コミュニケーションの極意
かつて塾講をしていた頃、なかなか難しい生徒さんを預かったことがある。
閉じこもっちゃう子。回りからはいじめられ、学校に行けなくなり、母上、困り果てて、それほど近くもないうちの塾に連れてきた。
オヤブンはノーテンキにも彼を預かった……と、書いたけど、実は陰で色々情報収集したり、悩んだりしてたみたい。結局、一人でも塾生がほしい、という意欲が優って、この先の苦労(あくまで前向きの……)込みで、預かることに決心したようである。
しかし、いざ任されるこちらは、まだほんの駆け出し。いったいどうしてよいやら……。
心理学の本を読みあさって、手立てを探った。
そこで出会った一つのテクニックがある。それは「オウム返し法」。
相手が話したコトバ。まずそれを受けて「いま、きみはカクカクシカジカと云ったね」と返す。それから初めて、自分の肯定意見なり反論なりを話す。
何でもない話し方のようだけど、そして実はコレ、非常に面倒なのだけれど、こうすることで、相手に「あ、この人、自分の話したことをちゃんと聞いてくれてるんだ」という安心感を持ってもらうことができる、のだ、そうだ。
この方法を読んだすぐ後、ラジオで幇間の一八が出てくる落語を聞いた。そのマクラが、旦那の云うことをそのままオウム返しするだけで世辞になる、という……。
「おう、一八、暑いなぁ」
「まったく、お暑うござんすなぁ!」
「でもこの頃、日が暮れれば涼しいよな」
「さいですねぇ、日が暮れると、涼しいどころかもう寒いくらいで」
「ところで、○○楼の●●、あれは、いい女だね」
「さいですね、●●さんくらいいい女、外にはありませんね」
「でもさ、よく見ると、どうもどこか目付きがよくない気がするよ。相当陰で泣いてる野郎がいるね」
「そうなんですよ、ただの目付きじゃないでしょ? ●●さんにいたぶられて泣いてる男の数なんて、まさに星の数ほどですよ」
「ただ、よくよく話して見れば、まったく悪人じゃないんだけどね」
「そうなんですよ、よ〜く話するってえと、悪人どころかなかなか気立てのいい娘でね。まるで弁天さま」
「よし、一八、これから●●の店へ上がろうか」
「結構でゲスな、●●さんの店へ上がりやしょう」
「……でも面倒だな、よそうか」
「面倒ですねぇ、止しやしょう」
なんてんで……。
噺を聞いて、納得、納得。以来、塾ではもちろん、いろんな場面で応用しようと思ってはいるのだが……。これがなかなか難しい。相手の言動を見て聞いて、受け入れて……という受け身に徹するなんて……。こっちにだって、云いたいことは山ほどある。でもグッとこらえて一旦すべてを受け入れる。一息置いてから、返すべきこと、返したいことを返す。
……これが、いい「間」なのかな。
高座に上がって噺をするのを再開してそろそろ2年。何が嬉しいって、ごくたま〜〜〜にだけど、こっちのしゃべったクスグリを、オウム返しに云いながら笑ってくださるお客さまがいらっしゃる。
ひとをどうこうする前に、気が付けば、何のことはない、オウム返ししてもらって喜んでいる自分がいた(苦笑)。
思えばあれからかれこれ4年……。彼ももう18,9のいい若い衆。
元気にしてるか、タクヤ。
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