ワタクシが敬愛してやまない、柳昇師匠晩年の、十八番である。
(以下、全く同じことを以前書いた記憶がある。サッサと読み飛ばしてくださいな)
なんて、知ったようなことを書いたけど「カラオケ病院」という演目を意識したのは、四年前の夏だった。
お盆の池袋演芸場にて、昔々亭桃太郎師匠の出番。
今はすっかり下火になってしまった「圓生襲名問題」を「あたしも昇太も師匠の名を継ごうなんて思ってない!」とこき下ろし、しかも師匠が座布団に座るや否や、帰っちゃった男女二人連れのお客さんがいて……。そうやられたら、毒づきまくるのも当たり前。ライヴの寄席ならではの痛快な一席、その演目が「カラオケ病院」だった。
それが晩年の柳昇師匠の十八番だったこと、師匠のお通夜に参列したとき、スピーカーから流れていたのがこの噺だった、とは、それからずいぶん経ってから気付いた。
ワタクシのカラオケ病院初演は、平成23年2月18日だ。
そんな裏事情などもちろん露知らなかったのだが、その一週間前に、福島市民なら知らぬ人はいない、某・大◎病院が経営破綻した。
これには心底驚きながら……噺に妙なリアリティがついてしまった(笑)。
それから、三週間後だった、東北関東を大地震が襲ったのは……
避難所へ、落語しに行こうと誘ってもらった。
ひたすら「カラオケ病院」ばかりやったっけ……
その時のワタクシの持ち根多が、それしかなかったこともあるけど……。
他愛ない“替歌”にしても、馴染み深いメロディを歌う、というムーブメントは、どこか人の心を動かし、癒す働きをすると思う。
だからなのか、その年は「カラオケ病院」ばかりやっていた気がする。
池田にも持っていったし。
ワタクシの面識の範囲で「カラオケ病院」を持ち根多にするアマチュアのかたが4人、いらっしゃる。
第一人者は、仙台の友楽師匠。
ワタクシの初演に先立つこと二年、仙台新撰落語会にて披露されている。“東北で初めてカラオケ病院を演じた落語家”にして“芸術協会に向かってこの噺の継承を促した”と、ご本人の談。
「星影のワルツと北国の春じゃ、千昌夫の歌でアタッてる。あれはまずかったね」と、オリジナルの替歌をかましてらっしゃるらしい。
ずば抜けてるのは、鹿沼の珍歌師匠。医者の会議シーンから、すっかり“珍歌ワールド”に引き込まれ、しかも替歌がなんと、全てオリジナル。
この噺の替歌は「病気」をお題にしているから、なかなか難しい。深刻な病では笑えない。
珍歌師匠のスゴいところは、そのスレスレのところで綱渡りしながら、決してイヤな気持ちをもたらさないこと!!
「軽い脳梗塞」を揃って患った夫婦の歌う「銀恋」、絶品である。あれはいつかお許しを頂戴して、ワタクシもやりたい!
あとお二人は、山形の間助さんと、広島のわいんさん。
不思議とワタクシとほぼ同時期に、初演なさっている。
ただこの噺、出番順や前後の噺の成り行きで、出すのがなかなか難しい。
三年前には十席以上やったのに、今は年に三遍できれば、多い方だ。オリジナル替歌もなかなかできないし。
三年前、池田に行ったときのサゲ。
大阪のオッサンが、いきなり乱入してきて、なんのひねりもない「浪花恋しぐれ」をガナル。
そこへ、オッサンの女房登場。
「すんまへんなぁ、もうウチの人ったら“俺の歌は日本一や、社会人カラオケ大会で優勝するんや“言うて聞かへんの……。これやっぱり何かビョーキちゃいますか?」
「あ、間違いありません“天狗熱”です!」
三年早まったか、これ(笑)。
カラオケ病院のサゲはワタクシ、この“天狗熱”、柳昇師匠の“地上げ屋”ともうひとつ、しめて三つを使い分けてきた。
あとは……
診療科「禁煙外来」
歌は「なんてったってアイドル」(笑)。
♪女房子供には嫌われ
哀れベランダでホタル族
ウチだけじゃなく外でも
気ままに吸えずに
つのるイライラ
健康診断受ければ
先生が 写真を取り出し
「アナタの肺はこうよ!」と
見せつけられる その
真っ黒けが イヤ、イヤ!!
何度かチャレンジしたけど
一週間で元の木阿弥
禁煙グッズ色々
試したけれど 続かない……
なんてったって、禁煙!!
ケムリよバイバイ!!
(ケムリバイバイ!!)
なんてったって、禁煙!!
ケムリよバイバイ!!
(ケムリバイバイ!!)
でもこの一服が……
や〜めら〜れな〜い……!
スー!! パー!!
スー!! パー!!
スー!! パー!!
「……あなたね、禁煙には“タバコを止めたい”という、あなた自身の強い気持ちが必要なんです。あなた、その意志(イシ)は、しっかりしてるんでしょうね?」
「先生、それに自信がないからこうしてここへ、医師(イシ)を頼って来たんです!!」
昨今のワタクシを預言してるんじゃないかい?
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