漫画と落語・2
……続き。
「表題や写真とどういうつながりの話!?」というツッコミを入れたいところでしょうが、このまましばしお付き合いくださいませな。
大人になって大分経ってから、コドモの頃暮らしていた土地へ戻った。
歯痛に襲われた時、思い出したのはN先生。
30年の時は流れたが、変わらぬたたずまいの歯科医院の構えに、診療時間が明記してある。
そのごく近くの、ワタクシが世話になっていた耳鼻科の先生は亡くなって、医院も閉めてしまっていたけれど、N先生はご健在の様子。
入口のドアを開けて入る。古びてしまってはいるけれど、当時そのままの待合室。……こんなに狭かったっけ……。それに、当時はいつでも満員だったのに、待合室には誰もいない。閑散として、ひと気がない。
閉まっていた窓口をそっと開いて「すみませ〜ん!」と呼んだら、だいぶ間があって、すっかり白髪になったN先生がお出ましになった。
症状を訴えて、昔懐かしい治療椅子に掛ける。どうやら技工士さんも雇っていないようだ。おもむろに、昔ながらの煮沸消毒器に、先生が自ら火を入れる。
N先生、ワタクシを憶えているやらいないやら……。コドモの頃に散々世話になった旨、訴えてはみたけれど。
アタマはすっかり銀髪だけど、マスクをかけて「ハイ、ア〜ンして!」と、道具を手にして言う目の表情は、昔のままだ。
ところが……
その時のワタクシの歯痛は、以前治療して、被せものをした場所の中だった。先生、ワタクシの訴えを聞き、歯の表面を道具でコツコツ叩き、ごく簡易な装置で撮ったレントゲン写真を御覧になって……、こう、のたまった。
「ウ〜ム……。見た目はちゃんと、シッカリしてるんだよなぁ……。これは……、オレは、開けたくない!」
エッ! エッ! 先生、マジッすか!?
しかし結局、反論する気にもなれず、頓服薬を少々もらって「どうしようもなく痛くなったら、またおいで」という先生のことばを背に、懐かしいN歯科を後にした。
結局その歯は、福島へ移住して以降、二度の“大工事”をする羽目になり、それも今、そろそろガタが来出していて……。
恐らくもう二度とN先生のお世話にはなれないだろうけど、あの優しくも厳しいグリグリ眼は、一生忘れられない印象になった。
話をもとに戻すと、コドモの頃のワタクシ、あのN先生の眼の力に、魅せられていたのだろう。
さらに話を前に戻して……。ワタクシの幼き、若き頃の憧れの職業は、こんな風であった。
・小学校低学年……電車かバスの運転士
・小学校高学年……漫画家
・中学生……噺家かラジオのパーソナリティ、声優、「金八先生」の影響で学校の先生
・高校生……ミュージシャン、シンガーソングライター。そして、地方や海外生活に憧れた。それで“農大の拓殖”へ。
・大学生……なんだか訳わからなくなった。どうでもよくなった。
・社会人……パソコンを使うクリエイティブワークや、イベントスタッフを指向するも、なかなか叶わず……。
一時期は「人生なんて、思うようにはならないものだなぁ」と、憂欝の募った頃もあったけど、そしてもちろん100%叶っているわけではないけれど、今、自分は、かつてやりたかったことどもを、スケールはごくごく小さくなったとはいうものの、実現している。
鉄道模型。既製品に飽き足らず、製品にないものを自作するのに始まり、ついには架空の鉄道を構想し、その車両を作るところまで行った。
漫画。藤子不二雄とあだち充の模写をやりつつ、教科書の扉にはセンセイの似顔絵を描いていた。
音楽。自分の中から湧きだす詩とメロディーを書き留めた作品は100を超える。
福島へ拉致られて、塾のセンセイになり、小さな小さなラジオ局のパーソナリティーをやり、そこでは自分の音楽作品を流し、パソコンで印刷物を制作する仕事にありついて、アマチュア噺家にもなり、日々の移動はクルマの運転……。
鉄道模型のレイアウト=箱庭で遊ぶがごとく、自らの人生を楽しんでいるのだなぁ、ワタクシ。
表題と写真に話題を戻すべく、もう少し……続く!
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