アタック、チャ〜ンス!
児玉清さんが、亡くなった。
児玉清さんと云えば「アタック25司会者」が一般のイメージらしく、ネットで見た報道各社の訃報記事でも、ほとんどがそんな取り上げ方だった。
ワタクシも実は、そういうイメージの持ち主のひとりなんだけど……。ただ、自宅で「アタック25」を観たことが、ほとんどない。
アタック25というクイズ番組の存在を知ったのは、1994〜95年頃「ネオ・ライフ」のバックスペースに入り浸るようになってからだ。
日曜日の昼下がり。タンドーのオッサン、突如仕事の手を止める。あれ? ついさっき昼飯済ませて戻ってきたばかりなのに……。
「お〜い“卓”、アタック25の時間だよぉ〜! 観るべ!」という声がするやいなや、テレビのスイッチを入れて、どっかり前に座を占めている。
「予選だけでもいいから、どんな物知りな奴らが集まって来るのかを見物するだけでも面白そうだから、とにかく一遍予選に応募して出ようぜ!」と、いつも云われたものだ。
オッサンが福島へ帰ってきて学習塾を開いてからも、日曜日に教室へ出てきた時は、おもむろにテレビのスイッチを入れ、自習に来ていた生徒達に向かって「お〜い! 参考書なんかに首突っ込んでる場合じゃないぞ! そんな暇があったらコレを観ろ。こっちのほうがよっぽどタメになるから!」と大声で云う。
商売がクルマの修理屋から学習塾の塾頭に変わっても、日曜の昼下がりは相変わらず「アタック・チャ〜ンス!」なのだった。
タンドーさん……、一緒に「モン・サン・ミシェル 7泊8日の旅」に行って、ワイン呑みまくりしたかったねぇ(笑)。
ま、今度はそっちで「アタック・チャ〜ンス!」が始まるだろうから、日曜日の昼下がりが楽しみだね。
で、こっちは……。
どういう難関が待ち受けているかわからないけど、この夏秋に、あることに「アタック」してみようかと思ってますぜ。
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