勇家とんび兄さんのこと
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ああ……、どこからか“カナカナ、カナカナ”と、ヒグラシの声が聞こえる……
福島の夏の一大イベント「ふくしま花火大会」は、結局延期も叶わず、中止になってしまった。
明けて今日は、町内会の納涼祭。苦労して雨よけシートを設営したおかげで、雨は一滴も降らず(笑)……宴たけなわの閉会間際。
昨年度ワタクシと一緒に町会役員をつとめ、ビール大好きのトモミさん、登場!
折しも、15リットルの生ビール樽、底のいちばん美味しいところをワタクシがジョッキに注いだ直後。
予備の樽を開けずに返品しようとしていた矢先。
誰ともなく「開けちゃえ、開けちゃえ!!」。1本目が2時間かかったのに、ものの30分で売り切れに!
「花火をやりたいね!」「そうだね!」と、瞬く間に意気投合した町内の面々。ある者は自宅在庫の花火を取りに行き、ある者は新たな花火の買い出しへ……。
さてワタクシ……。
情けなくも、ビールだけで足取りも呂律もすっかり覚束無くなり、追加購入の花火を見ることなく、同じ階のチバさん、サツキさんにサポートしていただいて、ようよう自室へ……。
それからかれこれ2時間半。さっきまで賑やかだった団地の中庭は、いつもの静けさに戻った。急ごしらえの「花火大会」も、お開きになったようだ……。
しかし……
ビールだけで、わが身体、自由が利かなくなるか!?
薄々気付いてはいたけれど、今日、はっきりと、ワタクシの累積飲酒量が“一生涯のアルコール割当量”に限りなく近付いて来た、と解った。
でも、この先も……、この先こそ……、美味しいお酒を、いろんな人と楽しみたいのだよ。
だから「一人酒」「手酌酒」は、我慢しないとなぁ……。
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信夫山麓に揚がる花火を見るのも、今回で10回目……。思えば遠くへ来たもんだ。
我が家は打ち上げ会場の丁度対岸。いながらにして花火観賞のできる、ベストロケーションだ。
ここ数年は、仲良しのご近所さんと、階段の踊り場で一杯傾けながら花火を楽しむ慣わしにしていた……んだけど。
今年はチョイと段取りを誤った。
先月末、セカンドワーク先に「出られる日程」を提出したとき……ウッカリ明日27日も入れてしまったのだ。
油断していたら、一昨日、そこのKさんに「土曜日は花火大会がありますからね〜!」と、まんまとFIXされてしまった(苦笑)。
ただ今年は、翌日日曜が町内の納涼祭。今回は花火観賞会は申し訳ないけど見送って、翌日で挽回するとしよう……。
さて、明日はどうやら、トラメガ担いで広報、ということになりそうだ。さっき打ち合わせの電話をくれたAさん
「ひょっとしたら“卓”さん、トラメガ要らないかな?」
いやいや、とてもとても! お願いだから、貸してくださいな!
心配なのは、明日明後日の天気。
花火大会はここ10回、荒天で延期になったことがない。
町内会の納涼祭を天気のために中止したのは、忘れもしない、ワタクシが町会長だった平成19年だけだ……。
せっかくみんなが楽しみにしているお祭りだもの、晴れてくれとは云わないが、せめて雨よ、ここだけは降らずにやり過ごしておくれ!!
あとは……トラメガのマイク握ったまんま、
「上がった上がった上がった〜! たァまやァ〜〜〜〜!!」
なんて叫ばないように気を付けないとね!
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という本が随分話題になった、との記憶は、おぼろげにある。ただし、読んではいない。
その著者、酒井順子さんの「女流阿呆列車」に偶然出会ったのは、去る日曜の福島県立図書館、社会科学系のコーナーであった。
かの内田百間作品を向こうに回した挑発的なタイトル。半端な中身なら許せんぞ! と、頁を繰ってみたら……これが、なかなか!
“乗り鉄”度の、濃ゆいこと!
鉄道の旅の面白さのひとつは“自分の意のままにならない”ことだ。
じゃ、クルマのドライブならそれができるかというと、かつてワタクシの愛車だったステップバンなんぞを相棒にした日には、そうは問屋が卸さない。調子が悪くなったなんて可愛いほうで、自力で帰宅できなかったことが、少なくとも三回は……(苦笑)。
まぁ、それは別の話として……。
女流阿呆列車。
プランニングを担当編集者に委ねてしまい、そのスジをひたすら追いながら「腹へった」の「眠い」のとぼやきつつ、そんな状況の密かな楽しみを開陳している、痛快な作品だ。
さて。
本書第七章「9to5の女」。
酒井さん憧れの、宮脇俊三さんが根室本線の釧路〜根室間を絶賛していたことから、話が始まる。そして根室本線「滝川〜釧路」を走破する、現在日本で最長の鈍行列車の旅をする羽目になるのだが。
ちょっと待てよ……その汽車、ワタクシも乗ってるぞい。酒井さんが乗るよりも25年前の夏に。車両は一世代前のキハ22だったけど、恐らくダイヤはそれほどかけ離れてはいない。
昭和61年の、たぶん8月8日のことだ。
8月4日夜は、那須にいた。その夜、台風が上陸、北関東〜南東北を蹂躙した……
明くる5日。台風一過の夏空のもと、気持ちよく黒磯駅へ下ったまでは良かったが、北へ向かう東北本線は見事に不通。東京へ帰る大多数の仲間たちを見送って「18きっぷ」で北海道へ向かう予定にしていた我々農大と武蔵工大の面々は、黒磯駅構内の貨物・保線車両ホームにテントを張って、一夜を明かした。
6日朝。仙台行きの電車が定時で出るというので、慌てて荷物を纏めて改札へ。車中の人となって胸を撫で下ろしたが……電車は、駅ごとに長時間停車。通常なら2時間位で来るはずの福島到着が、ほぼ正午。現・S-PALのコンクリの壁を、一時間ほども眺めさせられて漸く出発したけれど、仙台に着いたのは、日もすっかり傾いた、5時。そして、なんとか盛岡までたどり着いた。
7日朝。一路青森へ。予定していた平泉観光はもちろんオジャン。一番列車に乗り込む。電化区間だというのにディーゼルカーだった。これ幸いと編成の中間に入った“運転助手席”に潜り込んだはいいけれど……床のペダルを見つけた後輩が「これ何ですか?」と訊くので「これはね、踏むと汽笛が鳴るんだよ」と答えながら、何の気なしにペダルをグイと踏みつけたら……
「ぱお〜〜〜!!」
大慌てで客室へ戻ったっけ。
“青森〜、青森〜!”
ドアが開いた瞬間、大多数の乗客が、連絡船デッキに向かう階段を脱兎のごとく駆け上る! ワタクシたちも、右肩に輪行袋の自転車、左肩にその他の荷物、ヤジロベエのごとくぶら下げて負けじと後を追う。
絨毯敷きの二等船室に4時間揺られ……函館に着けば、乗船のときと同じ座席争奪競走。
夜中、札幌到着。札幌駅は夜は閉鎖されてしまう。駅寝はできない。仕方ない、駅の軒下に寝袋伸べて寝るべえか、と、改札を出て驚いた。
まるで大間の魚市場!
当時まだ地べただった札幌駅の南口、屋根の下は既に、市場のマグロのごとく、寝袋にくるまった人、人、人が、ゴロゴロ、ゴロゴロ……
なんとかスペースを確保。駅の照明も消えた。で……せっかくサッポロに来たんだから、ラーメン喰いたいねぇ。あてもなくうろつき出す。ほどなく見つけた屋台。のれんを潜るといきなり「塩?味噌?醤油?」
ここはやっぱり味噌でしょ。「味噌!」と答えると……
兄ちゃん、麺を鍋に放り込むやいなや、丼に缶詰の“味噌ラーメンスープの素”をアイスクリームディッパーひと掬い放り込み、適当に熱湯を加え、泡立て器でカシャカシャカシャカシャとかき回しはじめた。
その味がどうだったか、まるで記憶にないけれど、兄ちゃんのブッキラボウな様子と、アイスクリームディッパーの突っこまれた“スープの素”缶詰は、忘れられない。
8日朝。相変わらず魚市場状態の札幌駅。駅の入口が開かれて汽車が走り出すと、マグロたちは三々五々、動き出す。
でも、ワタクシたちは、随分日が高くなるまでウダウダしていた。鈍行で釧路へ行くには、慌てても仕方がない。9時過ぎの滝川発釧路行きが、一番早い汽車だから……、と、のんびり構えていたら「通勤のお客さんの迷惑になるから起きてちょうだい!」と、駅員さんにおこらえた(笑)。
滝川で釧路行きに乗り込めば、あとはキハ22に身を委ねるだけだ。前日までのように刻々変わる状況を踏まえながら大判時刻表と首っ引きすることもない。サークルの合宿の集合時間には一時間ほど遅れるけれど、すでに集合場所のユースホステルには電話連絡は済ませた。ここで万一、よんどころないことが発生したなら、その時はその時だ。
ゆったり退屈な8時間を経て釧路に到着、遅刻したとは言うものの、昭和61年、農大サイクリング同好会、北海道夏合宿は無事、スタートしたのでありました。
酒井さんの本のおかげで再び、8・5豪雨のことを、その時一時間停車を喰らった福島に今暮らしている不思議な縁を(その頃まだタンドーのオッサンとは出合っていなかった)、そしてその怒濤の4日を共に旅し、今は彼岸に行ってしまった友・ムラモトに、思いを馳せることができた。
酒井さん、そして周りの皆さん、こんな馬鹿馬鹿しい、そして素晴らしい作品を、ありがとう!
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なにかと日取りをこじつけては、あれを喰おう、これを贈ろう、というのが、日本人は大好きだ。
いや、それが悪いというわけじゃない。そういう慣わしがあるおかげで、商売は活気づくし、季節の移ろいを感じられたりするからね。数年前までは「クリスマスとバレンタインは勘弁してくれ〜!」なんて思ったものだが、そんなヤッカミも、今はほとんど感じなくなっちゃった……チト哀しい。
ところで今日は「土用の丑の日」である。
江戸時代に、あの“エレキテル”で有名な平賀源内が“丑の日にコテコテの鰻を食べて夏バテを吹き飛ばそう!”というキャンペーンを発案。以来わが国ではこぞって「土用の丑の日に鰻を食す」ことになったんだそうな。
本来鰻が美味いのは、体力をタップリ蓄えて“さぁいざ南の深海、繁殖地へ!”という体制万全の“戻り鰹”と同じ季節なんだ、と聞いたことがある。
そんな鰻が……
今、絶滅の淵に立っている。
「養殖鰻」というけれど、卵から育てる“完全養殖”ではない。
日本の川を目指して沿岸を泳いでくる稚魚“シラス鰻”を生け捕りして、池で成魚に育てる。これが鰻の養殖だ。どこでどうして鰻が産卵し、シラス鰻になって日本まで泳いでくるのかという生態は、近年漸く研究が緒についたばかり。
その研究の完成を待たずに、シラス鰻の漁獲量がここ数年でみるみるうちに激減、価格は名前の通り“鰻のぼり”。
朱鷺や西表山猫やシロナガスクジラのごとく、絶滅が心配される生き物の名簿「レッドデータブック」への掲載が、深刻に検討されているそうな……
それを聞いて、ワタクシは決めた。“当分、ひょっとすると一生この先、鰻は手銭では喰うまい”と。
だってさ。
「素人鰻」や「鰻の幇間」、「後生鰻」に「からぬけ」を演るとして……
「この噺に“鰻”という魚が出てまいりますが……、召し上がったことのあるお客様は? ……ははぁ、いらっしゃらない。では、どんな魚でどのように食すのが美味いか、ご存じのお客様は? おやおや、これもいらっしゃらない……。あの、鰻と申しますのは魚類の一種でございまして、見た目はと申しますと、こう、縄のように細長い形をしておりまして、色はと申しますと、背中が青黒くて腹が白い。鱗がないんですが、皮膚から出す粘液を纏っておりまして、我々が手づかみしようと思ってもヌルヌルヌルヌルして、なかなか捕まらない。長やかなる黒やかなる、ヌルヌルした川魚でございます。そんな不気味な代物を珍重したなんて、野蛮な話に聞こえるかもしれませんが、昔は夏場のスタミナ源として、大層もてはやされたものなのでございます……」
こんなマクラは、やりたくないぞ!
だから、手銭で鰻は封印!
だからぁ、“手銭”という限定付きですからね!!
ああ!
とろける鰻で、一杯やりてなぁ〜!!
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根多帳
奏人「つる」
こいく「ねずみ」
さん楽「目薬」
白目「厩火事」
六六「一眼国」
〜仲入り〜
短志「六尺棒」
目ぼそ「船徳」
后左江 伊勢音頭・かっぽれ
ワタクシとんぼ「青菜」
目ぼそ兄さん曰く「消防法に抵触するから大きな声では云えないけれど、50名様+の、お客様」
大入叶!
仲入り前には立ち見もあったくらいの大盛況! 仲入りでお帰りになられたお客様もずいぶんいらしたようだけど、それでも打ち出しまで、40名近い方々にお付き合いいただきました。感謝!
例によって呑みすぎて、今宵もまたまた六六さんの肩にご厄介になって、リーブズさんのカプセルへ、撃沈……
六六さん、ホント毎度シュビバシェン……
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さる七夕の日曜日、わが町内会で「放射線講習会」があった。講師は「放射線防護」畑で長らく働いてきた、その道のオーソリティー、原子力開発機構のNさん。
3・11以来の福島の放射線禍だが、現時点において、福島市の放射線レベル・累積被曝レベルでは、警戒しなくてはならないほどの健康への影響があるという研究結果が皆無だから、心配することはない。
我が国日本は、世界で初めて「放射線禍」に遭遇した国だから、追跡調査も世界で一番。その専門家が、チェルノブイリの調査をも加味して「福島市レベルの被曝なら心配ない」と云っているのだから、安心して暮らしてください、と、おっしゃる。
これにはワタクシ、同感だ。
気配りに欠ける(イコール政治家の資質にも欠ける)どこかのオバハンの発言じゃないけれど、確かに「放射線障害」で直接命を縮めた人は、幸いなことに、ほぼ、皆無だろう。
だからと云って、原発を再稼働していいのか?
ワタクシの考えは
「否」だ。
福島原発の事故で、何が呆れたかというと……
水素爆発を起こして、見る影もなくなった原子炉建屋の中に、まだ熱を発する“放射性廃棄物”すなわち“核のゴミ”が、大量に蓄積されていたことだ。
これからまた原発を動かすとして、発生するゴミは、いったいどうするつもりなんでしょう?
それよりはるかに危険性の低い、除染で毎日のように湧いてくる廃棄物や「福島第一原発周辺地下水」をどうするか、という問題さえ片付いていないのに。
ワタクシが生まれ育った“高度成長”の時代。
我が国日本は“公害の国”でもあった。
三大公害病「水俣病」「イタイイタイ病」「四日市喘息」という高度成長の影の部分は、中学高校の社会科の教科書にも載っている。
福島原発事故も、早晩、社会科教科書のネタになるだろう。
かの“三大公害病”は、さすがに日本では影を潜めたかと思いきや、今年の春先の“PM2.5大騒動”。夏になると毎日「光化学スモッグ注意報」が発令され、防災スピーカーで呼び掛けられていたのを思い出す。小学校の体育、プールや校庭の授業が、突如体育館授業に……、しかも、ただでさえ“体育”がダメダメだった中でも、当時のワタクシが最も不得意だった“跳び箱”と“マット運動”をやらされたのには、未だに理不尽の悔しさが、忘れ難い……
原発の再稼働をしたいなら。
廃棄物の安全な処理方法を、国民の9割9分が納得いくような、具体的なプランを示してからに、してくださいな!
「仮置き場が確保できても“中間貯蔵設備”が出来ても、“最終処分場”が確定して、しかもそこで廃棄物が完璧に管理されなければ“除染”が完了したとは云えない。今行われていることは“除染”には程遠い“移染”ですね」と、Nさんは云った。
昔の「サザエさん」の四コマ漫画に……
突然の来客を迎える羽目になったサザエさん。
お客さんを玄関で待たせる僅かな時間に、居間に散らかっている諸々を、その中に妹ワカメが混じっているのもものかわ、次の間にちゃぶ台をブルドーザーのようにかたづけてしまう、というのがあって、ワタクシは爆笑したけれど…
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昨日の夕方。福島は久し振りのどしゃ降り雨だった。
夕食の買い出しに、ここ暫く馴染みのスーパー「B」へ。
我が家のお酒の在庫が切れてる。野菜も切れてる。切れないのは包丁だけだ(笑)。
「お酒、野菜、お酒、野菜……」と、呟きながら「B」現着。
買うモノが既に決まっているくせに、買いもしない品物を眺めたり、値札を見て考え込んだり、手に取ったりしてヒヤカシながら歩く。ワタクシ夕方の、至福のひとときだ。
お酒を買うにしたって、結局カゴに入れるモノは決まりきっている。その上、よく立ち寄るお店のラインナップはほぼ把握し尽くしているから、悩むことなんかないはずなんだけど……お店の棚の、瓶やパックたちとコミュニケーションしてからでないとワタクシ、定番の安酒をカゴに入れられないのだ……。
ディスカウント指向の「B」は、選択の余地が少ないから、普段はお酒コーナーで迷うことはないんだが。
一週間前に「半額」で手に入れた“鰊の山椒漬け”で、一杯やりたい。だとしたら、曲がりなりにも「指南役」だものね、地元のお酒が欲しいな……
「B」は、安いモノはめちゃくちゃ安いが、そうでないモノはそうでもない。
判ったつもりで臨んだ日本酒コーナー。
ん!?
ちょいと待て!!
「末廣」普通酒の値札のところに、なぜか「八海山」が一本置いてあるのが一昨日来た時そのままなのは、笑って見過ごすとして……
同じ段の、二本松の「O」・普通酒、やけに高いんでない? 全国的に名前の売れてる銘柄ではあるけどさ、ラベルをよく見ると「醸造用糖類」「酸味料」と書いてあるのだよ。ワタクシ「アル添」までは認めるけれど「糖類」「酸味料」を使っているお酒には、身銭を切る気になれない。それなら一升500円アンダーの「合成清酒」で充分満足だから。
だから「O」の普通酒は、買った試しがない。ワンランク上の「本醸造・辛口」なら、ワタクシの品質基準には合うのだが……懐に合わない(苦笑)。
じゃあいつもの安酒にするか……と立ち去りかけて、ふと一段上の棚の値札が目に入ったとき「アッ」と声をあげそうになった。もしかしたら、本当に声が漏れたかもしれない。
「本醸造」のほうが「普通酒」より、安い!?
ありえない!
ありえない!と思いながら、百遍くらい見比べたけど、間違いはない。
恐る恐るレジに持って行く。表示価格より高く出たらキャンセルするつもりで……ドキドキ、ドキドキ!
そして今宵、ワタクシは「O・本醸造辛口」を賞味しているのであります(笑)。
もちろん、お店でPOS登録をアベコベにしちゃったからいけないので……
いつになったら気が付くかな?
それまでは、ワタクシもいつもの安酒を義経にして、密かに「O・本醸造」を楽しむとしようか?
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ワタクシが就職した平成元年。まぁ、バブルの最中やね。
お米の販売会社の営業マン。担当顧客は、神奈川県中部の食品スーパーや酒屋さんなど。海老名のニチイにも出入りしていた。20年後にニチイの後身「サティ」のバックヤードに、福島で出入りすることになるとは思いもよらず……。
その頃と今のスーパーマーケットでは、なにげに変化がある。そのひとつが「POP」。
当時はすべて「手書き」だった。
POPとゆうのは、スーパーの目玉商品をアピールする値札のこと。読みやすく、明るく楽しいイメージで、商品のお得さを一枚のビラで訴える。そんなPOPを書く専門職「POPライター」さんが、ちょっとした店には必ずいたのである。
残念なことだが、恐らく「POPライター」という職業は、今や鰻以上の“絶滅危惧種”だろう。フツーのコンピューター端末とプリンターさえあれば、特別に技術を習得しなくても、それらしいPOPを作れちゃうんだから。
ワタクシの会社にも、小売部門があって、POPライターさんを抱えていた。ワタクシも、担当している酒屋さんのPOPや特売チラシの原稿作成で、そのシモダさんというライターのお世話になっていた。
シモダさんは、会社の商品はもちろん、お米のみにとどまらず、お米を扱うお店の商品をもよく把握していて、面倒をいとわず、いつでもニコニコと仕事を引き受けてくれる、とても頼りになる、美人なお姉さんだった。
惜しむらくは、シモダという苗字はダンナさんのもので……。
ワタクシが漸く仕事に慣れかかった頃。
シモダさん「おめでた退職」するという。
弱った! お客さんの特売チラシの予定があるのに、シモダさんが辞める迄に、原稿が間に合わない……
新任のPOPライターさんが入ったが、彼女には申し訳ないけど、どうもいまひとつ。
じゃあ、どうするの?
自分で書くしかないでしょ!
最初はシモダさん作品の切り貼りから。でも一年後に部署移動になる前には、お得意さんのチラシなら、取材から版下制作から印刷から納品まで、すべてをこなすようになっていた。
少年の頃から色んな回り道をしたけど、結局「表現」の道でオマンマ頂戴しているし、道楽もそればっかりなんだよなぁ……。
どうしてこんな思い出話になったか、というと……
前回取り上げた、今尾恵介さんの本のおかげだ。
山口県周南市(旧・徳山市)に、トーキョーチックな地名がタップリ、という一章。
文にふさわしい引用資料が見付からなかったとみえて、ここには今尾さんの自筆のMAPが載せられているのだが……
書き文字が、見事なPOP体!
おかげで、スッカリ忘れていたシモダさんの笑顔まで甦って。
しかも、ここ周南市(旧・徳山市)は、志ん生師が存命の頃西日暮里に住んでいて、ワタクシがさんざん世話になった伯母伯父の、現住所!
もしも、もしも、できることでしたれば
今尾さんと一度 会わせてちょうだいませませ〜♪
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自慢であるが「実用的な地図」を作らせたら、ワタクシ、福島県民ベストテンに入る自信がある。
言っておくが、あくまで実用一点張りで、デザインは二の次。
でも「知らない場所に初めて行く人」を迷わず目的地に到着させられるという機能に特化した地図の作成なら、他人に負ける気がしない。
そんなワタクシが尊敬するのは、今尾恵介さん。
今尾さんは、地図、そして鉄道が大好き。鉄道と地図にまつわる多数の著作がある。
先日立ち寄った、某・学習センターで出会ったのが、写真の本。
久し振りに、本文とその他の場所の二ヶ所に、指を突っ込んでいないといけない本。
今尾さんが描く本文と、その根拠になる地図。それを際限なく往復する。
一杯きこしめしているから、なおさらだ。
今まで「指二本突っ込み」しながら読んだ本の中で、ワタクシの印象に最も深いのは、フランク=ハーバートの「DUNE(邦題・砂の惑星)」シリーズ。
これも自慢だが、今やワタクシ、DUNEシリーズの作品は、カバーの折り返しをいちいち引っくり返さなくてもスンナリ読める。
しかし、楽しすぎて、なかなか先に進まないんだな。
今尾さんの本やDUNEシリーズを読むのと……
落語のお稽古が(苦笑)。
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今日は職場の送別会。
こんなことは滅多にないのだが、落語の会の呑み会が、ガチにダブルブッキング……
身体がふたつ欲しいところだけど、ワタクシは未だ修養がたりなくて「分身の術」を会得するに到ってないから、未練を残しつつ、先約の職場の送別会へ。
落語の会の呑み会会場「モダン食堂」さんも素晴らしいお店なんだけど、職場の送別会会場の「屋台十八番」さん。ここがまた……
日本酒の品揃えの充実ぶりがいい。ビールをとるのがモッタイナイくらい。
となったら「指南役」としては、乾杯から日本酒じゃないとね!
まずは未体験の喜多方のお酒「蔵粋(クラシック)」。モーツァルトの音楽を聴かせて醸していることで有名。
一杯目に頼んでしまったのは失敗……濃ゆい豊潤な味わいで、乾杯にはチョイとキツい。
次は「東光」の辛口にした。サラリとして、スイスイ入る呑み口。一杯目と二杯目の選択が、アベコベ……
三品目は、大七。
もうひとつ、もうひとつと望んだところで、今のワタクシには、ここまでで一杯一杯だ。
お冷やの大きなペットボトルまですっかり飲み干し、時計を見たら、とっくに終バスの刻限を回ってましたがな(笑)。
何もなければこの後トコトン付き合いたかったところだけど……
ワタクシには明日がある。後ろ髪引かれる思いで、千鳥足を自宅へ運んだ。
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昭和の頃の清瀬駅北口は狭かった。
クランク状の駅の階段を降りて右手に、線路に沿ったバス乗り場。
その真向かいには、砂利敷きの「東都タクシー」乗り場ロータリーと、いつも軍艦マーチを勇ましく振り撒いていた「パチンコ・モナコ」と、そこだけは鬱蒼とした「宇都宮病院」が、立ち並んでいた。
東都タクシー乗り場に向かって左は、駅に向かって一方通行の狭い路地。商店街になっていて、少からぬ店が軒を連ねていた。
そのうちの「石川書店」は清瀬で一番大きな本屋さんだったし、その並びの中華料理店で夕食なんて云ったら、家族の一大イベントだったものだ。
「末廣」は、駅前、路地に向かって左側角に店を構えていた、居酒屋である。
実家から飛び出して10年後、ワタクシは懐かしい清瀬に戻った。
駅前はすっかり再開発されてしまい、あの狭かった路地も立派な二車線道路に拡幅されていて、かつての面影などないように見えたけど……
「末廣」は、軒下にぶら下がる“ホッピー”提灯の彩りもそのままに、そこだけ、昭和の佇まいを残していた。
以来何度か、縄暖簾をくぐった……
まさに「オヤジのサンクチュアリ」。
土間のテーブルにたむろするお客はもちろん……給仕も、調理場も、前掛けをかけたオヤジ・オンリー! 給仕係の小柄なオッサンが、いつも調理場からヤイノヤイノどやされていたっけ……。
こんなお店を一人占めするなんてモッタイナイから、タンドーのオッサンや、ごく親しい友人を、伴ったことも思い出す。
ところがこの「末廣」、ワタクシが清瀬を去る少し前に店仕舞いしてしまった。
福島移住にあたって親友連中が“壮行会”を催してくれた。健在なら一次会は迷わず「末廣」にしてもらったのだけど……それは叶わなかった。
その場所には今、コジャレたビルが建ち、スタバやらパスタレストランやらが入っている。
唯一の面影は、ビルの側面に申し訳ばかりのスペースを占めている、タバコの自販機だけだ。
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冷たい「なおし」ときたら、やっぱり「鯉の洗い」をお伴にしたい。
その点、福島は東京や大阪より恵まれている。普通のスーパーのお刺身コーナーに「鯉の洗い」が並んでるなんて、よもや、あるまいて(笑)。
とくに、福島人は“ベニマル”、県外人は“ヨーク”と呼ぶ某スーパー(……ここまで云ったら「某」は要らないべ……)に行けば、まず間違いなくあったのだ。3・11以前の夏場は。
ところが、一昨年以来、ベニマルで「鯉の洗い」をゲットできる機会が、すっかり減ってしまった。
原発事故の、なせる業か……
先週の水曜日。
ベニマルでは水曜日を「お魚の市」と銘打ち、“お刺身一パック350円、二パックなら698円!」という特売を打つ。その“お刺身バイキング”の中に鯉の洗いがあったのを、ワタクシは見たのだ。
ところが先週のワタクシはまだ「もう半分」モードだったから、食指が動かなかった。
晴れて「“青菜”モード」に移って、ベニマル通いを始めたが、なかなか姿を見せてはくれぬ。昨夜なんぞ3軒買い出しのハシゴをして、虚しく自宅へ帰った……
でも、先週の水曜日の一件があるからね!
終業のチャイムも待ち遠しく、即座にタイムカードに打刻、満を持してベニマルへ。
「キ、キタ〜〜〜!!」
しかも早くも値引きシール付き!!
辛子酢味噌も調合して「なおし」のお伴に。
エアコンなど無い我が家だけれど、“なおし”と鯉の洗いがあれば、パラダイス!?
いつまでも“義経”にしたくない。
「弁慶〜!!」
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あるくにで、あったげな。
蹴鞠の盛んなくにでのぉ、蹴鞠の好きでない者が誰一人おらなんだ、とさ。
ある日のこと。
東の村と西の村で、蹴鞠の手合わせがあったとさ。
その、楽しいはずの手合わせの最中のことじゃ。
ある蹴鞠手が、なにか禁じ手を使ったように見たとみえて、差配役がその男に退場を申し付けたのじゃ。
ところが云われた蹴鞠手は、そんな禁じ手を使ったと思いもよらず……、差配に食ってかかったのじゃよ。
お互いに世慣れた男なら、こげなことは起こらんかったじゃろうに……
あまりにくどく詰め寄る蹴鞠手に業を煮やした差配役……、丸腰ならば取っ組み合いで、お互い痣だらけになるか、悪くしても骨を二三本折ったくらいで済んだものを……
こともあろうに、たまたま呑んでいた二尺足らずのダンビラもの、ギラリと躍らせたかと見る間に、相手の胸ぐらへズブズブズブズブ〜ッ……!
これを見ていた村の衆、差配役を縛り上げたかと見る間に、殴るは蹴るは、挙げ句の果てに刃物を取り出し、急所を突き刺しただけならまだしも、ついにはその首を挙げ、市中に晒した、とかや……。
ほんに、馬鹿と刃物は、使いようじゃて……
世界を見れば、こんなやりきれないニュースが、リアルタイムで、ある。
「いや〜、日本じゃ、そんなの無いよね」
とも……云えないんじゃない?
たが屋が窮まって思わず刀をグイと振り回すと、侍の首が天上高く、スポ〜ン!と飛んだ。
「上がった上がった上がったァ〜! た〜が屋ァ〜!」
普段は何の気なしに携えていられるとしても。でも、一旦暴走しはじめたら何が起こるか判らないような飛び道具なんて……
持たないほうがいい。
無いほうがいい。
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今夜から、夏の恒例「“なおし”の実地稽古」。
今日は、冷蔵庫に賞味期限スレスレ、それもアウト側という食材がタンマリあるのがわかっていたから、心をオニにして、鯉の洗いは我慢、がまん、ガマン……
曲がりなりにも「会津日本酒指南役」だからなぁ、口開けくらいは会津の焼酎ベースにしないと、罰があたるでしょ!
「栄川・秘酎」も浮かんだけれど、量目単価の安い、コレ「花春焼酎」をチョイス。
ちなみに「秘酎」だと福島市内なら、繁った樹の緑の看板が目印のお店が、一番安い。
「花春焼酎」は、市内に三軒ある赤と黒の看板の酒販スーパーに行けば、ある。
ははは、セコい「指南役」(笑)。
まぁ大体やね、酒呑みなんて、意地の汚いもんやからねぇ、ヒヒヒヒヒ……
「秘酎」「花春焼酎」、ともに「粕取り焼酎」だ。清酒を絞ったあとに残る酒粕。まだかなりのアルコールが含まれている。これを蒸留してできるのが「粕取り焼酎」、一名「早苗振(さなぶり)焼酎」。
酒粕はネバネバベトベトしているものだから、焼酎を取るために蒸すときには、蒸気が充分通るよう、籾殻や藁などを混ぜるそうだ。
「いただきま〜す!」と、“なおし”に仕立てたグラスを傾けた途端……
狭苦しい我が家の風景が、……スッと溶け去って、目の前に広がったのは、蒙古の大草原。
ワタクシは、ムッと香り立つ草いきれを、深く深く吸い込んで味わいながら、向い風にたてがみをなびかせて佇む、一頭の馬になった。
ヒヒ〜ン(笑)!
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どんな切符を買って名古屋へ向かったのか、ハッキリした記憶が、ない。
しかし、当日の自分の行動を思い起こすと、どうやらまだ健在だった「ミニ周遊券」を利用したようだ。
名古屋へ着いた翌日、ワタクシは岐阜へ向かった。宿が金山だから、JRでも名鉄でも、どっちでもいい。好みなら名鉄なのだが……、どうもJRで向かった、らしい。周遊券で“乗り放題”だからね。
こう書いたところで、思い出した。
JR名古屋駅、在来線のホームには「立ち食い蕎麦」ならぬ「立ち食いきしめん」がある。
当時の出勤途上、よく「立ち食いうどん」を朝飯にしていたワタクシ、学生時代に見かけた「立ち食いきしめん」が印象にあり、モーニングサービスで名高い喫茶店を差し置いて、名古屋駅の「駅きしめん」に立ち寄ったのだった。
が……不味くはなかったけど、期待したほど美味くもなし、「ここぞ名古屋!」という感動も得られず……チトがっかりしたのだった……。
何年も経ない学生の頃は地べただったのに、高架になってスッカリ様変わりしたJR岐阜駅の改札を出て、どんよりした曇り空の下、ワタクシが足を向けたのは、駅前ロータリーの向こうに佇む“岐阜市内線”の電停。
ポールに掲げられた時刻表を見て、ワタクシは目を剥いた!
「交通状況によっては、この停留所に電車が来ない場合があります。一つ先の“新岐阜駅前停留所”をご利用ください」……
なんという、ヤル気のなさ!
泣き出しそうな空の下、屋根もない停留所でしばらく待ってみたけれど、他に誰一人としてお客は姿を現さない……。
仕方がないから、新岐阜駅までトボトボ歩く……。
トラロープだけで仕切られた、無防備な新岐阜駅前電停には、揖斐線直通黒野行きの真新しい電車が、出発を待っていた。
すんなり彼女に身を委ねて黒野まで行ってもよかったのだが、そんな気になれなくて、わざわざ忠節止まりが来るのを待った……。
待ちに待った真紅の570型、終点の忠節までの、長からぬ区間、ほぼ「貸切り」状態……
忠節駅で後続電車を待つことしばし。構内の留置線には、昭和初期生まれの700型、ひょっとすると大正生まれの2320型も……老骨を休めていた。
ヘロヘロのレールをものともせず、新鋭780型はジョイント音も軽やかに、アッという間に黒野に到着。
傍らの車庫線には、エバーグリーンを受賞した510型。盛時の紅白をまとって休んでいる。
黒野から線路は二股に別れる。一方は「本揖斐」へ向かう揖斐線。もう一方は、谷汲口へ伸びる谷汲線。
接続する本揖斐行きは新しい770型、谷汲口行きはロートルの750型だった。ここは迷わず谷汲口行きにする(それ故、揖斐線は完乗成らなかった)。
全国の古い電車を追いかけて、それに乗ることを楽しんできたワタクシだけれど……
谷汲線の750型には、正直、降参……。
大した距離でもなく、さしてスピードも出さないのに、ガタピシ揺れる走りっぷりに、ワタクシは腰痛を兆しかけた……
「長年馴染んだツリカケ電車だけど……さすがに、もう、いいや!」
と、観念した……
谷汲口で即ターン、黒野で乗り換え、ついさっきの観念はどこへやら、来たときと同じく忠節で再び570型に乗り換えて……徹明町下車。
名鉄の岐阜600V路線は、線路もつながっているし、同じ市内を走っていたくせに、西へ伸びる“岐阜市内線〜揖斐線系統”と、東へ向かう“美濃町線系統”が、厳然と分けられていた。西武の池袋線と新宿線みたい。
徹明町は、もともとは“美濃町線”の起点。繁華街ど真ん中の交差点である。
起点駅とはいいながら、見かけはと云えば……交差点から東へ向かう大通りに、真っ赤な電車が、ヌっと停まっているだけ……。
よくよく辺りを探索すると、道沿いのビルの一角に「名鉄・徹明町駅」という看板がかかっていて、立派な出札窓口があり、駅員さんが切符を売っていた。
窓口で切符を買って、電車のステップを登る。待っていたのは札幌生まれの870型連接車。
ワタクシの“路面電車”に抱くイメージは、それまで「広軌」「複線」だった。馴染んできた東京都電に東急世田谷線、阪堺電車、広電、長崎電軌が、そうだったから……
ところが名鉄の路面電車は狭軌。しかも美濃町線ときたら、単線ときたもんだ!
徹明町を発車した870型。道路中央に輝く二条のレールを、足取り軽く走り出す。
新岐阜駅からの、新・メインルートとの合流ポイントに着いて、一時停止をしたとき……
ワタクシは不思議な光景に、思わず声を上げそうになった!
ワイシャツ姿で制帽をかぶり、タブレットの入った大きな輪っかを携えた人物が、ワタクシの乗っている電車に向かって駈けてきたのだ! よくよく見たら、運転席の片隅に、同じ形の輪っかが、ぶら下がっている……
今から30年前なら、全国どこのローカル線でもフツーに見られた「通票閉塞」、すなわち“タブレット交換”。先頃、我が国日本の鉄道ではついに絶滅した方式。
15年前時点でも既に珍しい、レトロなやり方だったのに……岐阜では、街中の路面電車に生きていた!
日野橋駅が徹明町発電車の終点。先行の新岐阜発電車に乗り換えて、関へ向かう。
この区間も、目を見張った。
専用軌道区間は、まぁ当たり前のローカル線風情なのだが……
たまに、道路との併用軌道が現れる。
これがまた……「併用軌道と云えば道路の真ん中」というワタクシの先入観をあざ笑うような「道端軌道」。
道路に並行するような線路なら、間に柵をして、キッチリ分ければいいようなものだが、そんな柵など無い……どころか、軌道のレール以外の部分がアスファルト舗装されていて、クルマもバイクも自転車も歩行者も、立ち入り放題。
「明治末期〜昭和初期に日本全国に敷かれた路面電車は、みんなきっとこんな形態だったんだろうな〜」と思わせる、貴重な路線だった……
廃止の噂が聞こえてきたとき。
「惜しい」と思う半面、「さもありなん」とも思わざるを得なかった。
車両だけは、新しい先進的なモノを導入していたけれど、いかんせん、地上設備が時代離れしすぎていた。
そのためか、ローカル鉄路の再生に積極的な、とある企業が手を挙げて、引き継ぐ意欲を見せたこともあったけど、結局匙を投げられてしまった……。
わが街福島にも、かつて岐阜の電車にソックリな路面電車が走っていたが、昭和46年に廃止されている。
かつて電車が走っていたという道路は、その事実が信じがたいほど、狭苦しい。
部分的にでも残しておけばよかったのに、と思わないでもないけれど、結局は岐阜と似たような結果になっただろう。
ただ……福島には「道端軌道」出自の鉄路が、その雰囲気を保ちつつ、健在だ。それは“飯坂電車”。
恐らく東日本唯一の、現存「道端軌道」(西日本には「熊電」がある)。
岐阜の電車や、花巻電鉄のような風情には至らないけど……
まだ乗車経験のない「鉄」の皆様、ぜひいちど飯坂電車に、乗りに来らっせ!
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と万智さんのダンナが云ったから、今日7月6日は“サラダ記念日”なんだそうな。
ワタクシはこの歌が好きだ。今きいても、発表当時の、もぎ立ての野菜でこしらえたサラダのようなみずみずしさは変わらないし……“本歌取り”で、なんぼでもパロディが作れる。
「市役所に 転入届を出したから 6月1日は移住記念日」は、今年ずいぶんマクラで使ったな。来年はもっと使うだろうなぁ……なにせ「移住10周年」だからね。
ワタクシ、実は「サラダ記念日」が7月6日だと、ハッキリ認識しているわけではない。
たまたま夕方、カーラジオを聞いていたら
「今日は“サラダ記念日”なんですよ〜」
と云ったから「ああ、そうなんだ」と気がつく、低レベルなファンに過ぎない。
でもね……、日付に何だか引っ掛かる……
あ゛!!
「誕生日プレゼントは、前後6ヵ月間受付してま〜す!!」と、この時期になると必ず雄叫っていた、タンドーのオッサンの“生誕祭”ぢゃないか!!
オッサン、存命なら、いくつになったのかな。ワタクシの一回り上の午年だから、すぐ計算できる。ええと、ええと……(←最近、自分の年齢がパッと出ないワタクシ……苦笑)
来年が午年で一緒に年男だから、誕生日を迎えれば、ワタクシは48、オッサンは“還暦”じゃん。ということは、オッサン59かぁ(遠回りな回路だね、しかし……)。
だから今夜は、オッサンに献杯しつつ、肴は、最近やけにハマっている「めばちマグロのモロヘイヤとろろ和え・ワサビ醤油とゴマ風味のサラダ仕立て」。
「プレゼント 前後6ヵ月受け付けると云っていた 七夕イブは オッサンの誕生日」
オニ字余り、お粗末!
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ゆうべの記事を書いていたら、いろんなことが、ありありと記憶の底から甦ってくる。普段はチラとも意識に上らないのにね。ニンゲンの記憶は、素晴らしくよくできた“検索エンジン”を、もともと備えているのだよ。
ところが、さんざ稽古したはずのセリフが、高座に上がった時に限って「飛ぶ」のは、なぜ?(苦笑)。
まぁ、それはそれとして……
名古屋でワタクシが“根城”にしたのは、金山駅から程近い、カプセルホテルだった。
学生の頃は「駅寝」「野宿」をモノともしなかったワタクシだけど、それは傍らに“自転車”という相棒がいたし、夜を明かすところが田舎だったり、夜行列車が走っていて24時間、駅が開いている……、そんなところばかりだったからだ。
さすがに名古屋でそれは無理。その上、自転車を伴わない純粋な鉄道旅。お酒もたしなむようになっていたから、ユースホステルもキビシイ。
「安いビジネスホテルにするかな……」と考えながら、JTB大判時刻表の巻末をめくっていて見つけたのが「カプセルイン・名古屋」であった。電話して予約を取り付けた。
こう書くと、隔世の感がする……
今度の20日にまた仙台に一泊する予定で、すっかり“定宿”になった国分町のカプセル“リーブズ”さんの予約をしたのだが、実は一度も電話をしたことがない。そもそもこのホテルを見つけたのが、自宅(……会社だったかも?)にいながらにしてのネット検索であるし、もちろん予約もネット上でしている。
便利になったものだけど……
“本屋さんで大判時刻表を買う”→“乗る列車をああでもないこうでもないと悩む”→“巻末のリストや広告を見て、宿を探す”→“ドキドキしながら予約の電話をする”、なんて手続きも、旅の楽しみの小さからぬひと齣だったのだ。
そういえば、もうずいぶん「大判時刻表」を買わないなぁ……。あの一冊さえあるならば、JRの時刻に限れば、ワタクシの検索スピードは今でもパソコン、ケータイ、スマホなんぞに負けはしないんだが。
昼どきに名古屋駅に到着したワタクシを、笑顔で迎えてくれた、まるぴん。
「駅ナカ(まだこの言葉はなかったけど)でゴメンね!」と云いながら誘ってくれたのは、味噌煮込みうどんの山本屋、名駅店。
当時まだ昼酒を辞さなかったワタクシ、ビールをチビチビ呑み、まるぴんとしゃべりながら、うどんが煮えてくる時間を楽しんでいた。
しばらくの後、熱々の土鍋が、運ばれてきた。
そこで、まるぴん
「ハイ、問題です! この土鍋は一般的なものとチョット違うんだけど、それはどこでしょう?」
「?」
「それではヒントをお見せします」
と云って、彼女は鍋の蓋を左手でとり、それをひっくり返して、うどんの取り皿にして一口食べた。
あ、判った!
「蓋に、湯気抜きの穴が無いんだ!」
「ピンポンピンポンピンポ〜ン!」
うどんを賞味したあと、名古屋城へ登った。
ワタクシ好みの歯応えのある麺、まろやかな豆味噌の汁の味わいとともに……薄曇りの鼠色の空の下、堀端の濃い緑の向こうに広がる名古屋の街並みの景色を、思い出した。
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今年2013年夏。
国内旅行が、空前の活況らしい。
わが福島も、その余録に幾らかでもあずかれれば、ありがたいな……。
ワタクシは福島移住以来、夏休みの旅と云えば、ほとんど「逆・帰省」に決まってしまったけれど、移住以前は“脱・トーキョー”とばかりに、方々へ出かけたものだ。
今を去ること、たぶん15年前の、1998年の夏休み。
ワタクシは、名古屋へ赴いた。
往路は新幹線に乗ったけど、敢えて「こだま・自由席」。
天下の東海道新幹線とはいえど、東京発の「こだま」は、当時も影が薄かった。
5〜10分間隔で「のぞみ」「ひかり」がバンバカ発車するというのに、新大阪行きの「こだま」ときたら、1時間にたった2本……。しかも、お盆にもかかわらず、自由席はガラガラ。
それもそのはず、新横浜から先は、ほぼ、全部の駅で“通過待ち”をする。
「のぞみ」なら1時間ちょっとしか要しない東京〜名古屋、ゆうに3時間……。ローカル輸送に徹している「各駅停車」なのだ。
名古屋へ何しに行ったのか、と云えば……
名古屋近辺の鉄道に乗りたかったのだ。
名鉄電車に乗って、驚いた。
ドアが閉まって発車間際
「チン、チン!」
と、ゴングが鳴る!
安っぽい電子合成音なんかじゃない。荷棚の後の壁のスリットの中に、本物のゴングがさりげなく仕込まれていて、ドアが閉まった瞬間、誇らしげに鳴り響くのだ。
当時まだ、道路との併用橋だった「犬山橋」も、電車で渡ったし。
何より、今はなき「岐阜600V路線」が、美濃町線末端区間まで現役だったから、全線乗り通すことができたのは、幸いだった。
ただ……
その夏、名古屋へ向かったのは、電車に乗るのだけが目的では、なかった。
その直前まで東京にいたけれど、名古屋の実家へ戻っていた“ftabi”シスオペの“まるぴん”さんに会うため、も。
昼食時分どきに名古屋駅に到着したワタクシを、駅構内の“味噌煮込みうどん・山本屋”へ誘ってくれたっけ……
翌日の晩、栄で待ち合わせして“手羽先”の美味い居酒屋へ連れて行ってもらったっけ……
夏の旅のシーズンになると、彼女の笑顔を思い出す。
まるぴん、元気でいるかい?
当時のハンドルネーム“X508”より。
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