穴原・月之瀬 避難所落語会
今日6月5日、飯坂の奥座敷・穴原「月之瀬」に“計画避難”でいらしている川俣町・山木屋の皆さんに、われわれの落語を観覧していただいた。もともと、いさん師匠への依頼だったけど、諸事情によりワタクシが代演。
山木屋……残念なことに訪れたことはないのだが、わが“私塾 慧學舘”の英語講師だったジョーさんに云わせれば「川俣の山木屋は、とてつもない田舎で……」とのこと。耳のタコがウオノメになるほど聞かされた。
酪農が盛んらしく、福島市のスーパーの牛乳コーナーには必ず「山木屋牛乳」の瓶が、ビンボーなワタクシなんぞには、とても手を出せないプレミアムプライスで、いつでも誇らしげに並んでいた。
学生の時にたいへんお世話になった、北海道の音威子府のようなところなのかな? と、何となく思っている。
音威子府の酪農家のオヤカタが「内地の人がここに来るとなぁ、みんなホッとするんだ」と云ったのを思い出す。北海道といえば「見渡すかぎりの地平線」というところが確かに多いけど、音威子府は四方を山に囲まれた小さな盆地。天塩川がその真ん中をトウトウと流れ、当時は宗谷線と天北線の分岐点で“鉄道の村”でもあった。
不思議と福島に似ていなくもない。
音威子府は盆地だから、夏は暑く、冬は寒い。「夏の暑さは、どこでも暑い! でも、冬は、家にいれば大丈夫だし、着込めばなんとかなるしなぁ。だいたい、冬なんか暇だから、今度は真冬に遊びに来なさいよ」とオヤカタ、宣う。でも「暑い、クソ暑い!」とボヤキながら、内地はまだ残暑厳しい9月半ばには、その年の畑作業はほとんど完了させている(もっとも、その位に終わらせないと、9月末には霜が下りてすべてパー!)。
音威子府の細川オヤカタと、「夏期講習が塾の一年を決めるのだ!」といつも云ってたタンドーオヤブン。これがまた不思議と似ている。
高校の先輩、田中ユージローさんや、オヤカタや、付き合いのある育成農家(子牛を成牛に育てるまでの仕事を専門にしている)の若旦那に、そう広くもない村中、連れ回してもらったっけ……。
ユージローさんの隣のハラさん宅でご馳走になった、キンキンに冷やした牛乳が美味しくて美味しくて、調子に乗ってガブガブ飲んだら、たちどころにひどい目(ピーピーゴロゴロ)にあったっけ……。
そんな、もうすでに四半世紀も昔のことが、いま、ありありと脳裏に浮かんでくる……。
福島に……原発事故さえ、なかりせば。
本日の根多帳
笑遊「紙入れ」
すゞめ「ちりとてちん(がんばっぺふくしまバージョン)」
とんぼ「紀州(オヤブンの云うことなんて、ちっともあてにならねぇなバージョン)」
本日のワタクシの反省。
政局があると「紀州」を演りたくなる。時事ネタを入れやすくなるし。……でも「出前」で演るべきものか? 男性にはウケたけど。ジジネタだから!?(失礼!)
今日も「カラオケ病院」にしたほうが、よかったかな〜……。
音威子府の、細川のオヤカタ。もう相当なお歳になるはずだけど……。元気でいらっしゃいますか?
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コメント
はじめまして。
突然ですがこの日記にでてくる音威子府の細川さんという方のお名前を教えてください。
もしかしたら母の親戚かもしれないんです
投稿: コロ | 2011年12月 5日 (月) 08時55分
コロさん、はじめまして。ご来訪、ありがとうございます。
一所懸命記憶をたどって、思い出しました。細川正美オヤカタ(漢字は違うかもしれませんが)です。終戦後の初代村長(当時は「常盤村」)のお孫さんです。
ネットで見たのですが、懐かしきオヤカタの家と牧場は、工事中の国道40号バイパスのトンネル入口になってしまったらしく、今はもう無いようですね・・・。
残念。
投稿: 卓 | 2011年12月 6日 (火) 12時25分
返事が遅くなってごめんなさい
やっぱり母の親戚でした(*´∀`*)母はもう北海道に20年以上帰ってないのでこの記事を教えたら喜んでいて久しぶりに連絡するきっかけになりました
ほんとにありがとうございました
投稿: コロ | 2011年12月11日 (日) 16時58分
コロさん、よかったですね!
はからずも、当ブログが“絆”を改めてつなぐお手伝いができたこと、嬉しく思います。
投稿: 卓 | 2011年12月13日 (火) 12時28分