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2010年3月14日 (日)

地震

福島は、二日連続で、震度4の地震でした。

昨夜は「落語の会・稽古会」の流れで、店主夫妻が大の志ん朝ファンである、街中の“大阪屋”さんにいて、志ん朝師の噺がいかにすばらしいか、で盛り上がっている時でした。
「きっと、志ん朝師匠が聞いて、あの世で笑ってくれたんだよ!」というおかみさんのひとことでまた、ワッと盛り上がって、何事もなかったように、談笑は続いたのでした。


実をいうと、ワタクシ、志ん朝師にはあまり馴染みがありません。
ワタクシが「落語音源コレクション」にハマっていた頃、師はどうもマスコミ露出を意識して控えていた時期らしく…。うちの段ボール一箱のカセットの中で、志ん朝師の噺は、わずか5本。そして、その5本が、全て長講もの…。
今となれば、その事実だけで、志ん朝師がその当時何をしようとしていたのかが、ほんの少しだけど、解るような気がします。
当時、志ん朝師はマスコミに出てなかったけれど、お兄さんの先代馬生師の噺がうちのコレクションにずいぶんあるのが、対照的でおもしろいし、有り難いことです。

ワタクシが目指して入学した高校の落研を創立したのが、馬生師門下の、金原亭世の介師匠(ちなみに、その落研をオシマイにしてきたのは、このワタクシ……)。だから、馬生師にはやっぱりちょっと思い入れが…。また、福島に移住して初めて生でプロの噺家さんの噺を伺ったのは、今日、来福されていた馬石さん(当時はまだ“佐助”でしたけど)。この方、馬生師匠の孫弟子。ホントは今日、行きたかったけど(そのためにフリーにしておいたのだけど)、懐事情でままならず…。カネがないのは首がないのといっしょや〜〜!

で、わが「落語の会」には「志ん朝流」の噺を演る方が、しかもとっても上手が先に二人もいらっしゃる……。となると、ニッチ(隙間)狙いが好きなワタクシとしては、そこへ入り込む余地は、ないわけで。

ワタクシの育った清瀬市で「市民寄席」という、すばらしいイベントを立ち上げたのが、三遊亭若馬師匠(故人)。ワンボックスカーのマツダ・ボンゴを全国に転がして、出前寄席をやっていた、という師匠。たまたまワタクシの街にお住まいだったことから、お声がかかったのでしょう。市からもいくらかお金は出たでしょうけど、当時中学生だったワタクシがワンコインで入れた(そういえば、その頃500円が、「札」から「玉」になったっけ)のに、もう、ビックリする程の、ソウソウたる顔触れ。ただ、若馬師匠が「芸協」の方だったので、あっちの協会(と、お互いに云っているらしいです、あの世界では)の師匠連は来ませんでしたけど…。
それにしても、当時の、米丸、円右、柳昇、柳好、小南、文治、夢楽、笑三、右女助、柳橋、歌丸、遊三、文朝、という師匠方の、ナマの、脂の乗り切った高座を観に、たびたび足を運んでしまったわけで…。
これが、今、自分が高座で演ってる噺の、原点であるのは、間違いないわけで。

しかし、東京でも「清瀬」なんてとこは、マジ田舎。初回の市民寄席、500人収容のホールがなんぼ埋まるか、関係の方々はずいぶんと気をもんだことだと思います。恐らく、出演を依頼された偉い師匠方も、手弁当覚悟でいらしてくれたのでは……なんて、ちょっと邪推しちゃったりします。


今でも、年に数回あるようで、社会人になってから清瀬に戻ったとき「市報(市政だより)」に広告が載っていた記憶があります。

何だか、今日は話がまとまりませんが…。

「落語」、というか「軽口噺」というか「人情噺」というか、あの、高座に座って演る「話芸」をやっていて、気持ちのいいところは、いっぱいのお客さまの「共感」を得られることじゃないでしょうかね。
爆笑はもちろん、クスクス笑い、忍び笑い、笑わなくても、真面目な顔をしてこちらの噺にひとつひとつ丁寧にうなずいてくれる方…。いろんなお客さまの反応が、近頃少しずつ、見えるようになってきました。

「落語」は「講義講釈」と違って、登場人物の会話を中心にストーリーが運びます。
席のお客さまが「あ、その会話、自分も一言からみたいな」なんて、感じていただけたらうれしいですね。

そして、ここ福島に「落語」「軽口噺」「人情噺」に、理解・興味をもっていただけるかたが、増えますように……。微力ながら、何かできればいいなぁと、思っております。


ところで、表題の「地震」の話は? ハイ、これはこれで色々あるのですよ。でも…。今日は、脱線が長くなっちゃったのでこれまで。

おあとがよろしいようで……。

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