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2011年4月29日 (金)

国見町・大枝地区子供会

昨年に引き続き、落語を依頼してくださり、お邪魔してきました。
メンバーも昨年同様「うずまき勉強会」3人を予定していたのですが、ツイ輝兄さん急用でキャンセル、ワタクシとすゞめ姐さんの二人となりました。当初、今日はワタクシ、落語は演らないつもりだったけど(子供さん向けの噺、稽古してなくて……)、悩んだ挙げ句、すゞめ姐さんのお勧めもあり、下記“根多帳”の次第となりました。

・とんぼ「寄席太鼓生演奏&レクチャー」
・すゞめ「ちりとてちん・がんばっぺ福島バージョン」
・とんぼ「カラオケ病院・短縮版」

大入叶


お付き合いいただいた会場の皆様、接待してくださった子供会役員の皆様、ありがとう存じます。すゞめ姐さん、そして朝、姐さんを我が家まで送ってきてくれたツイ輝兄さんも、ありがとうございます。

……帰ってきて数えてみたら、ワタクシが人前に出した演目で「カラオケ病院」が“最多上演”となりました(次点が「つる」と「蛸薬師」)。出前寄席向きの演目かな? 今後も掛ける機会は多くなりそうです(ワタクシの持ちネタの中で、数少ない“無季”ものでもあるし)。昨年夏、池袋でこれを聞かせてくれた桃太郎師匠、仙台で出会い、刺激をくれた友楽師匠に間助さん、そしてCD音源を残してくれた柳昇師匠に、感謝。


しかし、太鼓レクチャー、ちょっと長過ぎたかな? 上天気の昼間の子供たちを、部屋の中に引き付けるのは、難しい!

懲りずに来年も、招んでくださると、うれしいな。でも、もっと段取り、演目等、工夫しないとね……。

さぁ、明日は、御倉邸チャリティ寄席。ちなみに明日の高座で今月6席目。ワタクシの月間最多記録(……といっても、3月がゼロだったから、均せばフツーか……)。ネタ卸しで臨みます。演目は……お楽しみ!

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2011年4月26日 (火)

14時46分

14時46分
写真は一昨年の晩夏、女川を訪れた時に撮った、女川町営温泉施設「ゆぽっぽ」。

その後ろに見えるのが、女川町役場。


ここの風呂に入ったことは、このブログに書き残した。盲腸線の終着駅、乗ってきた同じ車両に戻って出発するまでの限られた時間内に、見るべきものは、事前のリサーチをろくにしなかったから、思い浮べられなかった。

そんな“乗りつぶし”のためだけに来る“鉄”のために、ここ「ゆぽっぽ」の風呂場には3色信号が灯されていて、次の列車の発車時刻によって、それが「青」→「黄」→「赤」と変えられる、という、粋な計らいに感心したものだ。

先日、ネットを色々見ていたら、女川の町の惨状の写真があった。ディーゼルカー2両が、線路のあった場所から山の方へ押し流されてひっくり返っている。

そして、JR東日本のホームページには、女川駅の現況の写真が載せられていた。


レトロで風情のあった木造駅舎は跡形もない。わずかに面影を留めるのは、駅舎の基礎のタタキのコンクリートと、プラットホームと、屋根だけ……。そして、ホームと屋根の残骸のすぐ隣に写っていたのは、今回の写真のバックにある、町役場……。


そこには、ワタクシが一時を過ごした「ゆぽっぽ」の姿は……、影もなかった。

その時のワタクシの行動を思い出すべく、石巻線のダイヤを検索してみた……。


ワタクシが女川に到着したのは、14時45分。出発が15時30分。

もしも、この3月11日に、一昨年の夏と同じ列車に乗っていたら……。

女川着とほぼ同時に、大地震襲来。当然列車は運転見合わせ。
そういう目に遭遇したら、ワタクシどうしていただろう。津波を避けて、生き延びることができただろうか……。

たった一時間足らず過ごしただけだけれど……、足を踏み入れて、「ゆぽっぽ」に入ったり、そこに入るためにうろうろ歩いて、なけなしのお金を引き出したりした街。
駅の改札を出た駅舎の階段の、何段目かが、青く塗られていた。そこは、昭和三陸津波がここまでやってきたというモニュメントだった。


たった一時間弱足を踏み入れただけの街だけど……。他人事には、思えない。

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2011年4月25日 (月)

今日から切り替え

「田楽」→「冷奴」に。

湯豆腐にしてもいいのだけど、向かう季節を思うと、ココはやっぱり冷奴。

しかし、年明けからこの春盛りになるまで、大地震直後の一週間ちょっとと、付き合いで外食して家で晩酌しなかった数日と、正月で帰省していた数日を除いて、よくも毎晩毎晩、豆腐を串に刺して焼いて味噌を塗ってまた焼いて、飽きずに田楽ばっかり喰ってたなぁ、上顎を火傷しながら……。

それがどうして今宵から冷奴に切り替えたかというと……。

今度、ソラで、冷奴を喰わなくちゃならないから(笑)!

いつもの「噺の実地稽古」に入っております(笑)。

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2011年4月23日 (土)

「東京焼盡」内田百間

「東京焼盡」内田百間
今は“トモダチ”になってくれている、アメリカ軍による東京空爆を、地べたから見て書いた“日記文学”だ。

……と、書いて、気が付いたことがある。
ホントはもっと別のことを書こうと思っていたんだけどなぁ……。
でも、ワタクシが今思いついた言い回し。我ながらなかなか現代風じゃん、と思ったが……。
「確定」して読み返して、……ゾッとした……。

ワタクシ、
「東京空爆」
と、書いた。

我が国では、普通なら「東京“空襲”」であるし、アメリカさんから見たら「東京“攻撃”」だろう。
でも「東京“空爆”」って?

やられる方はもちろん、やる方だって、当事者だ。
「空爆」というコトバには、当事者意識がまったく感じられない。
現場から隔たったところで、当事者達に、攻める方も守る方も色々な思いがあることなんかスッ飛ばして、自分は出演料をもらって、のうのうと好き勝手なことをしゃべってるコメンテーターが使いそうな。

ああ、嫌だ!

今、福島は、東北は、日本は「東日本大震災」で大変なことになっている。先日書いた通り、震災は進行中で、終わってなんかいない。

でもまだ“相手”が、われわれ人類の暮らす“地球の身震い”だから……仕方がない。

しかし、地球の反対側には「空爆」という、同じ“人間”、しかももともと“同じ国民”からの攻撃にさらされている多くの人たちがいる。「緊急地震速報」なんかじゃなくて「警戒警報」「空襲警報」に、身構えなくてはならない人たちが、たくさんいる……。

「震災」は、人知を越える……けれど、「戦災」は……。絶対、絶対に、起こしちゃならない。

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2011年4月19日 (火)

ニラそば

ニラそば
職場のお得意先のJAから、農産物購入協力願いの文書が来た。
今、福島の農産物は、ごくごく一部に応援してくださる動きはあるものの、余計な情報への過剰反応の影響、いわれなき差別の方がはるかに大きくて、大変な苦境に立たされている。
自分がわずかでも力になれれば……と思ったけれど、悲しいかな、独り者。さすがにキュウリ50本を一遍に買って、無駄なく食べきれる自信はない。
でも「ニラ10把」なら、なんとかなりそうだ。いくらかをご近所の親しいお宅に分けて、いくらかを保存用の「ニラ醤油」に加工して……。あとは毎日1把ずつ食べれば、不味くならないうちになんとかできっぺ。ヨシ!

昨日その「ニラ10把」がやってきた。まずは今度の“チャリティ寄席”の案内と一緒に3把、近所のカツヤさんへ。手元に7把。
昨日は豚肉と豆腐で鍋に。
今日は一日“休業日”。天気も悪いし、噺のネタ仕込み。昼食は在庫の中華麺で「ニラそば」だ。
大地震で長年愛用していたラーメン丼をなくしてしまったので、この頃ラーメンは土鍋に盛っている。

福島移住前に、タンドーオヤブンとよく行った、武蔵村山の天津園さん。オヤブンが店をナカイくんに譲る直前に、天津園さんに新登場したメニューが「ニラそば」だったっけ。

さてさて。今度の連休は30日(土)、3日(火)と「チャリティ寄席」が続きます。そこでワタクシ、ムボーにも“連発ネタ卸し”を目論んでおります……。一つは自らの震災体験から思い至ったもの、もう一つは、この5月アタマに3周忌になるタンドーオヤブンを偲んで、ずっとやってみたかった噺です。しかし……。

あと2週間しかないのにどうすんの!

周りには云わないけど、自分には云おう。「頑張っぺ!!」

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2011年4月17日 (日)

花見山

花見山
福島移住以来、初めて訪れた。落語仲間の笑遊師匠、ツイ輝兄さんのお誘いで。

小太郎ちゃんが現地で合流、オッサン3名、女子高生1名という、不思議な道連れで、満開の花見山の散策。


風評で誰も来ないと思ったら、あにはからんや、いっぱいの人出で賑わっている。
フツーの春ならとてもじゃないが、人込み嫌いのワタクシには……。よし、今年は千載一遇のチャンス!

みんな、考えることは変わらないとみえる(笑)。

つい先週訪れた志津川の方々、そして同じ福島県民、福島市民にも、震災でずっと避難生活を送っていらっしゃる方々は少なくない。

皆様にはたいへん申し訳ないけれど、今日は快晴の空のもと、満開の花見山を堪能して参りました。

タンドーオヤブンが、もしワタクシを、福島へ拉致ってこなかったら……この一月あまりの色々も、そして今日の花見山の景色も、経験することはなかった。

オヤブンが懸念していた原発事故。現実になっちゃった。これから福島は、大変な苦労を背負わなければならなくなっちゃった。
でも……。
今日、花見山を歩いて来たかぎり、福島は、やっぱり捨てたもんじゃないよ。

常々「人の輪だ!」と云っていたタンドーさん。色々な人たちとの“輪”のきっかけを、ありがとう。

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2011年4月14日 (木)

首提灯

首提灯
演芸仲間(というより、大先輩)の“花見宴”、例のごとく足元がおぼつかなくなる状況で、やうやう帰宅。

しかしなにか、物足りない。今日の福島はずいぶん温かかったから、やっぱり冷奴でしょ。
薬味の候補はいろいろあるけど、やっぱり地元福島の葱を刻んで。

……たまりませんなぁ!


そろそろ当地も桜の見頃。近頃、この時期になるとごった返していた、福島市の花見山や、三春の滝桜。この春は外から誰も来ないから、愛でに行くいい機会だと思っていたのだが。

思うことは誰しも同じとみえて、いずれも中々の人出だそうだ。

「フクシマ」と見聞きするだけで過剰反応する人が、あるという。まぁ、ある程度はしょうがない。
でも、あんた達、平気で広島の牡蠣も、長崎の鰺も喰うじゃない? たいしてレベルは変わらないんだよ……。

2年前、裏磐梯を訪れた。あの山が、約100年前、大爆発して、今の裏磐梯の景観ができた。でも、今、あそこの湖になっているところは、フツーに人々が生活している“村”だった。

100年後……、福島第一原発跡地に、ああいう記念館が建つのかな……。人類未曾有の「忌まわしきこと」を、記念すべく……。

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2011年4月11日 (月)

震災は終わっていない

あの巨大地震から、一ヵ月。
亡くなった方々を悼み、慰霊の集まりが各地で催されていた。

わが職場でも、企画部長Oさんの呼び掛けで、地震の起きた2時46分、全社で黙祷をささげた。

ところで……近ごろ、気になって、とても腹の立つ言い回しがある。
“震災から一ヵ月が経った”と云う表現だ。
コトバに敏感なはずの、某国営放送ラジオでも頻繁に耳にするから尚のこと腹立たしい。

“震災”とは、地震によってもたらされる災害のこと。
福島原発事故はまだまだ収束の見通しが立たない。昨日訪れた志津川をはじめ、たくさんの方々が避難所で窮屈な生活を強いられている。行方のわからない人たちの人数もはっきりわからないし、津波で亡くなった方々のご遺体の収容だってままならない。被災した工場や商店は回復できていないし、交通も寸断している。そして、大きな余震に怯える毎日……。
震災は、終わってなんかいないのだ。現在進行形で続いているのだ。

断じて“震災から一ヵ月”なのではない。“巨大地震から一ヵ月”“震災「発生」から一ヵ月”なのだ。我々は未だ、震災の渦中にある。震災は、ちっとも終わってはいない。

大きなお世話の余談。
さっきの余震で福島第一原発の外部電源が停まった。その後の記者会見に出た、保安院のお役人さまの発言、「電源がトリップした」って……。
繰り返し流れてたけど「トリップ」「トリップ」と云ってる。
今まで“安全神話”にラリってたのか……さもなきゃ今すぐどこか人の来ないところへトリップしたくなっちゃったのかい?
こないだまで病院にトリップしてたT電の社長様が、今日福島においでになったらしい。散々な来福だったのは当然だけど……。知事に面会を断られながらも、足を運んだ(もっとも、アシはヒコーキ+ハイヤーだろうけど……)ことは、認めてもいいと思う。

偽善だ、打算だとなじる人もいるけど……。みんな、精一杯のことをしてくれているのだと、信じたい。

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2011年4月10日 (日)

志津川落語行脚

本日は、宮城県南三陸町志津川の、真奈津家円典くんのお招きで、落語行脚に。


街の様子は……。とても、語る気になれません。

そんな中、ボランティアスタッフとして、懸命に活動している円典くん。最初は、防災服をまとって、某官房長官のような固い表情だったけど、着物に着替えたら徐々に柔らかくなってきて、夕方には、着物にゴム長履きプラスヘルメット、という珍妙な格好で、可笑しさを振りまいてくれた。


いつかぜひ、お客さんも演者も無邪気に楽しめる落語会、一緒にやりましょう! そんな日が一日も早く来ますように。

志津川出前落語・根多帳
(一席目・志津川小学校、二席目・ベイサイドアリーナ)
・円典「眼鏡泥」
・ツイ輝「やかんなめ」
・すゞめ「(一席目)転失気(二席目)厩火事」
・ケロ美「がまの油」
・とんぼ「カラオケ病院」

以上。

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2011年4月 9日 (土)

酒呑みの自己弁護

酒呑みの自己弁護
と題した小説だったかエッセイだったかがある。誰の作だか忘れたが。

何でも、日本酒は、放射能障害除けになる、らしい。
ビールには、一定の効果があると実証されている、らしい。そして、ビールの“有効成分”が日本酒にはビールの数倍〜十数倍、含まれている、らしい(気になる人は、ネットで検索してみましょ。ゾロゾロっと出てきます)。

コレがホントなら……Konちゃん夫妻が送ってくれた「鬼ころし」、的確な“救援物資”か!

ただ、この“放射線除け”、過剰摂取の副作用の方が、どう考えてもひどい(苦笑)。

まさに「程々ならば百薬の長、過ぎれば命を削る鉋」だね。

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2011年4月 6日 (水)

救援物資

友というのはありがたい。
こんなワタクシにも、いろんな救援物資を送ってくれる。
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相模原のIくん。JT出荷停止の話をしたら、彼の地でも在庫が厳しい中、かけずり回って3カートン送ってくれた(「わかば」がハンパなのは、職場の同僚とご近所のカツヤさんにお裾分けしたので)。
う〜む・・・。これでは禁煙できないではないか(苦笑)。
こういうIくんみたいなヤツのことを「悪友」というのだな。

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練馬のRieさんからは、食品いろいろ詰め合わせ。
すべてありがたいものばかりだけれど、特に嬉しかったのが「ツナ缶」。
地震前に「買っとけばよかった」と、悔やんだ一品。さっそく、ただゴハンにかけて、一緒に入れていただいた味付け海苔を巻いていただきました。ウマイ!

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札幌のKonちゃん夫妻からは、お酒。
淡麗辛口、飲み口スッキリ、油断をすると一晩で呑んじゃいそう・・・なので、付属のお猪口で2〜3口ずつ大事に呑んで、あとは普段の安酒に切り替えよう。
そして、これがまた「増毛」のお酒なんだな(ましけ=北海道の町の名前ですよ・・・笑)。大いに笑うとともに、心遣いに感謝。


みんな、ありがとう!

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2011年4月 4日 (月)

世の中に不味いもの無し

毎日食べるもの、飲むものが、じつに美味い。
別に、金に糸目をつけないなんてことはなく。手に入るもの、ありあわせのもの、いただきもの……。不味くて残した、なんて、ほとんどない。だから、我が家から出る「ナマゴミ」は、せいぜい茶ガラと野菜の皮程度だ。

ただ、この震災中、不味いのを我慢しているものが、ひとつある。

ワタクシ、朝ご飯は普段は食べない。その代わりに、粉茶を濃ゆいめにいれて、そこへ砂糖と牛乳を加えた「グリーンティー・オ・レ」を、ジョッキに一杯飲んで出かける慣わし、だった。

この震災で、牛乳が容易に手に入らなくなった。原因のひとつは「流通の寸断」。まぁ、これはしょうがない。
腹立たしいのは、福島県産の牛乳に“危険”のレッテルを貼られてしまったこと! これで「ワタクシの朝飯代わり」が、すっかり厳しくなっちゃった。

しかたがないから“クリープ”を仕入れてきて、お茶にまぜてみる。これがまぁ……。生臭いのなんの!

コーヒー・紅茶用のクリーミングパウダーやポーションは色々あるけど、クリープ以外は植物油脂由来。ここはやっぱり“乳製品”の“クリープ”でしょ! と高いのに目をつぶって買ったのに……。

二日目には、もう、慣れたけど(笑)。

福島県産の牛乳、早く普通に流通させてほしいなぁ。多寡の知れた放射線値なんぞより、煙草やお酒の呑みすぎ、風評で右往左往するストレスの方が、よっぽど身体には良くないんだからさぁ!

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2011年4月 3日 (日)

避難所落語会・2

今日は福高避難所。
さすが、体育館が大きい。あそこで、新入生はスリッパ持たされて「応援歌講習」を受けるわけだ。

その広さのためか、年齢層が幅広い。小さな子供が多い。

出囃子のラジカセの支度をしていたら、80+と思われるおんつぁまが、紙とペンを持ってきて「サインして」と、おっしゃる。
「いや、プロじゃないですから勘弁してください」とお断わりしたのだが、聞き入れてくださらない。じゃあ、何か一筆書いてさしあげれば、喜んでいただけるのだと気持ちを切り替え「どちらから避難していらしたんですか」と尋くと「イソベの蛯恒だ」という。あとの“蛯恒”は、おんつぁんの名前(蛯原恒○。○はわからなかった)。

咄嗟のこととて、金釘流で
 蛯恒さん江
 いそべの皆さんが、一日も早く、もとのところでよりよい暮らしができますように!
 とんぼ

と書いた。
蛯恒のおんつぁま、それを見て「俺の家も、津波で何にもなくなっちまったんだぁ」と、云った。そして、ワタクシのマズイ字の下に、日付を書き入れると、ニッコリしてワタクシの前から立ち去った。

耳の遠いおんつぁまに、ワタクシは何ができるだろう?
とにかく、今日の一席を懸命につとめること、そしておんつぁまのことを生涯記憶にとどめること。それくらいしか今はできない。


帰宅して地図を確かめる。磯部は、相馬市南部の集落だ。福島へ移住してきた翌年のGW、原付エイプで松川浦を訪れた。その時、磯部もかすめてきた。あの平穏だった一面の田園が、すっかり跡形もなくなってしまったのだ……。


今日の皆さんは、昨日の方々より重かった。でも、高座前に設置した椅子席で、ずっと噺を聴いてくれていた子供たちが、ニコニコしながら「おじちゃん! おもしろかった!」と握手を求めてきた。全然、子供向けの噺じゃなかったのに。
客席の後ろで、さり気なく、拍子をとってくれた、ツイ輝兄さん、ありがとう! 慰問落語のきっかけを作ってくれた、すゞめ姐さん、ありがとう! そして……未熟な我々の噺に拍手をくださった、我々よりもっとたいへんな思いをなさっている皆さん……。
むしろこちらが、元気をいただきました。
感謝です。

本日のネタ帳。

ツイ輝 権兵衛狸
すゞめ 転失気
とんぼ カラオケ病院

以上。

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避難所慰問落語会

2日夕方、ツイ輝兄さんの肝煎りで、福島南高校体育館で避難生活を送っておられる、南相馬市の皆さんに、落語をお届けしてきました。

高座の周りに集まっていただいた皆様、そして、一人畳一枚あまりのスペースに座って、耳を傾けてくださった皆様……、少しは笑っていただいて、張り詰めた気持ちをほぐしてくださったようです。
普段とは違う緊張感、そして手応えを感じたひとときでした。

皆さんが、住み慣れた土地で、よりよい暮らしができる日が、一日でも早く、来ますように。


ネタ帳
・ツイ輝 やかんなめ(挫折)→狸の札
・すゞめ 転失気
・とんぼ カラオケ病院

今日3日は、福島高校の避難所へ。そして、来週10日・日曜日は、大津波で被災した南三陸町・志津川へ、落語行脚して来ます。

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