。
12年前、旅の途中で丹藤さんに出会い、大変お世話になった者です。
2007年以降連絡が取れなくなり、
今朝、日本の地震のニュースを見て再度丹藤さんを探そうとパソコンに向かいここに辿り着きました。
もう2年も前の出来事なんですね・・・
とても残念で残念で・・・涙が止まりません。

メールが送れなかったのでここにコメントさせていただきました。失礼しました。

投稿: ひろみ | 2011年3月12日 (土) 07時02分

ひろみ様、タンドーのオッサンへの悔やみを、ありがとうございます。

どうお返事したらよいやら、ずっと判らなくて、返信コメントが遅れました。

月並みな言い方になりますが・・・タンドーのオッサンの肉体は、この世から旅立って行ってしまいましたが、オッサンはワタクシの思い出の中でイキイキとしています。折に触れて、オッサンのエピソードをこのブログで記していますので、またおいでになってみてください。

投稿: 卓 | 2011年3月29日 (火) 07時47分

ネオライフで検索したらオーナー名が変わってまして、ネオライフ丹藤で検索したら此処にたどり着きました。
丹藤さん亡くなられていたんですね。
私は33年前に大学入学と同時に西武球場で場内整理員のバイトを始めまして、そこで責任者をされていた丹藤さんと知り合いました。
共に仕事をさせて頂いたのは2年ばかりの短い期間でしたが、丹藤さんが東伏見アイスアリーナに移動になり、その送別会で胴上げした事は今でも記憶に残っております。
丹藤さんが協栄を退社され、新たに自動車修理会社を始められたと風の便りで伺い、会社帰りで当時新青梅街道沿いにあったネオライフを訪ねたのは今から27年前だったでしょうか。
その時に今度飲みに行こうと約束をしましたが、その年に転職して関西に転勤になり、約束を果たせないまま今日に至りました。
その間、ヤングマガジンの「ガタピシシャで行こう」という漫画で唐突に丹藤さんが出てこられて驚いたの何の、また東京に戻ったら是非会いに行こうと思っておりました。
念願叶って東京に戻り、店舗があった場所を訪ねてみるとお店は無く、もしやと思いネットで検索した所、丹藤が6年も前に亡くなられていたという事実を初めて知りました。
店舗の方も近隣に移転されていた様で、年内に訪ねてみるかと考えている次第です。
6年も前の記事に、唐突にコメントしてしまった事をお詫び致します。
またこの場をお借りして、丹藤さんの御冥福をお祈り申し上げます。

投稿: トオル | 2015年10月20日 (火) 21時16分

最後の八行目、丹藤となっており、さんが抜けておりました。
細かくて申し訳ありません。

投稿: トオル | 2015年10月20日 (火) 21時22分

トオル様
ご丁寧なコメント、拝読いたしました。

タンドーさん、おそらくすでに、どこかで「輪廻転生」してるのでは? とは思うのですが、お気にかけていただき、さぞや喜んでいることと思います。

本人に代りまして、御礼申し上げます。ありがとうございます。

投稿: 卓 | 2015年10月22日 (木) 08時15分

追記
卓さん、どういたしまして。
丹藤さんって一言で表現すると熱血漢ですね、そして義理堅くとても温かい人でした。
もう一度お会いして一杯やりながら、近況や昔の話など、時間が許す限りお話したかったです。
本当に残念です。

投稿: トオル | 2015年11月 1日 (日) 19時34分

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