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2010年3月29日 (月)

墜ちた、とんぼ

2月の「中合寄席」。
跳ねたあとに、美術サロンで開催されていた、われらが漫太郎師匠こと、ややまひろし先生はじめ、本県出身の漫画家さんの作品を揃えた「原画展示即売会」を見に行った。

そしたら、漫太郎師匠の展示作品に「墜ちたトンボ」というのが…。
一列に並んで飛んでいるトンボの群れから、一匹、クタ〜っと墜ちて行くのを、メガネの青年が、呆気にとられて眺めている、という図。

ちょうど寄席が引けて、漫太郎師匠が“お店番”をなさっていたので、
「いや〜、墜とされちゃいました」
と云ったら、「あれはね、飛行機の墜落事故があったときに描いたんだよ」、とおっしゃる。
飛行機事故はままあるけれど、ワタクシの中には、日本中で大きな話題になった墜落事故は、ここ数年記憶にない。だからこの師匠の作品も、多少年数が経っているのかな、などと考えていた。


昨日の「元気寄席」。
今回、まちなか夢工房さんでの開催。高座を、折畳み会議机を組み合わせて作った。
設営しながら一抹の不安……。でもまぁ、大丈夫だべ、で、無事進行したのだが……。
自分の出番で上がったら、やけにフニャフニャする。「でも、ここまで保ったんだから」と思って、気にせず、噺が佳境に入りはじめたところ……。


「ガシャ〜〜ン!!!」


ものの見事に高座がスッ倒れ、ワタクシは「墜ちたトンボ」になっておりました……(笑)。

漫太郎師匠の噺によれば、ヒコーキの墜落は、自らの「体重」に引き換え、「なんでオイラ、飛んでいるのか?」とヒコーキ自身が考えちゃうときに起きるそうな。
高座に上がるとき「あ、なんだかヤワイ!」と思っちゃった。思えば、あれが敗因だな……。
しかし、墜ちた本人よりも、観ていたお客さまと、スタッフのみんなの方が、もっと驚いたでしょう。
スタッフの皆様、フォロー、ありがとうございました。そして、お客さま、ビックリさせてしまって申し訳ありませんでした。でも、噺家の「座布団直滑降」なんてハプニング、観たいと思って観られるものではありません(爆)。一生の語り草にしてくださいませネ!

しかして「とんぼ」は、墜ちました。

さらに、その上、跳ねた後の「打ち上げ」で、撃沈…。

シュビバシェンねぇ…………………。

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2010年3月27日 (土)

酢豆腐もしくはちりとてちん

腐っちゃった豆腐を、嫌なヤツに無理矢理喰わせる噺。

ただ、その相手が「半可通」だから、笑い噺になるけど、これが、とんでもない「発酵食品オタク」だったら……。
蘊蓄を語り始めて、きっと止まらなくなる。

南條竹則著「中華満喫」という本を読みすすめていたら、そのテのものが山盛り出てきた。

20ウン年前。ワタクシは、納豆が臭くてたまらず、食べられなかった。しかし、今は…。好物のひとつにしてもいい。
当時、匂いがダメで、手をつけられなかった、沖縄の「豆腐よう」、そして、台湾の「臭豆腐」。
今になると、あれをちょっぴりつまみながら、現地のお酒をちびちび呑ってみたい気がする。
思えば当時、そんな食べ物に、ものすごく失礼なことをしてしまった。反省…。


さて、今日は「毒餃子」やら「米露核軍縮合意」やら、大きなニュースがあったけど、例のアカデミー賞映画の主演女優が、和歌山の漁村にわざわざやってきて「イルカを食べるな」とやったというのが、呆れた。

まだ「シー・シェパード」のがマシだ。確かに彼らは過激だけど、自分の領域は(「公海」は、みんなのもの、みんなのものはオレのもの、だから)、はみ出してない。

わざわざひとのところまでズカズカ土足で乗り込んで来て、態度が柔らかかったにせよ、テメェの価値観、押しつけるんじゃねーよ!


こないだ、墓参りに行って、母方の爺さん婆さんの宗旨のお題目「南無妙法蓮華経」を唱えてきたけど…。日蓮上人さま、ワタクシは、上人さまの「折伏」の考え方には、単純に同意できないな。
相手の立場、気持ちを理解するように努めて、そのうえで、相手が自分の望む方向へ……、というより、相手と自分が一体になって、よりよい方向を目指すことができるようになることが、ワタクシにはベストかと思えるのですが。
そうなると「折伏・折り伏せさせる」とは、云えないですよね……。

ただ「蒙古襲来」という、大変な世情への、上人さまの「決意」が伝わって来ます。

野球に負けたくらいで「末代の恥だ! 腹を切る」とは……。何だかんだ云って、現代ニッポンは、平和なのですねぇ。


え? じゃ、こんな、よしなしごとを、そこはかとなく書きつくっているオメェのブログはそうじゃねぇのかって?


“ソノトーリデ、ゴザイマース!”(笑)

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2010年3月26日 (金)

これは……

これは……
いけないとは判っているけれど、寒い福島、ハードリカーが手放せない。
ジンも試した。ラムも呑んだ。ブランデー、焼酎は云うに及ばず……。

でも、ウイスキーが、ワタクシには最も合うようで。もちろん、近ごろまた流行っているらしい「ハイボール」なんて甘ちょろい飲り方はしない。ストレートを、手のひらのぬくもりで温めながら、チビリ、チビリ。

……でも、毎日のことだし、カネに糸目を“付けなければならない”財政事情。普段立ち寄る店に置いている、予算内の銘柄は、味わい尽くしてしまった。でも「コレだ!」という決定版に出会えなくて……。
そんな先日。久しぶりに寄った「やまや」南福島店で出会ったのが、これ。
兵庫県は明石の「江井ケ嶋酒造」という、今まで聞いたことがないメーカーの「ホワイトオーク」という品。

これがネ。素敵!

お酒でもビールでもワインでも、タバコでも噺でも、重目なものが好みのワタクシだけど、これのいいところは「程よい、軽さ」。
明石という、瀬戸内の街の一角で、のんびり、ゆるやかに醸されたウイスキー。
「ウイスキーメーカーの所在地」としてはどうなの? という意外性。でも、その土地柄を彷彿とさせる、軽さの中にじっくり拡がる、豊穣な味わい……。

そして何より「安い」!

ハードリカーで、初めて「即リピート」してしまいました!

「やまや」の棚を探訪したら、ここのウイスキーはあと2種類置いてある。ブレンディッドひとつ、ピュアモルトひとつ。でも……。こいつらは……安くない(涙)。
しかし…。次は試してみたいものです。もちろん、段階を踏んで。

手に入れて来たら、ここでまた、インプレッションしますね。

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2010年3月24日 (水)

ミッション・インポッシブル

この連休は、久しぶりに盆暮れ外した帰京。

東京へ向かうバス車中、東北道の、埼玉スタジアム脇を通るとき、いつも思い出すことがある。もう10年よりもっと前。

ステップバンに乗って、国道16号を大宮方面から、岩槻インターの所へ走ってきた。浦和方面へ行こうと右折レーンに入って、シフトダウンしようとしたら……。

ステップのシフトレバーはもともとかなり遊びがあってブラブラなのだが、いつもに増してブラブラする。

「おろッ!?……、……ウアァ!」


……ギアが4速に入ったまんま、ニッチもサッチも行かない!

泣きながら“鬼”半クラッチで切り抜けて、高速側道のR122へ…。さらにその側道へステップを止めて、タンドーのオッサンに電話。症状を話したら
「下に潜って、シフトレバーの下辺りを見てごらん。そこで“スプリングピン”でシフトレバーとミッションがつながってるんだけど、それがよく抜け落ちちゃって、そういうことになる。だから応急で、穴を合わせて、ボルトで止めれば大丈夫」
「ハイ! 早速見てみます!」

「あの〜〜……」
「ん?」
「既に“ボルトでがっちりとまってる”んスけど(^^ゞ」
「(@_@;)!」

…泣きながらまた“鬼”半クラで、「信号、変わるな〜〜!」と叫びながら、とりあえずうちの駐車場までは無事に……。
着いたところで……
「おわッ!“車庫入れ”、どうしょう!」
そう、ニュートラルにもならない。

エンジン切って、左足でクラッチを踏み、右足で地面を蹴って、なんとかなった……、フゥ。でも、ステップでよかった。他のクルマじゃ、この車庫入れ技は、まず不可能……。

関連でもう一つ思い出した。
大泉の岩崎翁のクルマ引き取りに、翁宅まで連れていってくれと、タンドーのオッサンに頼まれた。その時ワタクシは、代車でアズキ色のオートマZを借りてた。
翁宅でオッサンは、引き取るクルマに乗り換える。ワタクシが後を追う。

で、オッサンがZから降りた途端……。オートマが“ローギア”から切り替わらなくなってしまった!

急を知らせようと、パッシングしたりクラクションを鳴らしたりしたのに…。オッサン、どうも「バイバイ、またね」の挨拶と勘違いしたらしく、パカパカッとハザードくれて、さっさと行っちまった。

結局この時も、泣きながら一人うちへ帰り、後日シフトアップしないZをビクビクもので店まで回送したっけ…。

さて、このオートマZ、結局ミッション載せかえて、ワタクシが福島まで持ってきて、オッサンの「最後の360軽」になったところまでは確実です。確認はしていないですが、周りにどうこう話がないところを見ると、まだオッサンの家にいるのかな? 但し、オッサン曰く「左フロントブレーキが貼りついてる」から、動かすのが容易じゃないようだけど。

ワタクシも余裕がなくて、起こしてやれません。

誰か引き取ってくれる、勇気のある人、いませんか? オートマの「ホンダZ」、稀少なタマですよ!

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2010年3月19日 (金)

クロマグロ

とりあえず「カジノがあるからみんな若旦那、十階の身の上の国」からの提案は退けられたようですが…。

でもまぁ、こっちも少し反省しないとね。

わざわざ「地球の反対側」まで出しゃばって、美味しいところを持っていく(しかし、持ってかれるほうが、その“美味さ”には至って鈍感で…)、なんてコトは、そろそろ止しにしたほうがいいかもね。


そう、今、流行りの「地産地消」。


我が国、ニッポンほど、資源に恵まれたところはない。

エ、どこに資源があるかっ、て!? アァタ、まだ「産業革命分子」の原理主義かい?

手近に山があって、川があって、海がある。火山があって温泉があって…、人がゴチャゴチャ住んでいる。
こんな所って、世界中探したって、ほかにはないよ。

マグロの禁輸を提案したとこなんて、ご覧なさい。海とF1グランプリはあるけど、苦労がない。うちには、海もF1もあるし、その上、天変地異も、日々の苦労もある。

居候の若旦那がいて、権助がいる。そして両方とも、それなりに苦心しながら、日々を楽しく過ごそうと、それぞれの立場でガンバって、……というより、自然とそうしている。


いいじゃないすか、それで。


ダメなときはダメなものです、どうなにをしたって。
ただ、そのダメな中に、いかに光を見いだすか。これは「単なるヌルマ湯の若旦那」には、どうしようもないでしょ。勘当されてやっと、何だか活路が開けるわけで。

過度にならないストレスは、成長の原動力。

厳しい冬がなければ、豊かな実りの秋(とき)は、来ないのです。


恥なんてどこかにやっちゃって「すいません、船頭一人雇ってください!」と云えた若旦那。
あと、どうなったのかな。
「退屈で、退屈で……」と、欠伸する旦那になったか、それを見ている船頭になったか……。

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2010年3月18日 (木)

続・地震

先日、辿り着けなかった話を、これからしようと思います。

でも、ちゃんと「落ち」まで行けるかしら…。近頃「酔余の手慰み」ですからねぇ、このブログ。ネタを着想するまではいいんだけど、ケータイ握ったまんま、気が付くと朝、ということが少なくないのでございますデスよ…。だからワタクシのケータイの中には、相当数のボツ原稿が……。

それはさておき……。

ワタクシが今、福島に暮らしているのは「地震」のおかげでもあるのです。
というより、タンドーのオッサンの「予知能力」のおかげか…。


16年前、平成6年の夏、ワタクシは二回目の転職をして、神奈川の秦野から、埼玉の浦和に居を移した。「少〜し近くに戻って来たよ」と、村山神明のネオライフに挨拶しに訪ねた時。店の裏の部屋は、相変わらず、知っている人は知っている、足の踏み場のない「物置状態」だった。

ところが、それから間もないその年末。さまざまな理由から、ワタクシが「ネオライフ通信・三代目編集担当」になった頃。この“物置”が、見事、オッサンの「住まい」に模様替えされていたから、驚いた。

聞けば、福島で、親父さんが人に貸していた家が空いた。折しも長女、Yちゃんが誕生。その時住んでいた国分寺のメゾネットも手狭だし…。「子育てするなら東京じゃダメ! やっぱり福島だ!」と、奥様を説き伏せて、無理矢理福島へ引っ越させ、自分は“単身赴任”してるんだ、と云って、笑った。

こっちは「へぇー、大変スね〜」なんて調子を合わせながら、以来、編集会議と銘打って、店裏に入り浸っては、オッサンと杯を傾けるようになったのである。

あくる平成7年。
1月17日早朝に起こったのが「阪神大震災」。ラジオが「神戸、震度6」というのが耳に入って、慌ててロフトの寝床から転がるように降りて、出勤間際までテレビの前から離れられなかった。

それから程なく。
「編集会議」をしに訪ねたら、オッサン、どうも沈み加減。

「誰か、向こうの友達でも、震災の犠牲になっちゃったんですか……」
「そういうわけじゃない……。“卓”、オレ、乳飲み子抱えて東京を駆けずり回る自信はないから…」
「はぁ……?」
「“阪神”、見たろ。あんな状況で、東京みたいなとこで、乳飲み子抱えて守れる自信は、オレにはないッ!」
「はぁ…?」
「だから、カミサンと子供を福島にやった」
「はぁ……」
「福島なら、まだ東京よりマシだ。倒れてくるような建物は少ないし…。何より食い物と水は、よっぽどなんとかなる!」
「はぁ…」
「だからオレは、家族を福島へやった!」
「はぁ……」
「……実は、ちょっと前に夢を見たんだ……。地震で、高速道路が、バタバタ横倒しになってる夢! 眼が覚めて思った……。『こんな中を、乳飲み子抱えて逃げ回る自信は、オレにはない』」
「はぁ…!?」
「それで無理矢理、カミサンと子供たちを、福島へ移した……」
「……。」
「…そしたらこの“阪神大震災”さ。あの日、テレビ点けて…………『あ゛〜〜! オレが夢に見たのは、この“画面”だったのか〜〜!!』……………。“卓”だから話すけど、誰にも云ってくれるなよ!」

……数年後。オッサンは家族の暮らす福島へ帰ってきた。そしてしばらくして、ワタクシは呼び寄せられたのだ。


見当外れなオッサンの予知のおかげで、ワタクシ、ここ福島で、苦労は色々あるけれど、おかげさまでまぁまぁ、そこそこ幸せにしているわけです。

お彼岸だから、その辺うろついているでしょう。
タンドーさん、何度も云うけど……、ありがとうね!

ま、一杯、やっか!

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2010年3月14日 (日)

地震

福島は、二日連続で、震度4の地震でした。

昨夜は「落語の会・稽古会」の流れで、店主夫妻が大の志ん朝ファンである、街中の“大阪屋”さんにいて、志ん朝師の噺がいかにすばらしいか、で盛り上がっている時でした。
「きっと、志ん朝師匠が聞いて、あの世で笑ってくれたんだよ!」というおかみさんのひとことでまた、ワッと盛り上がって、何事もなかったように、談笑は続いたのでした。


実をいうと、ワタクシ、志ん朝師にはあまり馴染みがありません。
ワタクシが「落語音源コレクション」にハマっていた頃、師はどうもマスコミ露出を意識して控えていた時期らしく…。うちの段ボール一箱のカセットの中で、志ん朝師の噺は、わずか5本。そして、その5本が、全て長講もの…。
今となれば、その事実だけで、志ん朝師がその当時何をしようとしていたのかが、ほんの少しだけど、解るような気がします。
当時、志ん朝師はマスコミに出てなかったけれど、お兄さんの先代馬生師の噺がうちのコレクションにずいぶんあるのが、対照的でおもしろいし、有り難いことです。

ワタクシが目指して入学した高校の落研を創立したのが、馬生師門下の、金原亭世の介師匠(ちなみに、その落研をオシマイにしてきたのは、このワタクシ……)。だから、馬生師にはやっぱりちょっと思い入れが…。また、福島に移住して初めて生でプロの噺家さんの噺を伺ったのは、今日、来福されていた馬石さん(当時はまだ“佐助”でしたけど)。この方、馬生師匠の孫弟子。ホントは今日、行きたかったけど(そのためにフリーにしておいたのだけど)、懐事情でままならず…。カネがないのは首がないのといっしょや〜〜!

で、わが「落語の会」には「志ん朝流」の噺を演る方が、しかもとっても上手が先に二人もいらっしゃる……。となると、ニッチ(隙間)狙いが好きなワタクシとしては、そこへ入り込む余地は、ないわけで。

ワタクシの育った清瀬市で「市民寄席」という、すばらしいイベントを立ち上げたのが、三遊亭若馬師匠(故人)。ワンボックスカーのマツダ・ボンゴを全国に転がして、出前寄席をやっていた、という師匠。たまたまワタクシの街にお住まいだったことから、お声がかかったのでしょう。市からもいくらかお金は出たでしょうけど、当時中学生だったワタクシがワンコインで入れた(そういえば、その頃500円が、「札」から「玉」になったっけ)のに、もう、ビックリする程の、ソウソウたる顔触れ。ただ、若馬師匠が「芸協」の方だったので、あっちの協会(と、お互いに云っているらしいです、あの世界では)の師匠連は来ませんでしたけど…。
それにしても、当時の、米丸、円右、柳昇、柳好、小南、文治、夢楽、笑三、右女助、柳橋、歌丸、遊三、文朝、という師匠方の、ナマの、脂の乗り切った高座を観に、たびたび足を運んでしまったわけで…。
これが、今、自分が高座で演ってる噺の、原点であるのは、間違いないわけで。

しかし、東京でも「清瀬」なんてとこは、マジ田舎。初回の市民寄席、500人収容のホールがなんぼ埋まるか、関係の方々はずいぶんと気をもんだことだと思います。恐らく、出演を依頼された偉い師匠方も、手弁当覚悟でいらしてくれたのでは……なんて、ちょっと邪推しちゃったりします。


今でも、年に数回あるようで、社会人になってから清瀬に戻ったとき「市報(市政だより)」に広告が載っていた記憶があります。

何だか、今日は話がまとまりませんが…。

「落語」、というか「軽口噺」というか「人情噺」というか、あの、高座に座って演る「話芸」をやっていて、気持ちのいいところは、いっぱいのお客さまの「共感」を得られることじゃないでしょうかね。
爆笑はもちろん、クスクス笑い、忍び笑い、笑わなくても、真面目な顔をしてこちらの噺にひとつひとつ丁寧にうなずいてくれる方…。いろんなお客さまの反応が、近頃少しずつ、見えるようになってきました。

「落語」は「講義講釈」と違って、登場人物の会話を中心にストーリーが運びます。
席のお客さまが「あ、その会話、自分も一言からみたいな」なんて、感じていただけたらうれしいですね。

そして、ここ福島に「落語」「軽口噺」「人情噺」に、理解・興味をもっていただけるかたが、増えますように……。微力ながら、何かできればいいなぁと、思っております。


ところで、表題の「地震」の話は? ハイ、これはこれで色々あるのですよ。でも…。今日は、脱線が長くなっちゃったのでこれまで。

おあとがよろしいようで……。

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2010年3月12日 (金)

続・めん食文化1300 年

名古屋名物「味噌煮込うどん」。
十年ほど前に、名古屋を探訪したとき。出迎えてくれた現地の友人、さっそく駅ナカの「山本屋」へワタクシを連れて行ってくれた。
名古屋の、一人前の土鍋には、湯気抜きの穴がない。なぜかといえば「取り器にフタを使うから!」。
友のそんな愉快な講釈を楽しみつつ、名物を満喫したものである。


どうして、その夏は、名古屋旅行にしたのかな?

当時、JR西日本のCMキャッチで「そうだ、京都行こ」というのがあった。それをちょっと縮めたか?

名古屋出身の作家、清水義範さんの作品に、大ハマりしていたからかな?
父が大学生活を暮らした街(自慢ですが、わが父は、帝大一期の「名古屋大学」出)を、歩いてみたくなったか…。

以上は置いておくとしても、最大の目的は二つ。名古屋から程近い、岐阜に走っていた、名鉄600V区間の電車に乗ること、そして、名古屋駅にワタクシを出迎えてくれた友の、元気な顔を見たかったこと。

名古屋の中心をちょっと外れた、金山の、カプセルホテルを寝城にして…。


残念なことに、その後、名鉄600V区間は、すべてなくなってしまった。「路面電車のタブレット交換」とか、かつて日本中にあった「道端軌道」、それがそのまま残っていたあの線路達を実見できたのは、今思えば貴重な体験である。


それもあるけど……。

当時、何かと落ち込みがちだったワタクシに、元気をくれた、名古屋の友。

元気な、彼女との再会が、何より楽しかった。


元、Nifty、fonsenのSysope、「まるぴん」様。

こちらは、みちのくの「湯の郷」で、相変わらずビンボーだけど、とりあえず楽しく暮らしております。


元気ですか。

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2010年3月11日 (木)

一ヵ月ぶりのご無沙汰でした

一ヵ月ぶりのご無沙汰でした
近頃、色々あって、図書館を渉猟する時間がとれない。ワタクシ、アルコール&ニコチン以上に「活字中毒者」なので…、これは辛い。

この間の大雪の前の夕方、久々に県立図書館に寄れる時刻に仕事が終わったから、嬉々として駆け込む。いの一番に捜し求めたのが、この本「日本のめん食文化の1300年」。

一月ばかり前に、一度借り出して読み始めたのだが、最近とみに読書ペースが落ちていることもあって、読了できないまま返却…。おまけに年度末の多忙期がやってきて、図書館の開いている時間に仕事が終わらず……。ようやく一ヵ月ぶりの再会。

読みすすめていたら、懐かしい店の名が出てきた。埼玉・所沢の「甚五郎」。

何度か誘われて、出かけたっけ。

もちろんウドンが美味いのは確かなのだが、ここは実は、お酒も…。

「久保田」を置いていて、いつだか、仲間内で呑みまくって大騒ぎ、店中のヒンシュクを買った憶えがある。

それでもって、クルマ転がして帰ったのだから、ムボーというか、太平だったというか…。

あの時は、タンドーのオッサン連れて、村山神明ネオライフに帰ったのかな。そこらへんは、どうも記憶が定かでない……。

また、甚五郎で飲み食いしたいなぁ。

その際は“祥っちゃん”、ハンドルキーパーよろしくねッ!

ところで、タイトルにしたセリフのご本人、玉置宏・横浜にぎわい座館長が他界されて、約一月。かつてのわれらがFM-Chinに「ふくしま平成ラジオ寄席」があり、そして今の“裁落亭とんぼ”があるのは、玉置さんのお陰が小さくありません。感謝……そして、合掌。

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2010年3月 6日 (土)

楽しむ者に如かず

昨夜、「胡桃の会・すずらん寄席」を、かぶりつきで観覧して参りました。

今夜の三遊亭遊雀師匠、またまたノッてました。「崇徳院」と「花見の仇討ち」二席。プロの噺家さんは、座布団に座ってマクラの間に演題を選ぶというけれど(まぁある程度、候補を睨んで上がるのでしょうけど)、これまで福島でうかがった6席中、マクラで本題がわかっちゃった噺、皆無。しかも、一般ウケする軽い噺なんてひとつもなく、「落語独特のワールド」へ、客席の皆さんをにご案内、本格古典噺をぶつけてこられる上に、至って丁寧な噺運びで、退屈どころか大爆笑を催す。

やっぱり年中無休の寄席でもって、20年以上に亘って暮らしているからこそ、できることなのでしょう。

それにしても、遊雀師匠、楽しんでいらしたようで…。噺の中に、梅さんのお団子を登場させてPRするは、トリのあいさつで、東海道さんを呼ぶわ、終演後はお団子の売り子になってるわ……。

塾の講師をやってた頃に、生徒さんたちに“これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず”なんて「論語」の文句を説教して気取っていたっけが、それを、昨夜は実地で拝見して、感無量。

近ごろ、色々やっていて、自分が、端から見ればバカみたいでも楽しい思いでいると、周りの方々が、しっかりその通りの反応をくれることによく出会う。これは、うれしい。

だから、どんな状況でも、「そこに常に楽しみを見いだせる」自分でいたいなぁ。

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2010年3月 3日 (水)

気が利かないねぇ…

不惑を過ぎると、そしてさらに厄を越すと、にわかに「叱言」を喰らうことがなくなりました。

もうこれからは、過去に喰らったお叱言を、反芻するしかないのでしょう。

今までに様々な叱言を喰らってきたけど…。

そのなかで、忘れられないのは「気が利かないねぇ!」の一言。

今のコトバで云えば「空気読めよ」に相当するかな。

基本的に「自己中」なワタクシ。正直、空気を読むのは苦手な上に、こっちの深慮遠謀を理解してくれないのはそっちじゃん!(そもそも、こっちこそ、向こうにしてみれば理解不能なんだろうけど)なんて、逆腹をたててしまう。
でも、そこで爆発したところで…。ひとつもいいことはないわけで。

キレそうになる手前で、ワタクシを止めてくれるのが「お前は気が利かない」の叱言。

これを言い続けてくれたのは、今日で「後期高齢者」の仲間入りを果たした、オフクロ。お互い歳が歳だから、もうあからさまな叱言を喰うこともないけれど……。

でもフツーの人よか、数段、気が利かないのは確かなようで。論より証拠、いまだに独り者。

親不孝だよね。

ごめんなさい……。

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