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2009年7月24日 (金)

気に入ったものが

気に入ったものが、いつも、側にある。
値が張るものではない、むしろ他人から見たら、ケチでつまらないものかもしれない。

でも、これが幸せなのだ。

合いの宿の、滅多に客の来ない旅籠。大金をゲットする目論みが外れても、その上せっかくの売り上げを取りこぼしても、茗荷屋の夫婦は、どこかほのぼのとして、幸せそうだ。

来る8月4日の「素人落語の会・信夫の麓寄席」、そんな茗荷屋夫婦の心を、来場のお客さまに伝えられたらいいなぁ。

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2009年7月22日 (水)

実(じつ)

実(じつ)<br />
 は初めて買いました
本で読んだり、人の噂に聞いたり、テレビでも度々見たりして、なんとなく知っているような気はするのだが、実物に触れる機会に恵まれなくて、実はな〜んもわからん。そういうものは数限りなくあるけれど、今日はコレを手に入れてきた。
アボカドである。
いわく「森のバター」、いわく「カリフォルニア巻の寿司種」というのは、二十年来聞いてきた。しかし、わが食卓に上せる機会がどういう訳かとんとなかった。
ところが、このところ仕事帰りに立ち寄るスーパーの、見切り品野菜・果物のカゴを漁りに行くと、かなりの確率でコイツと鉢合わせするのだ。今日は小振りなのが二つで80円で転がってた。この金額なら、失敗してもそんなには惜しくない。
テレビで見てたら、あれは周りからサクっと包丁を入れて、真ん中の種にぶつかった頃合いで包丁をクルクル回すのね。そこでおもむろに手で左右に割る。すると「あ〜!!、鉄人はアボカドを用意してます!」という、フジ福井アナの実況が耳にコダマした。
思いのほか果肉が柔らかいので、ティースプーンを取り出して、そのまま一口味わってみる。独特のネットリ感と味がするが、初体験のインパクトまではない。…何かに似ている。でも、聞いてきたような「バター」とは、似ても似つかない。
そうだ、寿司ネタになるくらいなんだから、ワサビ醤油で喰ってみよう。
確かに合うのね、コレ。でも、刺身の「相性」とは、どこか違うなぁ…。

ふと、ひらめきました。
「森の胡麻豆腐」
アボカドは、胡麻豆腐に、しかも絶品の高級品にも匹敵するかも!
自然に生まれた木の実の果肉が、人間の観念の精髄みたいな料理とソックリなんて! 考えてみれば「バター」も近いものがある。「森のバター」の異名も、むべなるかな!

ところでアボカドの真ん中に鎮座ましましている、あの、デッカイ種。栗みたいな感じで、なんか美味そうなのだけれど、あれって、喰えるのかしら?

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2009年7月18日 (土)

「黄金の日々」と「花神」




コネタマ参加中: あなたのベストオブ大河ドラマといえば何?


 「ベスト」とゆわれてふたつはナンですが・・・。私としては甲乙付けがたい。
 戦国時代と幕末、ここはやっぱりドラマの宝庫。
 大河ドラマ初の「海外ロケ」を敢行した、昭和53(1978)年の「黄金の日々」。当時の市川染五郎さん(現在の松本幸四郎さん)の「ルソン助左衛門」、根津甚八さんの「石川五右衛門」、川谷拓三さんの「善住坊」の主役トリオを、戦国時代のヒーローたちが取り囲む、日本だけで収まらなかった壮大な「大河」。脇役も豪華で、昭和40(1965)年の「太閤記」で秀吉を演じた緒方拳さん・信長の高橋幸治さんが同じ役を再演したのも、両親たちは懐かしがっておりました。栗原小巻さんの「美緒」、美しかったなぁ! 「ア〜レ、キュイジ〜ヌ!」の鹿賀丈史さんの高山右近もいましたね。
 その前年昭和52(1977)年の「花神」。幕末の人物では地味な存在の「大村益次郎」が主人公。私はその前年「風と雲と虹と」あたりから大河ドラマを見始めたのですが、やはり幕末という時代の面白さ、そして若さに惹かれたのでしょう、「花神」はたいへん深く印象に残り、私の中では30年以上経っても幕末長州の人物はいまだに「花神」のキャストの顔になってしまいます。中村雅俊さんの高杉晋作、篠田三郎さんの吉田松陰etc. 、中村梅之助さん演じる村田蔵六→益二郎ともども、現在まで残っている写真になんとなく風貌が似ていたことも、物語が身近に感じられた理由のひとつかもしれません。

 学校にいた頃は歴史の授業が大嫌い。高校に進学した時、当時は歴史を選択しなくてよかったので、大喜びで「地理」だけで卒業して来ました。ところが、今は歴史が好きで、うちの蔵書の半分近くは歴史がらみの本。それは、多感な頃に「花神」「黄金の日々」を見て育ったからだろうと思うのです。年号や出来事を暗記する歴史なんかツマラナイ。でも、生き生きと人々が生きていたドラマ、そう見ると、歴史ってすごく面白い。
 数年前の三谷幸喜氏の「新選組!」のときに「かなり史実に反しているところがある」という批判があったけれど、わざわざそんなことを云って「つまらなく」しなくたっていいのになぁ(批判でなくて指摘ならかまわないけど)と感じたことがあります。どのみち、それで歴史に興味を持って、深入りをしてくる人たちは、様々な資料に触れて「あ、あれってフィクションだったのか」と気が付くのですし、ただ楽しんで終わっただけの人たちは「歴史学会」には何の影響ももたらさないでしょうしね。
 私はテレビを見なくなってずいぶん経つし、来年の大河「龍馬」もたぶん見ないだろうとは思うのですが、昨年の「篤姫」もかなり若い人たちに感銘をもたらしたようですし、「歴史っておもしろいよ!」ということを伝えてもらえるような、質の高いエンターテインメントにしていただきたいなぁと思う次第です。

 さまざまな変化が私たちを襲いつつある現在。歴史の人物たちの行動は、将来の見通し方のヒントを私たちに与えてくれます。だから、今こそ、この現在のキビシイ状況を見据えつつ、歴史と、今を楽しみましょ!

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ドッヂボール

 成人してからつきあい始めた人には、私が「小中学生の頃、空っきしの運動音痴だった」というのが、にわかには信じがたいらしい。まぁ、確かに体格良さげには見えるし。ただ、腕をよく見てもらうとわかるのだが、足回りに比べるとたいそう貧弱である。なにしろ、逆上がりも懸垂もまともにできなかった(今も実はできないかもしれない・・・)のだ。足回りが比較的立派になったのは、10代後半になってから、自転車で走くりまわったおかげである。それで、既製品のスーツを買う時は困った。太股はAB体じゃきついのに、ウエスト〜上半身はA体でもスカスカだから。
 そんなだったから、小学生定番のスポーツ「ドッヂボール」では、常に「外野」に廻されていた。何というかは忘れたが、プレーが始まる時に外野にいるメンバー、その常連だった。内野にいれば、相手の投げつけてくるボールを受け止められなくて、すぐアウトになってしまうからである。とにかくボールが捕れない。スピードのある物体が近寄ってくると、つい背中を向けてしまう。これはもう敵にすれば思うツボ、良いカモである。こんな奴を内野に入れておく作戦はない。また、速いボールだけ捕れないのかというと、情けないことに、ゆっくりのにもビビって、ポットリ取り落とすのである。その上腕に力がまったくないから、相手コートにボールを投げればコントロールも勢いもないヘナチョコボールだ。要するに、外野の、しかも「球拾い」にしか使いようがないのだ。万年外野もむべなるかな。
 しかし、私自身は、それに甘んじるままではいられなかった。やはり、やっぱり、どうにも口惜しくて仕方なかったのである。そして、小学校も高学年に進んだある日、チームメイトが続々アウトになって内野へ呼び戻された時(最初外野にいるメンバーは相手をアウトにしなくても内野に戻る権利がある)、勇気を奮って決意したのである。
 「よし! 今日は、敵一番の投手のボールを受けて捕ってやる!」
 彼の狙いは、当然ながらヘナチョコな私だ。大きく振りかぶっての投球。ところが、いつもだったらビビって身体の振れる私が、その時に限って至近距離で正面を向きっぱなしだったから、彼は「おや?」と感じて、コントロールがちょいと狂ったかもしれない。
 対する私は「捕ってやる!」一点張りで、ボールに手を出した。ところが、長きヘナチョコ生活で、悲しいかな、ボールの受け方どころか、球筋の見極めすらできない。しかして少しく逸れたボールは私の右手親指を見事に直撃! 瞬間、私は大きな悲鳴を上げてその場にうずくまった。それまで経験したことのない痛みとともに、親指の付け根が見る間に腫れ上がる。間もなく近所の外科医に連れて行かれ「骨にヒビが入っていますね」と診断された。完治するのに二ヶ月ばかり通院したように覚えている。
 かくして、私が奮った「勇気」は、悲惨な結末に終わったのであった。

 それから30+X年。「投げられたボールの受け方」「ボールの投げ方」「勇気の奮い方」が、未だになんにも解っていないようだ、ということに今、気が付いた。
 しばらくはおとなしく外野にいて、そこから、内野で楽しそうにプレーをしているみんなが、なぜあんなふうにできるのか、どうしたら自分もあんなふうにできるのか。じっくり観察して、よく考えないといけないな。

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2009年7月16日 (木)

自然なバランス?

毎日の食生活。独り者だから、大丈夫?って、心配してくれる人が、たまにいてくれて、有り難い。

自分では、まあまあ大丈夫だろうと思う。外食頼みならともかく、ほぼ毎日自炊だから。スーパーでカゴを片手にさまよいつつ「あぁ、ここんとこ肉が続いたなぁ」「野菜日照りだなぁ」「牛乳しばらく飲んでねぇなぁ」「イライラするなぁ、カルシウム、カルシウム!」なんて、色々思いを巡らしながら、買い出しを楽しんでいるから。

こんな話を母にしたら、それはそのまま、私を頭に三人の男児を育てていたころの毎日のメニューの決め方だったという。う〜む、この「イイカゲン」さ、血は争えん…(笑)。

今夜も呑んで色々食べて、〆のゴハン。テーブルの上に、白飯が山盛りの丼だけ残っちゃった。さぁどうしよう。
そうだ、だいぶ前に“半額”で買った納豆が冷蔵庫に残ってた。あれを片付けよう。
賞味期限を見たら、ゆうに一ヵ月は過ぎてるけど……、これはまぁ経験上、問題無し。もちろん味は落ちているに違いないが。皿にあけて、思い切りかき回して糸を引き出し醤油を絡め、丼の白飯にかけて……。
なんとしたことか、この丼一杯の納豆メシが、ものの一分程で、スルスルっとわが胃の腑に駆け込んで行ってしまったのだ。しかもすごく「美味かった」!

どうも、納豆に含まれる「何か」が、不足していたらしい。……何だろう。

「粘り」かなぁ……。

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2009年7月10日 (金)

書棚からひとつかみ-090710

書棚からひとつかみ-090710
この題名はパクリです(笑)。
知ってる人は知っている、TOKYO-FM(福島FMでも)、日曜午後2時からの「山下達郎・サンデーソングブック」人気の特集から、だ。
ある時、とある人に「卓さんの声、達郎サンに似てるね!」とゆわれた。それが嬉しかったこともあって、題名拝借となった次第。
但し「御本家」は、ちゃんと自宅のレコード棚からひとつかみされてくるらしいのだけど、こちらは日頃「オレの書庫」と自分だけで勝手に思っている、市立・県立図書館の書棚からひとつかみしてきたものを、紹介してみたい。

今日はこの2冊。永山久夫先生の「たべもの江戸史」、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」。

永山先生には数年前、福島で「全国納豆勧評会」が開かれた時にお会いした。所蔵の「戦国武将の食生活」という著書を持参して、すばらしいサインもいただいた。
落語の国に生きている八つぁん熊さん御隠居さんやお殿様が、どんなものを喰っていたか。それを鮮やかに描いてある。先日「たらちね」を稽古しながら「晩飯がお茶漬けに沢庵だけなんて、ずいぶん質素だな〜」とひそかに疑問に思っていたら、実は江戸時代にはそういうのが当たり前だった、なんてことが書いてあって、まさに目から鱗。150年も経つと、食生活もガラリと変わってしまうのだ。ほかにも、落語のいちシーンを思い浮かべて納得、という記事がたくさん。落語が好きで食いしん坊な人には、ぜひとも一読をお薦めしたい1冊。

「カラマーゾフの兄弟」は、ドストエフスキー代表作のひとつ。今迄タイトルは知ってたけど「初見」。
外国の小説は、地名と人名がネックで、誰が誰やら、どこにいるやら、ワケわかんなくなるのが困る。でも要するに、慣れの問題で。これは二十数年前に、超大作SF「デューン・砂の惑星」シリーズを読破したとき、巻末の用語集に指を突っ込みながら克服したから、大丈夫。ただ当時より歳を経て、ちょいと(かなり?)脳ミソがしぼんできているから、慣れるのにいささか手間を喰って、なかなか読み進まないのだけど。
でも、面白いのよ、これ。性格のハッキリしたキャラが揃ってて、自分の身近にいる人たちを、あたかもその場で見ているよう。「へ〜、100年前のロシア人も俺らと全然変わらんのだな〜!」なんて感心しながら、身近な人たちの振舞を思い出して、思わずゲラゲラ笑っちゃたりなんかして。
さすがに「不朽の古典」とゆわれるだけのことはある。まだ先はずいぶん長そうだけど…、時間がかかってもいいから、読破してやるもんね!

まぁしかし、美味しいお酒と食べ物、それに楽しい書物に恵まれて、今日も幸せ! 善哉善哉。

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2009年7月 9日 (木)

利き目

この間の日曜日の朝、散髪した。早朝の団地の草刈りで汗を思い切りかいたあと。しかも午後から寄席イベントで人前に出る。あんまりこういうときにバリカン持つものじゃないのだけど、あまりのウザったさが許せない。
前半分はいい。問題は後頭部。「虎」になっちゃって、ウシロ指さされた経験もあるし。もちろん合わせ鏡で刈るのだ。これがなかなか難しい。
で、今回気が付いたのは……。
右半分は、うちの風呂場の構造のせいで、結構暗い。だけどよく見える。左側は明るいはずなのに、さっぱり見えない!
要するに、私の場合、極端な「右目利き」らしいのだ。
ウインクって、あるでしょ。普通、みんな、両方できるでしょ? 実は私は、片目をつぶるのは、左しかできないの!
そう考えると、私は超右利き人間で、箸も、ペンも、右手でしか扱えない。服を着るのも履物を履くのも、みんな右が先。酒飲みを「左党」というけど、杯を持つのも右手。タバコを挟んで吸うのも右手。
右半身は左脳の領分と云われてる。理詰めに物を考えるのが左脳というのは周知の事実。なんだかんだ理屈が好きなのは、左脳の人だからなのかもね。

でも、ひとつだけ、左手でしかできないことがある。それは「ケータイの文字打ち」。この文も左手で打ち込んでいる。それを「利き目」の右目で読む。それでバランスが取れてるなら、いいのだけど。

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2009年7月 8日 (水)

ブ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

夏になると、気になる。
酔っ払って、電気を消して横になった途端に……。耳元で
「ブ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!」
多少の血くらい、喜んで献じよう。あとでちょいと痒くても、構わない。でも……。
耳元に響く羽音だけは、勘弁出来ねぇ!
蚊めも鳴かずば打たれまいに。

最近、10代の若者だけが不快を感じる音というのが発見されたそうだ。年齢で、音の感じかたが変わるんだって。
そう云われてみれば、昔、蚊の羽音なんか、気にした思い出がない。朝になってみたら、柔らかい目蓋でたらふく呑られたらしくて「お岩さん」顔になってたことが度々あったくらい。

しかし「蚊」という字は、秀逸だなぁ! 改めて辞典を繰ってみたら、日本で発明された「国字」じゃなくて、中国から伝わってきた文字らしい。ということは、四千年に亘って、東アジアのオッサンたちはみんな、あの耳元で「ブ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!」と唸られることに辟易してきたのだ。

というわけで、エアコンはもちろん、網戸もない、わが貧乏所帯では、今宵から「ライオン蚊取線香(日本の夏の代名詞の、とある有名メーカー品の半値!)」出動。
ん〜・・・、夏の匂いだね!

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2009年7月 2日 (木)

「縁日」

 今日は「休業日」。
 といっても、落語の会のリーダー・笑遊師匠から「仕事」で名刺のご注文をいただいていたのを納品に。休業日でも仕事してたのだ。とはいいながら、それにかこつけて、落語の会の打ち合わせやら四方山ばなしをする方が多かったのだけど。
 笑遊師匠の工房で話をしていたら、遊印のお客様がいらして、工房が満員になってしまった。そこで、笑遊師匠に誘われ、方木田のM's Cafeさんへ。
 M'sの長澤さんは、私たちがチェンバ大町でミニFM Ch-inをやっていた頃のお隣さん。お会いするのはチェンバ以来、ほぼ3年ぶり。もちろんタンドーさんのことはよく知っているので、開口一番、亡くなった報告に。かれこれ2時間くらい、色々なお話をして過ごさせていただいた。笑遊師匠にはごちそうになりました・・・。
 さて、その帰り。お茶やらお湯やらいただいたもので、はばかりに行きたい・・・。そうだ、山下町の「いちい」に寄って、買い出しもついでに済まそう。
 そうしたら、私塾 慧學舘の第一期生で、講師一同をたいへん慕ってくれたSくんのお母様にバッタリ。このお宅には、私は毎年、年賀はがき印刷のご注文をいただいている。またまた、タンドーさんについてのご報告となった。

 べつに、それだけの日だったのだが。思えば、今日2日は、タンドーさんの命日だ。
 命日って、そういう「縁」を再認識させてくれる「縁日」なのかもしれない。

 ちなみに、今夜の夕食は、山下町いちいで半額シールの付いてたレバでもって、レバニラ。ちっともお精進などしない、罰当たりなワタクシなのでした。でも、レバが半額だったのは「肝臓大事にしろよ!」っていう、あの世からの心遣いだったのかもね。

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