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2013年5月30日 (木)

卓的「みそかんぷら」

卓的「みそかんぷら」
今日、福島の地元紙サイトを見ていたら、あるコンビニチェーンで今週末の“東北六魂祭”に向けて、福島の郷土料理を詰め合わせた弁当を発売する、という記事があった。

そのオカズの一品に「みそかんぷら」とある。

「みそかんぷら」???

福島に9年いるから「烏賊人参」も「あさつきの酢味噌和え」も「蕗味噌」も「紫蘇っ葉巻き」も「凍み豆腐」も「凍み餅」も「ラジウム玉子」も「円盤餃子」も「鰊の山椒漬け」も「福島りょうぜん漬け」も「紅葉漬け」も「柏屋の薄皮饅頭」も「ままどおる」も「エキソンパイ」も「会津の天神様」も「かりんとう饅頭」も「コーヒー大福」も「太陽堂の麦せんべい」も「いもくり佐太郎」も「巻きせんべい」も……知っているけど「みそかんぷら」なる不思議な名前の料理なんて、聞いたことがない。

調べたら、要するに「揚げじゃがいもの味噌だれまぶし」。
じゃがいものことを福島では「かんぷら」と呼びならわしていたそうな。云われてみれば、極めてストレートなネーミング(笑)。

「寄合酒」の中の、とあるセリフを福島弁で云うと、こんなふうになるのかな。
「オンツァマよ、この風呂敷さ、かんぷら5〜6個ハァ、載っけてけらんねべか?」

そんなことを気掛かりにしていたワタクシを狙い撃ちするがごとく、夕方買い出しに立ち寄った店に「みそかんぷら」に正におあつらえ向きの、小粒な新ジャガが!

「いつ喰うの?」
「今でしょ!」

例によって、うろ覚えのレシピを手前勝手テキトーにアレンジして、とりあえず作ってみた。ちなみに今回は八丁味噌を使用。

不味くはなかったけど……想定内を出ないなぁ……。
次はもう一工夫、考えてみようっと!

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2013年5月29日 (水)

決して暇ではないのだが

……ハハハ。自分で読み返しても、今日のは長いゾ! 読者の皆様、お覚悟、お覚悟ォ〜!(笑)

仕事中に、インターネットにある材料を探しに行ったり、調べものをすることが、よくある。
もちろん私用はご法度。だが、始業前と昼休みのひとときの、ニュースサイトチェックは欠かせない。

ホントは新聞が大好き。福島に来る前は必ず購読していたし、実家に帰れば先ず新聞を手に取る。

購読紙は滅多に変えないという、販売店にとっては「上客」であったはずだけど、勧誘員にはとてもイヤなお客だったろう。

ところが……。
こともあろうに、二回前の引越と前回の引越で、タコ販売店が連発して全く同じ失敗をやらかしゃぁがった。
事前に引越日時を電話しておいたのに、配達担当に伝わってなかったのだ。

一回目。

ワタクシが入居したその宵に勧誘に来たから気持ちよく契約、以来毎月ニコニコ顔で集金に来るオッサン。持ち合わせがなくて、居留守かましてチョイと迷惑をかけたことも度々だったから、最後くらいはきっちりしたい、とて、販売店に電話をかけて、配達の停止と集金を頼んだ。

せっかく財布にお金を支度して、呼び鈴が鳴ったら飛んで出ようと思っていたのに……。
荷物を積み終えたトラックを発車する瞬間まで、心待ちにしていたのに……。
とうとうオッサンは、顔を見せなかった。

月の半ばのことだったし、最初はあんなにフットワークの軽かったオッサンだ、。半月分オマケしてくれたんだ、と、感謝して、トラックを新居へ向けた。

半月後。
件のオッサンから電話が来た。
怒っているらしい。

「無断で引っ越すなんて、酷いじゃないか!」
「え!? だってこっちはちゃんと電話したよ」
「そんなの聞いてない。誰に言った!?」
「お店の女の人に」
「名前は!?」
「そんなのいちいち訊くわけないじゃん」

こんな「言った言わない」の言い合いくらい、不毛なものはない。
面倒になったから、向こうの云うだけの金額を、現金書留で送りつけてやった。

但し、全〜部、一円玉で!
郵便局の窓口さんが、怪訝そうな目付きでこっちを見返していたっけ……。

そんな経験があったから、トーキョーを引き払うとき、電話口の向こうでワタクシの用件を聞いたオバサンの名前を確認して、メモも残しておいた。

5月を少し残して、会社とも円満にオサラバして、6月1日未明、ステップバンの荷台一杯に荷物を積んで出立。福島へ到着してまず、当時のオンボロ福島市役所へ、転入届けを出しに行った。

「市役所に 転入届を出したから 6月1日は移住記念日」。
あくびの出そうな、ごくごく穏やかな、昼下がりだったっけ……。

ただ、それは引越前半戦。とりあえず拠点確保ができたから、タンドーさんの塾に顔を出したり、辺りを探検したりしながら、1週間過ごした。
そして、完全引越のために旧居に舞い戻った瞬間。

ワタクシ、キレた!

末日で止める約束の新聞が、郵便受けにワンサカ溜まってるじゃないか!!

即刻販売店へクレームコール。今度はメモがあるからグウの音も云わせない。誤配分の料金棒引きはもちろん、集合住宅だから、要らない新聞紙もすぐ引き取りに来る約束を取り付けた。
でも、それだけでは、煮えくりかえったハラワタの収まりがつかなくて、販売店の元締め会社(前のことがあったから取る新聞を変えたんだけど……あにはからんや、販売店が同じA系列……)にさらに電話して、小一時間、文句タラタラ、怒鳴りまくった。

それでいささか溜飲を下げて、近くに路駐していたステップへ荷物を取りに戻ったら……

ガ〜ン!!

ドアミラーに、黄色いペンダントが……

ハンドタオルをくれようが、東京ドームのフリーパスをサービスされようが、福島の販売店さんには悪いけど、金輪際ワタクシ、新聞なんか取らないんだもんね!

あ、そうそう、ネットサーフィンの話だった。

とある漫画&アニメ作品が、裁判沙汰になって、えらいことになっているらしい。
漫画作品は読んでないけど、アニメの主題歌ならワタクシ、アカペラで唄える。

♪そばかす なんて 気にしないわ♪

……以下の歌の作品がかつて揉めたのは、何となく知ってたけど。

♪さらば〜地球よ〜♪

飴々姐さんが、そんなことになってるとはね!


さて。
一昨日の「らくごのくに」。
笑遊師匠が観覧に来てくださった。

ワタクシが笑遊師匠を初めて拝見したのは、第11回・テルサ寄席。演目は「道具屋」だった。
妬けたなぁ、あのときは……

落語熱に火がつきかかっていた頃。秘かにテルサの高座に上がる自分の姿なぞ思い浮かべていたりして。
「もし自分が交ぜてもらえるなら、前座だから、何をやろう?“道具屋”がいいかな?」
なんて考えていたのだ。

笑遊師匠の“道具屋”を目の当たりにして、ワタクシはブッ飛んでしまった。

ポピュラーな噺だけに、噺運びは演者ごとにみんな違う。うちのエアチェックコレクションにも何人かあるけれど……
笑遊師匠のは明らかに、ワタクシが大好きな、先代柳好師バージョンだった。ひょっとすると、口開けの「私の噺はちょっとこう、変わっておりまして……」もあったかも……。

それから数年。
同じ高座にあがらさせていただけるようになり。

ふくしま素人落語の会は、不思議と、演目カブリが少ない。うまく“棲み分け”ができている。自分もそうだけど「この噺は誰もやるまい」という志向がみんなにあるのだと思う。さすがに近頃は同じ演目の持ち合いが増えてきたけど「お手本まで同じ」は、ない。

お付き合いを始めてそろそろ5年。
笑遊師匠のいらっしゃるところで「道具屋」を出したのは、思えば初めてだった。

先日のAOZ寄席、開演前。
笑遊師匠、前日ワタクシが演った「道具屋」を、ニコニコ顔で褒めてくださった。

嬉しかった!

でもやっぱり、これから先も、笑遊師匠とご一緒する席では「道具屋」は遠慮します。

師匠の「道具屋」、大好きですから。

多少のヤッカミくらいはあっても“取った取られた”の喧嘩にはなりようがない(「やられた!」は、あるけどね……)。
アマチュア落語は、イイね。

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2013年5月27日 (月)

AOZ寄席「グリーン」

5月26日・日曜日、午後6時開演。


根多帳
 ツイ輝「カレー会議」
 笑遊「悋気の火の玉」
 とんぼ「あくび指南」
 すゞめ「片棒」
 いさん「一眼国」
 平三「井戸の茶碗」

 お囃子 小染社中

久々の“視聴覚室”。

小染社中、自称・太鼓主任のワタクシ、張り切って一番太鼓をひっぱたいていたら、サポーターさんが飛んできて「5階の映画館まで音が筒抜けなので、太鼓は……」と注意を喰らってしまった。
以前ここで同じように叩いたときは、何も言われなかったんだけどなぁ……。おまけに昨秋“らくごのくに”に寸志さんがいらしたときと、クレームの発生元が違うし。
でも「大家さん」の云うことだ。素直にハイと返事して、撥を小さいのに持ちかえ、“二番煎じ”の旦那衆のごとく、おとなしくすることにする。

でもねぇ……

すゞめ姐さんの噺の最中「ゴゴゴゴ、ゴ〜ッ!」という鈍い地響きが。小染姐さんと二人「何だろうね、あの音?」と目配せを交わしていたら、間もなくまた、同じような響きが「ゴゴゴゴ、ゴ〜ッ!」

新幹線「はやて」か「はやぶさ」が通過する音、らしい(福島に停まる「やまびこ」は信夫山トンネル辺りでは徐行だから、絶対あんな不気味な音は発しない)。

あれに較べれば、我々の発する太鼓の音圧なんざ、たかが知れたものだと思うんだけどなぁ……。でも、大家さんが気にするんだから、店子の我々は従う外ない。

次回からは「音響効果」はあるけど「音圧」の低い、わが家の電子ドラムくんにお出ましねがいましょうかね。丈夫で温かくて音漏れしない「花色木綿」を裏に貼り付けて(笑)。

今日のAOZ寄席。
改めて根多帳を見直すと、大根多オンパレード! よくぞ皆様、開口からお開きまでお付き合いくださいました! 大入叶!

ところで今回は、お客様が見事に両極端。賑やかに笑ってくださる方々と、少しも笑ってくださらない(ように見える)方々。
上手には、厳しいお客様がズラリ。下手は優しいお客様ばかり。

でも……
ワタクシの観るところ、途中で帰られたかた、皆無!

しかも、笑わないお客様は、毎回脚を運んでくださっている顔ぶれ揃い。

ありがたいじゃ、ありませんか!

その中のお一人は、ワタクシ直にお話ししたことはないけれど、本職でお世話になっている取引先の社長さん。
別のお一人は、昨日の会にもおいでくださったし、楽屋に毎度、心尽くしの差し入れを頂戴する方。

今回は偶々、お二人だけ、取り上げさせていただきましたけど……

いつもありがとうございます。
お顔を拝見できることを、いつも楽しみにしておりますですよ。

願わくば、いつか、そのお固い口元を、ほころばすことができますように……

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2013年5月26日 (日)

らくごのくに「立川寸志さんをとことん楽しむ会」

5月25日土曜日、午後5時30分開演。

根多帳

 とんぼ「道具屋」
 寸志「花色木綿」
 漫太郎 漫談
 寸志「つる」
 いさん「鼠穴」

お席亭のいさん師匠によれば、40名弱のお客様がご来場くだすったとのこと。恐らく「らくごのくに」最多記録更新! ありがたいことで、皆様に感謝! 大入叶!

今回のお客様は、ホントに温かかった。
噛みまくり、呂律回らなまくり、セリフ抜けまくりのその上に尺まで伸びまくってしまった、ワタクシには痛恨の高座にお付き合いくださり(……ワタクシの後から上がる寸志さんが、皆さんのお目当てですからね……)、しかもあんなに笑っていただいて、ありがたいこと、この上無しでございますです……。

ところで。
寸志さんの素晴らしいところは(噺はもちろん!)「フットワークの軽快さ」。
年齢をみれば、ワタクシとはひとつ違いにしか過ぎないんだけど……近頃のワタクシは、情けないことに、一旦オミコシを据えてしまうと、すっかり根っこが生えてしまい……とてもああは行かない。

世間的にはワタクシもまだまだ“若造”。見習わねば。

打ち上げの席にて、プロの世界の裏話など、色々興味深い話をしてくださった。
ひとつ、差しあいのないところを書かせていただくと……

「大学の落研に入る前、なにか落語体験がありましたか?」
「小学校の頃、子供向けの落語の本に出会い、それをカセットに吹き込んで、座布団に座ってそれを流しながら仕草をやったんです。あの本の挿し絵は今でもビジュアルとして、思い浮かびますね〜」

さらに訊くと、それは「柳亭燕路著、こども寄席」の「片棒」。
ワタクシの目にも浮かぶ。
画面下の方に、楽しげな銀次郎と渋い顔をしたケチ兵衛さん。銀次郎の頭の辺りから吹き出しが出ていて、“算盤を弾くケチ兵衛”を型どった山車を囲んだ、バカに賑やかなお祭り連中……そんな絵柄じゃなかったっけ。

別の話題から、かんき出版刊「現代落語家名鑑」の話も出て。
同じ頃に落語に魅せられた二人の少年。当時はお互い知るよしもなかった寸志さんとワタクシ。
30年の時を経て、片やプロの世界の前座さん、片や地方の街の天狗連メンバー。夜更けの福島、一献傾け合いながら、話に花が咲く。

BGMは、何度も出してるけど、やっぱり美空ひばりの、あのフレーズ……

♪人生って 不思議なものですね〜♪

こんなに楽しいひとときをセッティングしてくださった、いさん師匠。そして、こんな不思議で面白くてたまらないところへ、ワタクシを導いてくださった、漫太郎師匠、芸人会・素人落語の会の先輩方、ワタクシを福島へ拉致したタンドーオヤブン、オヤブンに引き合わせてくれた悪友たち、中学の落語クラブ顧問・サダ先生、清瀬市図書館の司書のお姉さん・お兄さん、そして今なお半分呆れ顔で見守ってくれているオフクロとオヤジ。

ありがとう。

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2013年5月25日 (土)

朝からジタバタ

未だ現役、わが愛機、PowerMac7500(G3-450改)。1995年生まれだから、18年選手。
売れ筋機種だったから、ずいぶん出回ったはずだけど、現役で稼動しているのは、もう滅多にいないだろう。
 
 
 
さすがの寄る年波で、近頃調子が悪かった。突如、電源が落ちるのだ。
 
 
 
今朝……。
とうとう起動しなくなってしまった。起きようとはするのだが、1〜2秒で落ちる。万事休す!!
 
 
 
一念発起して、ダメもとで修理に取りかかった。
 
 
 
トラブルの原因は電源ユニットだろうと目星がついている。幸い、数年前に処分したPM7200のユニットを、後生大事に温存していた。ものはついでだ、CD-ROMも、手持ちの8倍速(遅ッ! でも、もともとは2倍速だったからね)に換えてやろう。
 
 
 
以前はちょいちょい、そんなチューンアップをやったけど、何年ぶりだろう? 筐体の開け方もすっかり忘れてた……。
 
 
 
外見から想像はついたけど、まぁものすごいホコリ! 掃除機で浄めて、件の二つのパーツを交換。
 
 
 
面倒なケーブル接続をして、八百よろずの神様に祈りながらいざ、パワーON!
 
 
 
 
やった〜!
 
 
 
 
 
というわけで、まだまだ活躍してくれそうです、7500。うちにUSBが来るのは、いつの日か(苦笑)。

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2013年5月23日 (木)

クモハ73・600番台のヘンな顔

青梅鉄道公園に、初めて連れていってもらったのは、多分小学校に上がる前。1970年前後のことだと思う。

ウチは西武池袋線沿線。まだ国鉄武蔵野線は建設途上。だから、所沢・小平を廻って、開通したてだった拝島線に乗り換え、青梅へ向かったのだろう。

ワタクシには、鉄道公園に並んでいたSLたちよりも、青梅線を走る焦げ茶色の電車たちのインパクトが大きかった。
普段馴染んでいた西武線や東上線もオンボロ電車の牙城だったけど、はるかに派手に化粧直しされていた。
ところが青梅線の電車ときたら……公式名称“ブドウ色2号”を身にまとい、まだ盛んだった石灰石輸送の貨物列車と頻繁にすれ違うせいだろう、粉を吹いたようになっているのが混じっていたり。さらには、車内の建てつけの大部分は木造で、ぶ厚くニスで塗り立てられ、たまに輝く金属部分が眼に入れば、それは真鍮の、鈍い黄色みを帯びたもの。

あまりの異世界ぶりに驚いて両親に云うと「昔はみんな、こうだったんだよ」と、シレっとのたまう。

それから十年余り、ワタクシは、機会があれば、現役で矍鑠と活躍している電車たちをひたすら慕い、追いかけた。先日の記事に載せた画像も、元の写真はその頃に撮ったものだ。

で……「クモハ73・600番台」。

不思議なデザインをしたものだ。

しかし、ワタクシ思うに、当時の技術水準の枠内で(特にガラスの製造技術の制約で)、運転士の安全と快適を加味し、しかもコストが安くつき、見てくれもそこそこ斬新な、なかなかのデザインなんじゃないかな〜と、思われるのですよ。


あのユーモラスな顔のクモハ73を追いかけて、青梅線、南武線、鶴見線、はたまた今ライトレールに転換した富山港線も訪れたっけなぁ。
19801103_asanosta


実車の写真が出てきました。
1980年11月3日、鶴見線・浅野駅ホームにて、海芝浦行きです。

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2013年5月19日 (日)

第56回・中合寄席

根多帳

 とんぼ「からぬけ(中合寄席バージョン)」
 松太郎 世相漫談
 ダーク マジック
 永生「長短」
 さん馬「占い師」
 いさん「一眼国」
 漫太郎「ややまひろしの自分史〜高齢化社会」

 お囃子 小染社中

当初は12人出演予定だったけど、5名辞退で7人の顔ぶれ。
ある師匠が、高座で云いました。
「プロだったら、こんなことはない」と。

ワタクシには、そう云えるだけの経験も義理も地位もさらさらないけれど、一旦顔付けが決まったならば、急遽よんどころない事情が起きたなら別だけど、出演辞退を考えるより「持ち時間で何ができるか」に、思いを馳せたほうがイイのでは?と思うのです。

今日の中合寄席。恒例の第二日曜から一週間、後へずれていたにも関わらず、沢山のお客様がおいでくださって……。しかも皆さん、ワッと声を上げて笑ってくださる、演者にとってまたとない、有り難い方々ばかり!

大入叶! 篤く御礼申します。

限られた条件や持ち時間で何ができるか。
枠をはめられることを嫌う人も少なくないけれど、ワタクシは「どこでも誰でも、多かれ少なかれ“枠”に縛られざるを得ない」と、思うのです。

曰く、時間の枠。
曰く、予算の枠。


尺の縛り、根多の縛りを逆手に取って、様々工夫するのは、とても楽しいことですよ!

ところで……
「からぬけ」を、独立した噺で演じるという実例を、以前見せてくれた、すゞめ姐さん。
噺の中でいじらせてもらってしまった、漫太郎師匠(楽屋から笑い声が聞こえました)。
ありがとうございます!

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2013年5月17日 (金)

快速 飯能発元町中華街行き

東急の五島vs西武の堤。
「強盗慶太にピストル堤」なんて対句があったくらいで、何かと対立し、張り合っていた間柄である。

この3月。
地下鉄・副都心線を間に挟んで、かつてのライバル会社の電車の相互乗り入れが始まった。
もし福島へ来ていなかったら、ワタクシおそらく、運行が始まった最初の休みに直通電車に飛び乗って、親友、S・Kくんを訪ね、六角橋で呑んだくれていたに違いない。

ところで……
東急ってスゴいな、と思うところが、ひとつある。
他の鉄道会社がやらないことを、ここは3度も敢行した。それは……
長年に亘って育て上げた「始発駅」を、完璧なまでに捨てたこと。

現在日本に存在する鉄道で、これを為し遂げたのは、ワタクシの思うところ、「汽笛一声」の新橋から、先頃復元成った東京駅にターミナルを移した、当時の鉄道院以来だ。

東急は、およそ10年前、横浜(そしてそれ以南の桜木町までも)、目黒、という、大きなターミナルを、電車の運行形態から見るならば、単なる通過駅にしてしまった。そして今春「シブヤ」も、そうなった。

回路を縦横無尽につなぎあわせて、便利なシステムが構築されるのは、素晴らしいことだ。
でも「終着点」が「通過点」になってしまったときから、その場所が、かつての風格を失って、衰退へと転落してゆくことがある……。

線路の末端に立てられている四菱マークは、都心部においては、その街の繁盛をもたらす「四つ葉のクローバー」なのかもしれない。


地上に大きな面積が必要で、当然それに伴う経費もかかるであろう「終着駅」。ぼんやり列車に乗っていたら、いつの間にか過ぎてしまうところとは、やっぱり、わけがちがう。

建設時の経緯や路線の経路、そして、駅を取り巻く地形の絡みもあるのだろうが、西武線と東上線の池袋、京王線の新宿は、乗り入れ先の地下鉄が自社ターミナルを通るけれども「終着駅」「始発駅」の形を残している。それだけに、東急のスクラップ&ビルドは大胆に見えるが……。
都心と郊外の連絡から始まった東京の私鉄のうちで、最も早く「都市内電車」になったのが、東急の各路線だから、こういう一面エキセントリックなことができるのかもしれないな。

以下、お遊び。

「快速・飯能発、元町中華街行」
1411_motomachiyuki

小竹向原で、青い「快速札」は、赤い「急行札」に取り替えます(笑)。


もひとつ。
「各駅停車・日吉発、石神井公園行」
3486_shakujiikoen


地下に入る時は、前面窓は閉めます(笑)。


一応、両方とも「貫通扉付き」のものを選んでみたんだけど、よく考えると1411なんか半鋼製だから、地下鉄に入れちゃいけない(苦笑)。それに、こんな連中が混っていたら、ドアの位置がマチマチだ。ホームドアが作れないぞ。


ちなみに、もとの写真を撮影したのは、1980年頃。
33年前の西武池袋線、東急目蒲線(現・目黒線)には、こんな電車が走っていたのです。

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今「ササニシキ」が、んまい!

ワタクシが学校を出て、社会人になったのは、ちょうど四半世紀前になる。

最初に勤めたのは、お米の販売会社であった。

「食糧管理法」という、戦時中に成立した法律が、形骸化していたものの、未だ生きていた。その隙間をかいくぐって、その会社は“日本一の米専門商社”になっていた。口の悪い人に云わせれば“日本一のヤミ米屋(苦笑)”である。

当時、日本人の大部分に「美味い米」として知られていた、二大巨頭があった。それは“コシヒカリ”と“ササニシキ”。

“コシヒカリ”は、今、原発再稼動問題で揺れにゆれている福井県で産声を上げた。“コシヒカリ”といえば新潟、中でも魚沼という評価は、今もって動かないんだけど、出身は福井なのだ。“コシ”は越でも、後ろじゃなくて、前のほう。当時のワタクシ“越後”の“コシ”と思い込んでいて、販売店さんに提供したチラシに、そう書いちゃった。苦い思い出がある……。


一方の、ササニシキ。
これも今でも“宮城県”が本場というのは、変わらないんだけど……

ある時期から、突如、ササニシキは“二大巨頭”から転落してしまった。

今、30歳以上の人なら覚えているだろう、日本中の店からお米が消えた、あの秋を。

あの冷夏で、もっとも打撃を受けたのが“ササニシキ”だった……

あれから25年。
宮城と並ぶササニシキ産地だった山形は、その前から独自品種・ブランドの育成が盛んだ。また、意表をついたネーミングセンスがいい。「はえぬき」「どまんなか」、そして最近の「つや姫」。

同じくササニシキ産地だった、わが福島は……既にその頃コシヒカリに切り替わりつつあった。
「ミルキークイーン」が、ちょんの間話題を誘ったけれど凡打だったから、満を持して問うたのが「天のつぶ」。ところがなんとしたことか、その流通開始直後にあの忌まわしき原発事故……。新ブランドどころじゃなくなってしまった……

ところで、ササニシキ。

わがタンドーオヤブン。なにげに会津の田舎に田圃などあって、ワタクシに現金給与が出せなかった一時期、玄米の現物支給をずいぶんもらった。それで食いつなげたのはもちろんありがたかったけど、なんといっても、混ぜ物のない、一枚の田圃から取れたコシヒカリ。そのお米がまた、じつに美味しかったのである。
これをワタクシ独りで食べてしまうのは、もったいない。コイン精米で精白して、トーキョーの実家へ送ったりしたものだ。

タンドーさんが他界したその年だか、あるいはもう一年前か……年末に、米5キロ担いで帰省した。

正月は一晩、悪友Iくんの家へ押し掛けて、呑み明かす慣わしだ。
そこでIくんに「お米を担いで来たんだ」と云ったら
「じゃあ“卓”さん、代わりのお米、持って帰る?」
という。

Iくんの父方の田舎が宮城の登米で、いつもそこの“ササニシキ”を食べているそうな。

担いできたのと同じコシヒカリだったら謝絶したところだけど、ササニシキだというので、重さをいとわず福島まで担いで帰ったっけ。

これが!
素敵だったんですね!

コシヒカリとササニシキの一番の違いは……

“コシヒカリ=硬質”“ササニシキ=軟質”。

コシヒカリ(のみならず、今、お米の品種を付けて売られているうちの、9割方)のモチモチ感、存在を主張する味も、決して悪くはないんだけど……

ササニシキの……ふんわりとほぐれて、後に残る優しい甘味……。どこか心の奥底をくすぐるような、懐かしい味わいに、ワタクシはすっかり魅せられてしまった。

しかし……。ササニシキ、今、滅多に売ってないんだな、これが。

でもね。
ワタクシが月に一回は足を向ける、福島市内・某施設の、一階食品売場。
嬉しいことに、ここは定番でササニシキを置いてくれている。しかも、貴重な県内“会津産”!

「日本中からお米が消えた秋」以来、作り手が激減してしまったササニシキ。でも、それを今でも守ってくれている人がいる。ササニシキを守るために費やす、とてつもない手間を忍びながら。

ササニシキと、栽培農家の皆様へ、エールを送ります。

フレ〜! フレ〜!
サ〜サ〜ニ〜シ〜キ〜!

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2013年5月14日 (火)

♪あ〜あ〜あ、やんなっちゃった

(……過日この記事を書きながら、いつものように、ケータイ握ったまま眠ってしまった。でもこれは、どうしても没にしたくないから、無理矢理決着付けて投稿する次第)


♪あ〜、あ〜あ、やんなっちゃった
あ〜、アンア、驚いた♪


♪日曜正午のテレビ寄席
鉢巻き腹巻きのオジサンが
つまんないモノを売りつける〜
あれが毎週 楽しみだった。


♪あ〜、あ〜あ、やんなっちゃった、あ〜アンア、驚いた

♪学校を出て就職したら
なんだか 腹の立つことばかり
いつも口をついて出たのは
昔馴染みのこのメロディー!

♪あ〜、あ〜あ、やんなっちゃった、あ〜アンア、驚いた

♪ウクレレブームがありまして(20年位前)
アタシもウクレレ買ったけど
弾いて歌えるようになったのは
「アタシなんかね、コレだけですよ、コレだけ(c)明光商会」

♪あ〜、あ〜あ、やんなっちゃった、あ〜アンア、驚いた

♪福島に来て もうすぐ9年
当時は気楽な独り者
親分の遺言からもう4年……
相変わらずのヒトリモノ(苦笑)。

♪あ〜、あ〜あ、やんなっちゃった、あ〜アンア、驚いた

♪む〜す〜んで、ひ〜ら〜いて、股ひらいて〜、む〜すんで〜♪

師匠と同学年のワタクシの母。訃報を聞いた瞬間、師匠がなぜそんな行動に走ったのか、なんとなく解ったという。
後でお金の問題があったと報道があったけど、ワタクシは、母の直感
「自らが納得の行く舞台をつとめられなくなったのを、はかなんだのだろう」
と、思いたい。

牧伸二師匠。
大好きでした。ありがとう。
合掌。

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セロリと烏賊燻サラダ

材料(1〜2人分)/

セロリ 1本。

新鮮なものなら謂うこと無いけど、それはお金持ちの話。おつとめ品コーナーで萎れかかってるのに、憐れみつつ同行願うのも又、趣があるものである。

烏賊燻製のスライス 適宜

今度の6月1〜2日、福島の街で「東北六魂祭」が開催される。きっと県外から沢山のお客様がお見えになるだろう。その中には「福島の美味しいものって、何かな?」と、調べている人も少なくないはずだ。すると「烏賊人参」が必ずやヒットするだろう。
「トリゾクニンジン」じゃ、ありませんからね〜(笑)。
烏賊燻……これが実は、結構いいお値段! だけどソコは目をつぶって、コンビニの棚のお酒コーナーに向かってぶらさげてある小袋ならばひとつ丸々、スーパーやディスカウントショップの珍味コーナーに並んでいる、そこそこの大きさの袋なら、三分の一位……大体30グラムの見当で。

調味料は、後述するので省略。

作り方

①セロリを、烏賊燻に馴染みそうな薄さに刻む。
②烏賊燻・適宜を刻んだセロリに合わせる。
③フレンチドレッシングを適量振りかけて、よく和える。
但し、ワタクシは、まず②に、黒胡椒を“これでもか!”とばかりに挽き入れ、バージンオリーブオイル少々を垂らし込み、セロリと烏賊が満遍なくテラテラ光るようになるまで良くかき回し、そこへ適量の酢を合わせる慣わしだ。

塩や砂糖は絶対使わない。
でも、市販のドレッシングには結構入っているようだから“バージンオリーブ”といかなくても、フツーのサラダ油でかまわないから、ワタクシのやり方がオススメだ。

これがね。
セロリと烏賊燻と、ドレッシングに入れた胡椒と油とお酢の香りと味、シャキシャキ、モチモチの歯応えが、渾然一体になって……。素晴らしいハーモニーを奏でるのだな。

烏賊燻の代わりに、茹で蛸を入れてもよさそうだ。そのときは、玉葱とパセリのみじん切りも加えるといいだろう。

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2013年5月12日 (日)

所作

先日の麓寄席。

仙台からお越しくださった、目ぼそ兄さんから、メールを頂戴した。

「戸を叩く手があべこべだよ」と。

兄さんの的確な説明で、ここしばらく、不思議に感じていたことも、氷解。
いつもお囃子の太鼓叩きやCD操作をしながら、袖から高座を見ていて「どうしてみんな、左手でノックすんだべ?」と思っていたのであった。
右手でノックすると……なるほど、腕で顔が隠れてしまう。
与太郎の店先に並んでる薬缶同様……「なかなかソコまで気がつかない」。

目ぼそ兄さん、貴重なご指摘をくださり、ありがとう存じます。ワタクシ、持てる資機材の関係上、噺の稽古が音声と書物に限られてしまうので、可笑しな所作が多々あるのです。どうか今後も宜しくお導きのほど、お願い申します。


ところで……
こんなことを書くと、どうしても思い出すのは、うつくしま芸人会の、故・駒家夢之助師匠。以前同じことを書いてるような記憶もあるけれど……。
本職は、福島の街中の和菓子屋さん。元々は東京の下町生まれ。残念ながら、師匠の高座は2〜3回しか拝見できなかった。亡くなったとき、葬儀の場所も日程も判ったけれど、未だワタクシはそこに臨席する勇気がなくて、そこをさりげなく通り掛かって、胸の中で密かに合掌するだけしかできなかった。後で聞くと、夢之助師匠は、白装束ではなく、黄金色の高座衣装を着せてもらって、黄泉路へ旅立ったそうな……。

夢之助師匠の語り口は、見事な江戸コトバだった。まさか福島に来て、生粋の江戸弁の落語を聴けるなんて想定外だったから、ワタクシはうわずっちゃった。

ただ……今は道路になってしまった、新町の本法寺本堂での寄席を観に行ったとき。
夢之助師匠の噺に、ちょっと違和感を感じた。

師匠の噺には、カミシモが皆無だった!

脚の自由が利かなくなっていらしたので、胡座どころか、投げ脚の前に膝隠しを置いていたのも印象に残っているけれど……。

でも、夢之助師匠の噺っぷりに、ワタクシはすっかり魅せられてしまったのです。

直にお会いすることは叶わないけれど、幸い、かつての師匠の声が、うちにはある。
久しぶりに引っ張り出して、聴いてみようっと。

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2013年5月 6日 (月)

第19回・信夫の麓寄席

根多帳……は、今回は5月1日の記事に同じということで、略。但し、ケロ美さんが、お身体の具合の都合が合わず、残念ながら休演……。

事務局・新井田さん曰く、一部・二部を合計すると、先日ここ文化センターで開催された、人気若手の某師匠の来場者数を越えた、とか。
お客様のたくさんのお運び、誠に有り難い限りです。大入叶!

遠路をいとわず来演してくださった、小道さん、間助さん、清生さん。観覧にいらしてくださった、目ぼそ兄さんに註馬さん。おかげさまで盛会となりました。感謝、感謝!

やっぱり「ホームグラウンド」は、イイなぁ! みんなの芸も、いつもに増してイキイキ、キラキラしてました。

麓寄席がある限り、
「ボクには、帰るところがあるんだ」(C)アムロ・レイ

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2013年5月 5日 (日)

野沢的食卓

会津はやっぱり「八重さん効果」が効いてるようで。道路がいつものGWより込んでた。ありがたいことで……。
ただ、本日のワタクシの目的地は、西会津の野沢と、猪苗代の土津さま。
混雑しているであろう、若松や喜多方を通らずに、うまくパスすることが、今日のドライブの命題。
 
うちの「元・某京電力所属」営業仕様ミニカくんには、カーナビなんて、当然ついてない。
でもまぁ全く土地勘の無いところを走るわけじゃないから、何とかなっぺ。
 
 
 
気がついたのは「磐梯山」というランドマークの偉大さ。
日中で天気さえよければ、会津盆地のどこにいても、磐梯山を望める。
そして「表」の優しい姿と「裏」の荒ぶる表情がどんな風に見えるかで、自分がどの辺りにいて、どっちへ向かっているかが、はっきり解る。
 
もっとも、八重さんが会津にいた頃「裏磐梯」は、日本のどこにでもあるような、フツーの山中の村だったんだけど。
 
 
 
今日は上天気、暑くもなく寒くもない、絶好のドライブ日和! CDラジカセと、今月末に予定している二演目のディスクを持って出たけど、少しも稽古できなんだ(どうすっぺ……苦笑)。
 
野沢の地酒「さかえがわ」。
道の駅なんかだと、高級品しか置いてない。
吟醸酒は嫌いではないけれど、ワタクシは一杯で飽きちゃう。内田百間が「美味いものは美味すぎていけない。普段口に慣れているようなものが良い」と書いているけど、ワタクシはその見識に諸手を挙げて賛成だ。
 
初めて、この蔵本の店へ寄ってみた。
店先の棚には、高いのしか並んでない……
 
顔を出したおかみさんに「安くて美味いのお願い!」と云ったら、一升瓶の普通酒を出してくれた。
 
 
「お燗すると美味しい」と云われたんだけど……長年馴染んだ徳利、この冬に割っちゃったんだ……
 
いい機会だから、うちの近くのホームセンターで、二合徳利を買った。
 
 
 
さて、お味は……
 
良くも悪くも、昔ながらの素朴なお酒。
 
取り立てて「次からコレしかない!」なんてインパクトもないし、むしろ昨日買ってきた「剣菱」のほうが、安いし、洗練されている。
 
でも……
この先は年に二回、きっとこれを呑むだろうね。
 
「この味は どうなんだろとオッサンは云ったけど 5月2日は“さかえがわ記念日”」
 
 
 
このお酒に合わせたのは……
道の駅「よりっせ」の“半額ワゴン”にいた、こごみを、辛子入りゴマ味噌和えにしたのと、鰊の山椒漬け。
 
 
 
ベストマッチ!

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浄土平からの一切経山

浄土平からの一切経山
会津の帰り道。

そうだ、今日はまだ早いから、まだ一度も行ったことがない「磐梯吾妻スカイライン」を通ってみよう。無料解放だし!

いやぁしかし!
なんとまぁ、素晴らしい道だこと!

高みへ登るにつれ、広がる景色。回りの山々が、だんだん自分と同じ高さになってくる。
まだ「雪の回廊」の雰囲気も残っているし。

浄土平。
普段、盆地の底から仰ぎ見ている吾妻小富士、一切経山の噴煙が、迫力をもって、大きく目の前に迫る。

繰り返すけど、素晴らしい! 今度誰か友人が来福するときには、是非とも案内したいなぁ!

無料はありがたいけど、少しは銭取ってもいいんじゃない?
維持費だって、半端じゃないだろうし。

以前のように、1,000円オーバーでは、敷居が高いけど、500円だったら、みんな喜んで払ってくれると思うんだけどな〜。

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西会津・野沢にて

タンドーさんの墓参りに来ました。
いつも生花をケチって、いざ、お墓に着くと、あまりにもショボいという体たらく。今回は反省して、いつもの倍持ってきたら、すでにどなたかがいらしていた様子で、花がかざられてあった。花立、一杯にしてきましたよ。
 
二枚目の写真は、JR野沢駅の後方に聳える飯豊山。
この時季、ここへ来るのは5回目だけど、こんなに山が真っ白なのは初めて。
いつも供え物の缶チューハイを買う、お寺の門前の酒屋のおばさんも、最近では珍しい、と云っておりました。

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2013年5月 3日 (金)

徹夜ハイ( ゜ロ゜)

久しぶりに徹夜した。

まぁ、徹夜の予定は一週間ほど前から判っていたから、それ自体は想定内だったんだが。

一杯やれないのは当然としても、夕食を摂る暇までがまったくなかったのは、想定外の事態。

何とか無事に、今、二日分の晩酌(というには、チト早いけど……)に漕ぎ着けた。

久しぶりの徹夜だったなぁ。いつ以来だろう?

あ。

ちょうどピッタシ4年前じゃん。
タンドーのオッサンが他界した、まさにその日だ……


日赤病気で看取り、葬儀ホールへ移動して、その晩から、そして明くる朝早くから駆けつけてくれる仲間たちの応接の忙しかったこと……。とは云うものの、懐かしい顔触れみんなに、ひたすら「ありがとう、ありがとう!」と、そればかり繰り返すだけだったんだけど。

形ばかりの通夜。
オッサンの納棺は出棺直前という段取りになったので、オッサン、まだ浴衣がけで、花も供物も遺影もない祭壇前の布団に寝てた。そこで、病院へ見舞に行った時からの着の身着のまま、枕経代わりに、落語「つる」を演った。臨席してくれた、そしてワタクシをタンドーのオッサンと引き合わせた張本人、悪友Nだけはひとり、笑ってくれたけど……あんなにしめやかな落語体験は、もう二度と無いだろう。

あの時は、48時間以上眠らなかった。

あれからもう、かれこれ4年……。
大震災を筆頭に、色々あった……。

オッサン、大の寂しがりやだからなぁ、「たまには思い出してくれよ」とばかりに、昨夜の徹夜を配剤したのかしら?

確かにこの頃、オッサンへの手向けの一杯を捧げることも少ないし。ゴメンね。

でもね、高座に上がるときの開口一番「落語が縁でトーキョーからフクシマへ移住してきたヘンなヤツ」という三十三文字の間に、オッサン、ドッカリ座ってるんだし、ワタクシが福島にいる以上、すなわちワタクシが生涯を終えるまで、オッサンのことをいつまでも語り草にするからさ。あんまり茶々入れんといてちょうだいな(笑)。

5日には、恒例の墓参りにも行くし。翌日6日には、臨終の床と枕経で聴いてもらった「つる」を演るから、さ。

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2013年5月 2日 (木)

できた〜!

(c)ビストロSMAP(笑)。


このゴールデンウィーク最終日の、信夫の麓寄席。
なんだかんだで、ワタクシめが、最終的な顔付けを委任されました。

第一部

ツイ輝「転失気」
ケロ美「饅頭恐い」
笑遊「替り目」
清生「鰻屋」
小笑 マジック漫談
画樂多「近日息子」
こいく「ねずみ」
とんぼ「つる」

第二部

平三「雨乞い源兵衛」
発橋「粗忽の使者」
間助「初天神」
松太郎 世相漫談
小道「ピンクレシートの日」
すゞめ「お菊の皿」
いさん「愛宕山」


お囃子 小染社中

以上の番組で、今回の信夫の麓寄席を、お送りいたします。

たくさんの皆様のご来場、心から、お待ちしておりますm(__)m。

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