14時46分
写真は一昨年の晩夏、女川を訪れた時に撮った、女川町営温泉施設「ゆぽっぽ」。
その後ろに見えるのが、女川町役場。
ここの風呂に入ったことは、このブログに書き残した。盲腸線の終着駅、乗ってきた同じ車両に戻って出発するまでの限られた時間内に、見るべきものは、事前のリサーチをろくにしなかったから、思い浮べられなかった。
そんな“乗りつぶし”のためだけに来る“鉄”のために、ここ「ゆぽっぽ」の風呂場には3色信号が灯されていて、次の列車の発車時刻によって、それが「青」→「黄」→「赤」と変えられる、という、粋な計らいに感心したものだ。
先日、ネットを色々見ていたら、女川の町の惨状の写真があった。ディーゼルカー2両が、線路のあった場所から山の方へ押し流されてひっくり返っている。
そして、JR東日本のホームページには、女川駅の現況の写真が載せられていた。
レトロで風情のあった木造駅舎は跡形もない。わずかに面影を留めるのは、駅舎の基礎のタタキのコンクリートと、プラットホームと、屋根だけ……。そして、ホームと屋根の残骸のすぐ隣に写っていたのは、今回の写真のバックにある、町役場……。
そこには、ワタクシが一時を過ごした「ゆぽっぽ」の姿は……、影もなかった。
その時のワタクシの行動を思い出すべく、石巻線のダイヤを検索してみた……。
ワタクシが女川に到着したのは、14時45分。出発が15時30分。
もしも、この3月11日に、一昨年の夏と同じ列車に乗っていたら……。
女川着とほぼ同時に、大地震襲来。当然列車は運転見合わせ。
そういう目に遭遇したら、ワタクシどうしていただろう。津波を避けて、生き延びることができただろうか……。
たった一時間足らず過ごしただけだけれど……、足を踏み入れて、「ゆぽっぽ」に入ったり、そこに入るためにうろうろ歩いて、なけなしのお金を引き出したりした街。
駅の改札を出た駅舎の階段の、何段目かが、青く塗られていた。そこは、昭和三陸津波がここまでやってきたというモニュメントだった。
たった一時間弱足を踏み入れただけの街だけど……。他人事には、思えない。
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コメント
海沿いを走っていた電車への被害は想像を絶するものでした…
新地のE721系、野蒜の205系、女川のキハ40…
女川は、駅に保存されていたキハ40も津波の被害に遭ったそうです。
でも、あれだけ車両への被害がひどいのに、死傷者がゼロであるというのはただすごいなと思うばかりです。
よく足を運んだところが津波の被害に遭ったので、もちろん他人事とは思えないし、正直今後行くのが辛いです…
投稿: 小野 | 2011年4月26日 (火) 22時21分
小野くん、毎度コメントありがとうございます。
今回の震災のニュースの中で、鉄道関係のかたがたの頑張りには、たいへん勇気づけられます。
沿岸の鉄路が一日でも早く復旧するよう・・・祈るだけです。
投稿: 卓 | 2011年4月30日 (土) 23時20分