ワタクシ、生まれて約半世紀、成人してから約30年。
どうも「平均的日本人男性」の、一生分のCH3CH2OH、すなわちエチルアルコールの摂取量を、はるかに超えてしまったらしい。
明るいうちから「呑まないといられない」わけではないから“タンドーのオッサンのような”または“ご近所のKさんみたいな”アル中とは、違う。
でもこの頃、陽が西に傾くやいなや「今宵は如何に美味しく呑もうか」というほかに、何の考えも浮かばない。おまけに“家呑み”すれば、トコトン酔うまでキリがつかない。
おそらく有望(?)な“アル中予備軍”な〜のだ(苦笑)。
若い頃は、呑みすぎると、まず、胃袋が拒否反応を示した。汚い話、便所の便器から、離れられなくなるのであった……。ちなみに、その“限界”は、日本酒換算6合だった。
これが転機を迎えたのは、10年ほど前。
いくら呑んでも吐き気を催さなくなった。
俄然、調子に乗って呑むように。「オイラも酒に強くなったもんだ!!」なんてうそぶいていたのも束の間……
お題目は何だったかスッカリ忘れてしまったが、職場の飲み会の最中。
トイレに向かおうとして「ドンガラガッチャ〜〜ン」と、派手にコケてしまった……
呑むと身体がいうことをきかなくなり始まってしまったのだ。ただし、それ以来、酔って記憶をなくした記憶もない。
以来……
身体がヘベレケでも、意識はしっかりしてるのだ。
喋ると呂律が回ってない……それでいて「呂律が回ってない」自覚はきちんとあるのである。
その後、同じような失態を度々繰り返すことになる。
そのなかで一番大きいのは4年前、テルサ寄席の打ち上げで、したたかに呑んだ時だ。
太鼓を、おと丸姐さんに喜んでもらったのに気を良くして、電子ドラムという大荷物があるのに、浪曲の雲先生に勧められるがまま、盃を空けた……
人体というものは、因果なことに、地表から一番遠い“アタマ”が最も、重くできているのだ。ワタクシはその事実と「万有引力」をその夜、発見した(苦笑)。
未だワタクシが生きていられるのは、その時面倒をみてくれた、長山ツバサくんのおかげである。ツバサくんの適切なフォローなかりせば、ワタクシはあそこで野垂死んでいたに違いない。
ワタクシはそれから数日、エレファントマンさながらの面相を世間にさらさなけばならなかったが、おかげさまで今日も生きている。……ツバサくんは、ワタクシの命の恩人にほかならない。
それでもしばらく、うちではもちろん、外でも気の向くままに呑んでいたのだが……
去年、仙台新撰落語会の打ち上げ。
二次会のスナックへたどり着けなかったのだ。六々さんの肩をお借りするならまだしも、目ぼそ兄さんも、ワタクシの軽からぬ頭陀袋のゴトキ五体を、宿のフロントまで運搬してくださった。
六々さん、目ぼそ兄さん、そして一度泊めてもらったぴん吉さん……恩に着ます……
今はあの世の住人になってしまわれた、勇家とんび兄さんにも……
いつまでも学習しないのは馬鹿だと、ワタクシも、心から、そう思う(笑)。
余談だが、風林火山先輩の、前川清の歌は、素晴らしい。風貌といい、声質といい、彷彿とさせるところをお持ちですよ……
閑話休題。ワタクシの酒量。
ワタクシの愛読書のひとつ、アイザック=アシモフ著「黒後家蜘蛛の会」に、ジェフリー=アヴァロンという人物がある。
この短編小説集は「黒後家蜘蛛の会」と銘打った会食会で、メンバーの身近に起こった様々な怪事件が話題にのぼり、各メンバーが「ああでもない、こうでもない!」と口角沫を飛ばして自説を開陳するが、どれも的外れ……そこへ年配のウェイター、ヘンリーが、正鵠を得た解釈を話す、という定型で物語が展開される。
ジェフは、メンバーのなかでも“冷静沈着”で通っている。なんとなれば彼は、いかに目を見はる料理が出ようとも、エキサイティングな話題が出ようとも「ワインをグラス一杯と半分」の定量を超すことがないから(一回だけ例外があるけど……)。
ワタクシは、ジェフの真似をすることにした。
外呑みのときは、日本酒換算2合まで(嗚呼!! 若き頃の限界の1/3!!)で、アルコール類はSTOP!!
そこから先は、スペシャルドリンク「茂庭の雫」、又の名を「明日のために」を、ピッチャーで頼む。
わが実家辺りなら「多摩湖の雫」。神奈川県なら「相模湖の雫」、京阪なら「琵琶湖の雫」……
要するに“お冷や”なんだけどね(笑)。
おかげで、飲み会の翌日「二日酔い」でブルーになるのも皆無になったんだけど……
やっぱりどうも、テンション上がらないんだな……
アルコールを控えるとしても……お茶とか、コーラとか、興奮剤成分を含む飲み物の方が、飲み会向きなのかもね。
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