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2012年4月 3日 (火)

♪あ〜 那須野が原に〜♪

黒磯といえば、忘れもしない、昭和61年8月4日の夜。

東日本学生サイクリング連盟(略称・ESCA)の、明治大学ワーゲンレンカー部主管「那須ラリー」打ち上げの当日。

巨大な台風がその晩、関東平野から福島県中通り、そして宮城県を通過した…。


ESCAラリーの打ち上げとなれば、キャンプファイヤーを囲んでの大宴会なのだが……豪雨と強風の中、そんなバカ騒ぎができるはずもなく、それまでの3日間をともに過ごした班ごとに、キャンプ場の常設テントに籠もって、ひそやかな分散開催となった。
たった3日でも、同じ釜の飯を喰った仲。和気靄々と盛り上がり、ひとつテントに男女の別なく、寝袋並べて、暴風大雨の音を子守歌に、寝入った……。

翌朝。昨夜の大荒れの天候がウソのような、清々しい穏やかな青空。解散前の最後の朝食をみんなで作って食べて、黒磯駅へ下る。

大概の参加者は、そこで別れて東京への帰途についた。ワタクシ含む数名は、ここから「青春18きっぷ」利用で、北海道へ向かおうと計画していたのだが……。
東京方面行き電車は走っていたけれど、北へ向かう列車はまったく運行のメドが立たない、という……。万事休す!

仕方がないから、北海道向けメンバーは、黒磯駅構内の、使われていない貨物ホームにテントを張って、一夜を過ごす。顔触れは変わったものの、ほとんど昨夜の打ち上げの続きみたいなものだ。

烏カァで夜が明けて……「仙台行き」が出ると聞く。あわてて支度して、電車の座席に落ち着いたまではよかったのだが。

停まる駅毎に、やけに停車時間が長い。
黒磯を発車したのが6時だから、通常なら8時頃福島、9時半仙台。当初予定してた平泉の観光はあきらめなけりゃならないけど、夜行の“連絡船”には間に合うだろうと思ったところが、甘かった……。
福島着、ほぼ正午! 福島駅で1時間ほど停まっていたかな……。ただ、いつ発車するかさっぱり読めないから下手に車外に出てうろつけない。座席から、ひたすら現・エスパルの灰色の壁や、時計と睨めっこしてたのだろう。駅の片隅に出たり入ったりしていたはずの、当時はまだリンゴ色をまとっていた飯坂電車を見た記憶が、これっぱかりもない。駅弁を買って食べたはずだが、その覚えも全くない……。

そして……仙台に辿り着いたのが……、夕方5時!

一ノ関行き電車に乗り換えて、車窓から観た景色は忘れられない。
「ああ、これが松島か。ああ松島や松島や」と風流に感じて、目を凝らしたら……、水面から顔を出しているのは島なんかじゃなく、民家の屋根だった……。

辺り一面の“海”に、頼りなげに一筋だけ、細く残った盛り土の線路を、そろりそろりと進む電車……。

結局その晩は、盛岡で“駅寝”した。

福島市も浸水に見舞われ、梁川町が大きな被害を受け、仙台平野が“松島”と化した、8・5水害。ワタクシは一介の旅人にすぎなかったけれど、リアルタイムで経験したのだ……。

タンドーオヤブンと知り合う、1年半ほど以前のこと。
その時、一緒に北海道へ渡ったうちの一人、Mが、この世を去って、もう4年。

たまに仙台へ向かうとき、桑折〜国見へかけて、右側に展開する段丘、後方に広がる信達平野の景色とぽっかり浮かぶ信夫山の姿を目にすると、いつも胸がじんわり熱くなり……、8・5当日のこと、そして、Mやタンドーオヤブンの面影を思い出すのだ。

昨日一日中、♪なす、なす、那須野が原音頭♪のメロディーに加え、自分の思い出が、ずっと頭の中でぐるぐる回ってて、我ながら使い物になってなかった……。

え? 「それって、ただの二日酔いじゃないの」ってか?


肯定も否定もしないでおきましょうかね(苦笑)。

今夜、窓の外は“爆弾低気圧”の暴風が吹き荒れている。

大きな災害になりませんように……。

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