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2010年6月 8日 (火)

ま・く・ら

噺家が「本題」の噺に入る前、その席のお客さまの様子をうかがったり、お客さまをそれとなく本題へと誘い込む小咄や雑談(フリートーク)。これが、マクラ。

われらが「ふくしま素人落語の会」のメンバーで話し合うと「本題は当たり前として、マクラ、難しいねぇ〜」というのが、共通の悩みとして出てくる。

でも、これって「噺」だけとは限らない。
お客さま(話相手)に、こちらの用意した噺(話)をしっかり聞いていただくために、どんな話題をどう振るか。営業マンのトーク然り、お坊さんの法話然り、政治家の演説然り、ガッコの先生や塾講師の授業然り、異性を口説くとき然り……。

どうもワタクシ「弁が立つ」と見られてしまうことが少なくない。確かに声の調子は、一本高いし、無駄にでかいし、それらしいことをそれらしくしゃべったり(よく聞くと意味不明だったりするけど…)するから、そう見られちゃうのも無理もない。
しかし、呑んだ挙げ句の酔談は措くとして、「人前で話す」とか「口説く」のは、実は、台本をしっかりアタマにたたき込んで、何度も何度も反芻しないと、どうもうまく行かない。なにしろアドリブが利かないタチだ。

6年前、塾講師として初めて迎えた「夏期講習」。ワタクシは「テキストがあるんだし、中身は大体わかってるから」と、高をくくって臨んだ……が、これが大誤算(当時の生徒さん、ゴメンなさい!)。塾の夏期講習とは「浅いけど、すごく、すご〜く、広い、広〜〜い」ものを、限られた時間内に駆け足で無理矢理こなそう、という、とてつもない代物。生徒さんはもちろん大変だけど、導く講師だって半端じゃ務まらないのだ。
夏期講習が終わった後の「レギュラー授業」だってそう。特に受験生は、ケツが決まっているうえに、正直全ておさらい直し。半端なく優秀な高校受験生(新教研模試の順位一桁常連!)に、カナの書き方を指導したこともあった…。

まぁ、とにかく、予習が肝心、と気が付いたのは、塾講3年目(苦笑)。
先ず一回の講義でこなす本題の範囲を定める。それを「テキストに書いてあるから」と甘く見ないで、ノートを作る。
すると、その時アタマのどこかに引っ掛かっている時事問題や、話す相手の生徒さんの顔や好みが浮かんでくる。思いついたそういう種々を、ノートの余白にメモっておき、それをマクラの芯にする…。これを実行するようになってようやく、少しマトモな「塾講師」らしい仕事ができるようになってきた。

しかし……、まぁ時間がかかるのである、これ。おまけに兼業でDTP。お互いにアタマと眼を酷使する仕事…。一年近くは保ったものの、この「二足草鞋」が、日を追うにつれ辛くなった……。

収入状況その他諸々検討の結果、止むなく、タンドーさんの慧學舘を引退させてもらうほか、なかった。

で、何が云いたいのかというと……、何か物事を為そうと思ったら、とにかく「予習」+「復習」=「稽古」を、ミッチリやるしかないってコト。

福島に移ってきて、タンドーさんの同級生、ミゾさんと仲良くさせてもらうようになった。ミゾさんのおかげで、ワタクシはそれまで接点のなかった「ジャズ」に触れることができた。一時期、ミゾさん主宰の「松木町ジャズ研究会」会員番号2番を僭称させていただいていたものだ。
ミゾさん曰く「ジャズの魅力のひとつは“アドリブ”。でも、それができるためには、とにかくたくさんのコードとフレーズを身につけておくべし」と。

…マクラ、フリートークも同じだ。

ワタクシまだまだ素人噺家2年生。今のところは、本題と同時にマクラも決めて、込みで稽古を積んでいる。

ただ、このところのマクラはただひとつ。ワタクシの福島iターン6周年記念とともに、稽古の大切さを教えてくれたタンドーのオッサンへの感謝を込めて、オッサンにそのマクラの瞬間だけ、ちょいとこの世に戻ってきてもらう、という、例のアレ……。このマクラで三題演る(ひとつは麓寄席で、もう済んだけど)つもり。

タンドーのオッサンお気に入りのフレーズに「偉大なるマンネリ」というのがある。水戸黄門の印籠の如く、柳昇師匠の口開けの如く、紋切り型だがそれゆえに、お客さまが喜ぶ…。
そんなふうに、なれたらいいな。

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