明治の鉄道
明治時代「鉄道」は、先端ハイテク技術のカタマリだった。
ワタクシが生まれるおよそ100年前の明治5(1968)年「♪汽笛一声、新橋を〜」と走り始めた陸蒸気。それから40年後の明治末には、日本全国に鉄道網が発達。しかもその初期には全く未知だった“電気”という新たなエネルギーで走る“電車”の路線が生まれ始めている。
それだけではない。機関車の性能や土木・車両製造技術も大幅に進歩した。客車や貨車は飛躍的に大きくなり、スピードも大幅に向上。そして、ローカル私鉄が雨後の筍のごとく発生してくる。
この時代の何がすごいか、といえば、幹線の「スクラップ・アンド・ビルド」だ。土木技術が未熟なゆえにできなかった長大トンネル、長大橋梁が建設できるようになった。それで「輸送の隘路」が解決されるとなると……未だできてから20年未満のところでも、旧い設備は惜し気もなく廃棄されていった。
もちろん、現代とは、世の中のシステムが違うから、単純に応用できないだろうけど……。
でもこの40数年。日本人は何をして来たかしら。
もともと変化が激しい土地柄だから「好奇心」豊かで「既得権がいかに虚しいか」を知っているはずなのにね。
明治の終わり頃、わが福島に「軽便鉄道」が開通した。それ以前「鉄道」には、色々な風評があった。やれ、陸蒸気の煙で公害が出るだの、輸送体系の変化で街が寂れるだの……。
それはある面、当たっていた。確かに輸送の“既得権”は、雲散霧消した……。
「それじゃあ、わがの村にも鉄道を」と、軍隊の助けを借りて引いたまではよかったけど……、機関車の煙突から吐き出された火の粉で、一面が大火に見舞われた……。それで、福島の「軽便」は、かなり早く電化が成った。
ワタクシが幼い頃好きだった「きかんしゃ・やえもん」の絵本のエピソードは、この事件をもとにしてるとかしてないとか。
大地震発生後、福島市民を勇気付けてくれたのは、この軽便の流れを汲む“飯坂電車”のいち早い復旧と、福島交通バスの奮闘だった。
世の中、何が幸いするか、わからない。あざなえる縄の如し、塞王が馬だね。
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