寧為鶏口、毋為牛後
過日書いた「烏社長」の会社で働いていた頃。
得意先の某「凸(の直系子会社)」へ移籍しないか、という話をもらった。烏社長も「悪い話じゃない、どうだ、行ってもいいぞ」と勧めてくれる。
ところが、私はその話を断っちゃった。
そんなデカいところに入ってしまったら、そこの歯車の一つになってしまいそうな、そして自分が埋没してしまいそうな、そんな気がしたから……。
多分、移籍したら、合わなかったろう。当時行っていた出向先(「凸」の一部門)がすでにそんな感じで、10ヵ月後に私は「壊れて」しまったし。
そんな私に、烏社長は一ヵ月の休職を許し、出向前の職場に戻してくれたのだった。
ある日、烏社長が職場のメンバー全員を呼んだ。姉妹会社の事務所のあったマンションの、隣の部屋。「ここを買った、ここはお前たちのスペースだから、使い方を考えろ」という。いきなりそんなことを云われたって……、皆、ポカンとしている。そして、私も含め、誰もアイディアをひねり出せなかった。
しばらく経ったら、その部屋に自動雀卓が並んだ。烏社長の友人の営んでいた雀荘が傾きかけたので、部屋を安く貸すことにしたという。「何考えてんだよ!」と、社員一同非難ゴウゴウ。結局、板橋の裏通りなんていう立地で、今時雀荘など流行るワケもなく、程なく看板を降ろしてしまった。私が会社を去ったとき、まだ部屋はあって、物置になっていた。
今思えば、烏社長、情報企画会社のようなことを始めたかったのだろう。きっとそのための「部屋」だったし、ひょっとすると「私の復籍」もその一環だったのかも。そうだとすれば、全く期待に沿えなかったわけで……。烏社長、ごめんなさい。
表題は、あまりにも有名な、中華戦国時代、蘇秦の言葉。読み下せば「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ」。これを初めて聞いたのはまだ幼い頃だったが、その時「あ、自分はこういきたいな」と思っちゃった。以来、何か重大な選択をするとき、いつもこの言葉が浮かぶ。それで、今の自分がある。
しかして、近年になって、この蘇秦に「そそのかされた(?)」中華戦国の弱小諸国が、結局は全て超大国「秦」の軍門に降ったことを知ってしまったのだ。やっぱり「寄らば大樹のカゲ」なのか? じゃあ、私の「人生の岐れ道」の選び方って……?
……でも「組織の単なる歯車」なんかでいたくないんだ。だから「正解」ということにしておこうっと。
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