古い諺
人間(じんかん)万事、塞翁が馬。
前にも書いたけど、また今稽古している「時そば」、要領のいい男のセリフに「いい後は悪い、悪い後はいい。世の中は回り持ちだ」というのがある。16文からたった1文掠めるために、言辞を弄するなんてセコだけど、この言い草は、好きだなぁ。
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人間(じんかん)万事、塞翁が馬。
前にも書いたけど、また今稽古している「時そば」、要領のいい男のセリフに「いい後は悪い、悪い後はいい。世の中は回り持ちだ」というのがある。16文からたった1文掠めるために、言辞を弄するなんてセコだけど、この言い草は、好きだなぁ。
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今日は仙台へ行こうと思い、気合い入れて早起きして電車に乗ったら……。
なんとまぁ、信号故障で梁川から先、運休だって!
しょうがないから保原で引き返し。駅の窓口で、年配の駅員さんに「朝から大変ですね」と云ったら、「仙台まで行くんだったのかい、そら悪かったなぃ、じゃ、これで福島まで戻らんしょ」と、ワタクシの買った切符を払い戻してくれて、手元にあった回数券を渡してくれた。
阿武急乗りつぶし、成らずになっちゃったけど、悪くない気分。
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久しぶりに餃子を焼いた。
焼き餃子の何が難しいと云えば、焼き方にトドメを刺す。フライパンなり鉄板なりが、煙が出るほど熱々にして餃子を並べる。水、できれば熱湯を差して蒸し焼きにする。仕上がりに油を鍋肌からさっと流す……。我慢とタイミングの勝負。一瞬を間違えれば皮と具がバラバラに……。いくら中身にこだわってても、こんな餃子は失敗だ。
今日のモノは市販の餃子で、昨日半額シールに惑わされて買ってきたけれど、いざ鍋に並べる段になって手にとってみたら、小さいうえに餡がスカスカ。こうなったらもう焼き方でなんとかするしかない。
タイミングを計りながら鍋を熱し、油を引いて餃子を並べ、差し水、差し油、待つことしばし、恐る恐るフライ返しを餃子の下へ滑り込ませる……。
焼け焦げの引っ掛かり感の軽さ! でも油断せず、慎重に鍋肌と餃子を剥がして行く。「皮が破れてなりませんでした」にならないように。
実はまだ味わったことがないのだけど、評判の「福島円盤餃子」斯くありなん、という素晴らしき焼き上がり!
餃子は美味い。
SMAPはカッコイイし、面白い。
でもそれが、素直に楽しめないのって……。
今、日本と中国がケンカして、得するのって……。
誰なんだろ?
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読みたいと思っていたけど、なかなか叶わなかった「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(略して『もしドラ』)」を今日、御大ドラッカー氏「マネジメント・エッセンシャル版」とともに手に入れてきた。
明日以降ワタクシ、今まで以上に何かと仕切りたがるかもしれません。そしたら「あ、アレ読んでその気になっちゃったのね」、と笑ってやってください。
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「昭和57年5月初版」という奥付の「落語家面白名鑑」なる本が、うちにある。
日付からするに、ワタクシがかつて最も落語にハマっていた高校1年の時に、手に入れたものだ。
これを手に、当時のワタクシ、何を思っていたかといえば……「どの師匠に弟子入りするか」であった。
それが証拠に「志願先候補」の師匠の名前の後ろに、エンピツで小さな丸印がつけてある。
ひょんなことから今日、それを思い出し、改めてひもといて見て、少し驚いた。「志願先候補」が、思っていたより、ごく絞られていたから。10人位はつけていたように思ったのに、わずか4人の師匠だけ。
落語協会で2人。
まずは、先代の柳亭燕路師匠。
ワタクシが大きな影響を受けた「子ども寄席」の著者にして、その中の「子ほめ」が、学校の国語教科書に乗った史上初の落語。その影響でわが中学に落語クラブができ、ワタクシが落語を実演するきっかけを作ってくれた。
そして、この本では燕路師匠に向かい合っている橘家文蔵師匠。紹介文を読むと、学校寄席に力を入れていたそうだ。その辺で親しみを抱いたのだろう。
偶然だろうけど、燕路師匠はワタクシの母と、文蔵師匠は父と同学年。そのあたりにも入門しやすそうな気がしたのかもしれない。
ただ、実をいうと、恥ずかしながら、ワタクシ、この両師匠の噺を聞いたことがない。恐らく、お二人それぞれのお考えがあって、当時テレビ・ラジオに出ることを避け、ライヴ活動に専念していらしたのではないかな、と思う。
芸術協会で、2人。
三遊亭右女助師匠。といえば「出札口」。当時の国鉄の稚内から鹿児島まで、全ての駅名を一気呵成に並べ立てる噺。今も昔も「鉄分」の濃ゆいワタクシ、この噺に憧れた。うちのテープコレクションにはなかったけれど、幸い「清瀬市民寄席」で一度「生・出札口」を観る機会があった。
そして、春風亭柳昇師匠。結婚式風景をはじめとする爆笑新作、飄々とした「雑俳」、そして「与太郎戦記」……。ラジオで、著書で、そしてやっぱり清瀬市民寄席では「生・里帰り」を観た。多摩地区出身・在住というところにも、どこか親しみを覚えたものだ。
で、結局、どなたを第一にしていたかといえば……、柳昇師匠であった。
恐らく「与太郎戦記」の奥付に書いてあったであろう師匠の本名と住所のメモが、ページに貼りつけてある(以前は結構、著者の個人情報が大っぴらに奥付に印刷されてたもので)。そんなことをしながら、どうやって師匠にコンタクトをとろうかと思っていたわけだ。
しかし、そうこうするうちに、自らの落語への関心が急激に薄れ……目論みは目論みだけで終わった。
7年前。ナカイくんのネオ・ライフへ行き、ついでに「久々に村山ホープ軒でラーメン喰うべ!」と思って、注文して待っていたら……。テレビで流れたのが、柳昇師匠の訃報。
家に戻って夕刊と、たぶん、落語芸術協会のホームページを見たのだと思う。それで、お通夜に参列してきた。
西武池袋線のひばりケ丘から、バス一本で葬儀会場のお寺に着ける。車窓から外を眺めていたら……。
20年前にメモした、柳昇師匠のご自宅の前を通った。
この道、初めて通るわけじゃない。しかも、大学時代、清瀬の自宅と世田谷の農大の往復で、自転車で度々通過したところ。でもその時「ここが柳昇師匠の家だ」なんて、ちっとも気が付かなかった。改めて通りかかれば、寄席や落語会の案内を貼った掲示板もあったりなんかして、自転車のスピードで走っていれば目をひきそうなものだけど……。
要するに、当時のワタクシ、落語への感度がほぼゼロになってたのだ。
柳昇師匠が亡くなる半年前の正月半ば、福島へ帰ったオヤブンが、我が家へ泊りに来るからヨロシク、という。せっかくだから新宿末広亭へ遊びに行こうと話がまとまり、本当は寄席の客席「禁酒」なのだけど、こっそりパック酒と湯呑みを持ち込んで、昼夜通しで楽しんできた。芸術協会の席で、プログラムには柳昇師匠の名前も出ていたから楽しみにしていたのだけど……体調不良につき休演……。無念!
でも、代演の桃太郎師匠がすごかった! 落語はその時いくらおもしろく聴いても、あとですっかり忘れちゃうというところがあるけれど、その時の演題は今でも覚えている。「代書屋」だった。
もう亡くなった、漫談のローカル岡師匠、そして「待ってました!」と声をかけたら「待たれるほどのものじゃありませんよ」と返してくれた、文治師匠……。
これがワタクシの「定席寄席」、実は初体験。
柳昇師匠が亡くなって1年後、福島へiターン、そして今のようになるとは……。全く当時の、もちろん高校生当時からも想定外。でもこうなって振り返ってみると、こうなるべくしてなったのかな。
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本日は「第13回・信夫の麓寄席・光家虎ノ助追出興行」。
高座に上がって驚いた。なんと「立ち見」のお客さまがいらっしゃる! 天候のよくない中、たくさんの御来場、誠にありがとうございます!
そしてワタクシ、今日は開場からお開きまで「小染社中」太鼓担当で、自分の出番以外はほとんど、袖で出演の皆さんの高座を観させていただいてました。やはりこれだけのお客さまを前にすると、皆さんノリが違います。たっぷり堪能させていただきました。演者のみなさんにも、ありがとうございます!
一方、ワタクシは……。
ネタ卸しの「試し酒」。
つい10日前に仙台もあって(それ以外にも8月は色々あって)、もう少し前からこれにしようかなとは考えていたけど……、稽古に着手できたのが先週の火曜日。たったの一週間しかない。これでいったいどこまで演れるか……。でも、稽古は始めてしまったし、手持ちのネタに変えるのも却って面倒だし、まして、あきらめるのは悔しい。
ええい! ままよ! と、強行突破することに。
しかし、さすがに一週間では、つかめるのは噺のアウトライン程度。人物や場面のディテールが、全くあやふやなままの見切り発車。
ひどいことをしてしまったものだ、と、反省しきり。二度とこんな、お客さまに失礼な冒険はいたしません……。ご容赦を。
しかし、しかし。ひとつだけはちょっと自信があった。それは、お酒をあおるシーン。正直、今回はこれさえなんとかなれば「御の字」だと思ってた。
問題のそのくだり。グイグイお酒をあおっていたら、客席から
「お、美味そう!」
という、つぶやきが!(^.^)b。
ヨ〜ッシャ!(^^)v
なにしろこちとら、噺の稽古はたかが一週間だけど、お酒の稽古だけは延々二十ウン年、ほぼ毎日欠かしていないわけで(;^_^A
ところでまぁとにかく、この「試し酒」、稽古開始から今日の口演まで、やっていてとても楽しめた噺。
下男のキャラクター、そして二人の旦那衆のキャラクターをしっかりイメージして、ぜひ得意ネタのひとつに仕上げたいなぁ、と考えつつ、今も美味しくお酒をグイグイ呷っております(笑)。
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以下、8月19日に書くだけ書いて、酔っ払って寝てしまい、送信しそびれた記事。読み返してみたら、没にするには惜しく思ったので、そのまま送ってみます。ちなみに、タイトルと本文は……、関連薄いなぁ(苦笑)。
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このお盆の帰京で、久しぶりに、青梅街道の柳沢峠へ行ってきた。
知らないトンネルが、ずいぶんできてる。
工事が進んでいるトンネルもかなりあって……。戦国末期の悲劇の舞台「おいらん淵」も、まもなく本道から外れてしまうようだ。
峠に近い上り坂も、道幅が広がって、やけに明るくなってしまった。
もっと驚いたのは山梨側。かつての、山肌に添ったヘアピン連続狭隘路は、峠近くのほんのわずかな区間になってしまい、油断をするとそのまま谷底へダイビングしちゃうような、緩やかなカーブを描く高い架橋がいくつも連なる立派な道路に変貌していた。
新しい、立派で便利な道ができるのは、いいことだ。でも、それに一抹の寂しさを感じてしまうのは、やっぱりちょっとジジイになっちゃった証拠なんでしょうね。
JR中央線に乗ったら、この秋、201系ラストラン、だそうな。
そういえば、ワタクシが若き頃「新車」で出てきたのを見た鉄道車両も、いまだ花形で活躍しているのは、もうわずか。201は長命な部類で、後継の205は山手線を、209は京浜東北線を既に退いている。
ところで最近、東京へ行ってつくづく思うことがある。
電車に乗ると、見たくもない動画を見せられる。アレ、なんとかならないか。邪魔だ。
民放テレビで育った人たちは平気かもしれないけど、どういう因果かNHK大好きな両親のもとに育ったワタクシ、あれはうるさくて仕方がない。
少し前まで、そんなことはなかった。そりゃ、吊り広告はにぎやかだ。でも、あれはサッと一瞥して、嫌なら外でも、それとなく他人の表情でも見ていれば済む。吊り広告は、動かないから。
でも、奴らは動くうえに、内容がコロコロ変わりやがる。人間は、人間である前に「動物」だ。人間の目は「動くものに反応する」ように、何万年、何億年かけてできてきた。それを突かれて、ついつい見ちゃう。ああ、嫌だ!
優先席があったり、女性専用車両があったりするけれど……「動画レス車(席)」を作ってほしい。
「動画垂れ流し」で、鉄道会社は利益を得るところもあるだろう。その分は負担してもかまわないと思う。
海外には、鉄道の改札口がフリーな国がある。ドイツがそうで、改札のラッチすらない。切符を持ってなくても、乗れてしまう。うまく(?)すると、そのまま降りられちゃう。下手をすると、正直者が馬鹿を見る。でもそんなセコいことを考えるのは、余程貧しい移民か日本人位で(ドイツに住んでいるアジアアフリカ移民のほとんどは誇り高く堂々としたものだ)、よしんばそんなセコ客なんぞに関わってムダにムカつく時間を取るなら、いっそ放っておこうという、ある面合理的な考えなのだ(もちろん、発覚すれば日本の数倍のペナルティ)。
そうだ。駅でチャンネル分けすればいい。
ひとつはスルーの乗車口。切符はいらない。改札機も駅員さんもいない。只で乗ろうと思えば乗れる。ただし、乗せられると、周りがビッチリ、オーロラビジョン。見たくなくても、有無を云わさず流し込まれる。
それが嫌なら、切符を買って改札口に並ぶ。自分の目の前で「あ、ここで満車でになりました。お後は次の電車になります」と、ゆわれるかもしれない。急ぐなら「タダ口」へ行ったらいいのだ……流し込まれる動画を我慢できる覚悟があるなら。
こんな世の中に、どうか、なりませんように!
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かつて塾講をしていた頃、なかなか難しい生徒さんを預かったことがある。
閉じこもっちゃう子。回りからはいじめられ、学校に行けなくなり、母上、困り果てて、それほど近くもないうちの塾に連れてきた。
オヤブンはノーテンキにも彼を預かった……と、書いたけど、実は陰で色々情報収集したり、悩んだりしてたみたい。結局、一人でも塾生がほしい、という意欲が優って、この先の苦労(あくまで前向きの……)込みで、預かることに決心したようである。
しかし、いざ任されるこちらは、まだほんの駆け出し。いったいどうしてよいやら……。
心理学の本を読みあさって、手立てを探った。
そこで出会った一つのテクニックがある。それは「オウム返し法」。
相手が話したコトバ。まずそれを受けて「いま、きみはカクカクシカジカと云ったね」と返す。それから初めて、自分の肯定意見なり反論なりを話す。
何でもない話し方のようだけど、そして実はコレ、非常に面倒なのだけれど、こうすることで、相手に「あ、この人、自分の話したことをちゃんと聞いてくれてるんだ」という安心感を持ってもらうことができる、のだ、そうだ。
この方法を読んだすぐ後、ラジオで幇間の一八が出てくる落語を聞いた。そのマクラが、旦那の云うことをそのままオウム返しするだけで世辞になる、という……。
「おう、一八、暑いなぁ」
「まったく、お暑うござんすなぁ!」
「でもこの頃、日が暮れれば涼しいよな」
「さいですねぇ、日が暮れると、涼しいどころかもう寒いくらいで」
「ところで、○○楼の●●、あれは、いい女だね」
「さいですね、●●さんくらいいい女、外にはありませんね」
「でもさ、よく見ると、どうもどこか目付きがよくない気がするよ。相当陰で泣いてる野郎がいるね」
「そうなんですよ、ただの目付きじゃないでしょ? ●●さんにいたぶられて泣いてる男の数なんて、まさに星の数ほどですよ」
「ただ、よくよく話して見れば、まったく悪人じゃないんだけどね」
「そうなんですよ、よ〜く話するってえと、悪人どころかなかなか気立てのいい娘でね。まるで弁天さま」
「よし、一八、これから●●の店へ上がろうか」
「結構でゲスな、●●さんの店へ上がりやしょう」
「……でも面倒だな、よそうか」
「面倒ですねぇ、止しやしょう」
なんてんで……。
噺を聞いて、納得、納得。以来、塾ではもちろん、いろんな場面で応用しようと思ってはいるのだが……。これがなかなか難しい。相手の言動を見て聞いて、受け入れて……という受け身に徹するなんて……。こっちにだって、云いたいことは山ほどある。でもグッとこらえて一旦すべてを受け入れる。一息置いてから、返すべきこと、返したいことを返す。
……これが、いい「間」なのかな。
高座に上がって噺をするのを再開してそろそろ2年。何が嬉しいって、ごくたま〜〜〜にだけど、こっちのしゃべったクスグリを、オウム返しに云いながら笑ってくださるお客さまがいらっしゃる。
ひとをどうこうする前に、気が付けば、何のことはない、オウム返ししてもらって喜んでいる自分がいた(苦笑)。
思えばあれからかれこれ4年……。彼ももう18,9のいい若い衆。
元気にしてるか、タクヤ。
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ワタクシにとって、福島での初めての夏以来。
前に既に書いたけれど、その年も、“暑い夏”だった。
気候もさることながら「慣れない職場で慣れない仕事」。お盆の福島で“震度5”の初体験もした。やっと夏期講習が終わったと思ったら、ホッとする間もなく、チェンバでのミニラジオの企画が走り出し……、「うつくしま芸人会」と出会ってしまったのは、たぶんその年の今頃。10月1日スタート時点で、既にテープが用意できてたんだから、たぶんそうだ。
今朝、ラジオを聞いていたら、東京は「26年ぶりの熱帯夜続き」だそうな。
26年前……。ワタクシ、何してたんだろ……。
あ、「高校3年生」の夏じゃないか!
「受験」は、意識になくはなかっただろうけど、ほとんど考えてはいなかったな(笑)。
まずは、東海道〜天竜川沿い北上〜諏訪湖〜山梨〜柳沢峠、という自転車旅行計画を立てて、見事走破。
そして秋の文化祭に向けて、スライドアニメの「声優」になったり、主題歌を作って伴奏のレコーディングもした……。
で、一応「落研」の部長もしてたから、ほとんど記憶がないけれど、噺のネタ仕込みも、きっと……。
こう暑いと「熱帯由来」のDNAが騒ぐのかな。何だか盛り沢山すぎた、この8月。でも……面白かった。
それはそれとして……もうすぐに控えた「麓寄席」、またしてもネタおろしのつもりでいるけど、大丈夫か!
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