日の出とともに目を覚まし、顔を洗うのもソコソコに作業服に着替え、長靴を履いて、牛舎へ。
ネコ車に飼料を山盛り積んで、雌牛さんたちに「おはよう、夕べは蒸し暑かったねぇ!! よく眠れたかい!?」なんて声を掛けながら、配って歩く。
一通り配り終わると、ぬるま湯を満たしたバケツに、洗いざらしのタオルを添えて、牛さんたちの背後に廻る。
固く絞ったタオルで、彼女たちの乳房を優しくマッサージすると……、それまでプニプニだった乳房が、弾力タップリ、パンパンに膨らんでくる。すかさず搾乳器をスポリとはめてやると、彼女たちは思い思いに餌を食みながら……もしくはジャージャードカドカ、賑やかに排泄しながら、まんざらでもなさそうな顔をしている。
朝ごはんと搾乳が終わると、お待ちかねの“放牧タ〜イム”! 牛舎の扉を開けて、鼻輪を柵から外すと、みんな嬉しそうに、表へ駈けていく。
でもこっちにはまだ、仕事がある。
湿った寝藁や排泄物をキレイにさらって運び出す(ベルトコンベアの助けなど借りながら……)。
藁と牛糞にまみれながらの作業が済んで……
ようやく、こちらは朝ごはんにありつける。
夕方。
牛舎の扉の脇で
「べ〜べ〜べ〜べ〜、べ〜べ〜べ〜べ〜!」
と呼ぶと、雌牛さんたち、転がるように牛舎へ帰ってくる。しかもちゃんと自分のブースをわきまえてるから、牛舎の中でいちいち誘導なんかしなくていい。下手なサンデードライバーより、よほど賢い(笑)。
あとは、12時間前の、朝と同じ流れになる。もっとも、夕方は掃除が省けるから、作業は30分ほど短くて済む。
風呂を使って汗を流したら、居間で焼酎(てか、ホワイトリカー)を酌み交わすか、駅前のホルモン焼き屋へ、クルマで(笑)、一杯飲りに行く……。
約30年前の夏、北海道・音威子府村、細川親方の牧場で、ワタクシは一月を過ごした。
なつかしい親方の牧場も、牛舎も、家も、今はない。直に確かめた訳ではないけれど、高規格道路の予定地にかかり、牛さんたちが遊んでいた、親方のご先祖さんが眠ってた墓場の辺りに、えらい立派なトンネルが出来てるらしい……
大震災発生から、3年。
ワタクシなどは風来坊だから、困ることと云ったって、たかが知れているけれど。
農家の方々は、それこそ、筆舌に尽くしがたい思いの3年間だったろうと想像する。
そんななか、ワタクシが快哉を覚えたのは「福島復興酪農牧場」開設のニュースだ。
浪江や飯舘で、震災発生前から、酪農に取り組んで来られた方々が協同して、福島市土船に、新しい酪農牧場を拓くんだそうだ。
いま、福島はもとより、日本の酪農は、大きな曲がり角にさしかかっている。
ここで長閑に描いた「細川牧場」だけど、酪農家は、一日たりとて職場を離れることができない。相手は生きている雌牛さんたち、朝な夕なの給餌と搾乳は必須だ。日曜も祝日も盆も正月もない。
親方に、稚内まで連れていってもらったことがあったけど、音威子府の酪農家としたら、恐らく限界ギリギリの“お出かけ”。子供二人とお婆ちゃん同行のドライブだったが、お爺ちゃんとおかみさんは、留守番だった……
他の農業や畜産が、較べて楽とは思わないけれど……「酪農にまつわる労働の厳しさ」については、わずかだが解ってるつもりだ。
福島復興酪農牧場さんには、ぜひ「革命」を起こしてほしい。
日本一、否、世界一、美味しくて、安全な牛乳と乳製品を、世に送り出してほしい。
なにか、お手伝いができれば嬉しいのだけど……
まずは、牧場が立ち上がったら、製品を買う……カウ……cow、ところからかな(笑)。
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