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2012年3月12日 (月)

長屋の花見

先日のワタクシの高座。いさん師匠にも、お褒めいただけまして……恐縮至極。ありがとうございます。
先月の本宮の高座には、すゞめ姐さんから、嬉しくなる感想もいただき、ホント、有り難い次第です。

ところが実はワタクシ自身、長屋の花見でそんなに皆さん笑っちゃっていいの? と、高座で演じながら一面戸惑っているところもあり……。何故こんなにウケるのか、ちょっと分析してみましょう。

長屋を舞台にした落語には、よく大家さんが登場するけれど、ほとんどは脇役か、けちな悪役だ。「たらちね」「天狗裁き」「堪忍袋」「らくだ」「廿四孝」「大工調べ」……。

ところが「長花」の大家さんだけは、しっかり噺の主人公。しかも、始終ゴキゲンで、ニコニコしている。それどころか、毎月納めて当たり前の店賃を溜めているのを、店子が後ろめたく思って言い訳しようとするのを抑えて「うちの長屋が貧乏長屋だなんて、悔しいじゃないか」と、店子と運命共同体のつもりだ。
そして花見に誘うわけだが、まともに店賃の入らない大家だから、本物のご馳走を支度する金なんかない。飲ませたつもり、飲んだつもり、ひいては「店賃をきちんきちんともらってるつもり」、お大尽のつもりをやろう、と、店子の面々を誘う。
受ける店子も粋なもの。大家さんの「“つもり”遊び」に戸惑いながらも付き合うわけだ。

落語は、先日の開口で、笑遊師匠が言ってたように「想像力を観客に求める芸」。
演者は噺の登場人物になりきっているつもり、しかも我々はアマチュアだけど、高座の座布団に座った瞬間、憧れの名人になりかわったつもり、お客さまはそこにいるのがアマチュアなんて忘れて、プロの噺を聴いてるつもり(……こればかりは、いつも至らなくて恐縮)……。

この春の、ワタクシの「かいしんの いちげき!」は、偶々幸いにもこんな色々な要素が、ピッタリ合わさったということなのでしょう。

「つもり」「つもり」と書いていて、思い出した。
去年の秋、仙台で観させていただいた、東北学院大落研・現部長、福楼くんの「だくだく」、絶品だった!

いつかワタクシと「バーチャルリアリティ落語」二人会、やりましょう!

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