復興応援・青森チャリティ寄席
根多帳
一日目・8月2日、於・青森中央市民センター(旧・文化センターと云ったほうが、通じやすいらしい)
日が志 開口一番
ばじる「鰻屋」
ワタクシとんぼ「たがや(川端誠原作)」
日が志「越路風吹伝」【曲師・宮川さん(ピアノ)】
※アンコール
日が志「親の顔」
二日目・輻竹整骨院ライブハウス
日が志 開口一番
ばじる「きりん」
ワタクシとんぼ「幽霊の辻」
葉桜「お菊の皿」
日が志「越路風吹伝」【曲師・宮川さん(ピアノ)】
撮影スタッフ 高木さん(両日)
敬称ムチャクチャ(笑)。ご容赦ください……
ねぶた参加を含めて、暑い、熱い二日間でした。
日が志師匠が今回演じた「越路風吹伝」。
実は、ワタクシにとっては、たいへん思い出深い噺でして……
ワタクシを福島に連れてきたタンドーオヤブンの納骨に西会津へ向かっていたちょうどその時、落語仲間のすゞめ姐さんが、福島市近郊で開かれる、小朝師匠の独演会に誘ってくれた。
ワタクシの年代にとっては、小朝師匠はスーパースターだ。
中学生の頃、師匠がパーソナリティー(当時はDJと云ったが)を務めていた“夜はともだち”は、欠かさず聴いてたし、たった一遍だけだけど、番組中でハガキを読んでもらったこともある。
しかし、その頃の縁はそれどまりで、小朝師匠のライブを観ることもなく、幾星霜……
この独演会での演目のひとつが
「越路風吹伝」
だった。
小朝を二席聴く。
泣く。
ワタクシの状況が状況だっただけに、身につまされることもあり……
ワタクシは、客席で、泣いていた。
憧れの小朝師匠の高座。
まさか、落語で涙を流すなんて、思いもよらないことだった。
忘れられない一席である。
これを、日が志師匠が演るという。
宮川さんのピアノにのせた、日が志師匠の優しい口調で繰り広げられる語りに、ワタクシは当時を思い起こして、涙があふれそうになった。
ボロボロ泣きはしなかったけど。
泣くところまで至らなかったけど、日が志師匠のせいではない。
あの時のワタクシの状況が、異常過ぎたのである。
ワタクシの創作落語のなかで、いまのところの唯一の自信作「目黒の蛸薬師」。
あの時「越路風吹伝」を聴いていなければ、恐らく出来はしなかった。
噺の流れも内容も傾向も、全く異なるものだけれど……「蛸薬師」は「越路風吹伝」の影響を、確実に受けている。
あの衝撃から、5年……
日が志師匠の“コーちゃん”を、二度聴く。
泣く……
ワタクシは、これではダメだ。詰めが甘すぎる。
日が志師匠、衣装バッグに台本を入れてきて、本番直前まで稽古に余念がない……
一方のワタクシはといえば……
今回の二題、書き起こした台本は無い。元ネタを念頭に置いて、出任せでしゃべっているだけだ。
「耳コピ+アレンジ」だと強弁して、手間を掛けない言い訳にしてきたけれど……
ヤッパリこれでは、ダメだべした!!
論より証拠、幽霊の辻。このところ三遍、掛けている。
元々は上方のシチュエーションなのだが、ワタクシは、旅人を江戸で評判の速足の飛脚にし、茶屋の婆様は福島弁をしゃべらせるようにした。
こういう原作とは異なるヤヤコシイ設定をするなら、ヤッパリ一度、紙に書き出さないとダメだ。
江戸っ子は、江戸っ子になりきれてないし……
婆様も、ムチャクチャ中途半端で、東日本なのか西日本なのか、ごちゃ混ぜだし。
そして、全国的に「東北弁」と括られてしまう「みちのくコトバ」……幅の広いこと……通用するエリアが、ことのほか狭いこと……
ワタクシの半端な福島弁も、どうやら福島でしか通用しないらしいのだ。
「幽霊の辻」は、怪談じみてはいるけれど、ワタクシは「怪談っぽい滑稽噺」だと思っている。
福島で、半端な福島弁を振り回すと、どうやらそれが伝わるようなんだが……
婆さんのセリフが通じない故に、一歩福島を出て演ると「正真正銘の怪談噺」に取られてしまうようだ。
そらほうだなぃ。
最初の“水子池”、「ジャランポガランポ」=葬式、「ガンバコ」=棺桶、こういう忌み言葉は、土地土地で違うからなぃ、パッとはわがんねべなぃ。
なにさ語ってっかわかんねえとごさもってきてハァ、次から次へとおっかなそうな話さすんだもん、聴く方は付いていがんにべした。
んだがらハァ、しっかと一遍、台本さ書かっとかねぇとハァ、わがんにんだぞぃ。
しかしまぁ「福島弁金明竹」は、地元の皆さんにドン引きさっち、「幽霊の辻」がコレではハァ、おらハァ、これからいってえ、どしたらよかんべ〜…………
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