20年
明日。
阪神淡路大震災から、丸20年になる。
20年前も今も変わらずワタクシは、某国営ラジオ第一放送を目覚まし代わりにしている。
今は6時チョイ前の天気予報から鳴らしているが、当時は「♪新〜しい 朝が来た!」の歌から鳴るようにセットしていた。
ラジオ体操は、余程のことでもないかぎり、フツーに放送される。去年の初夏から放送に合わせて体操するようになったけど、当時のワタクシには、それは単なる「目覚めのきっかけ」であった。
体操の時間が終わり……
何だか、普段と様子が違う。
耳を澄ますと
「神戸で震度6」と、聞こえた。
まさか!!
ロフトから転がるように降りて、当時も滅多にスイッチを入れたことのなかった、テレビを点ける。
いきなり、方々からどす黒い煙の上がる、神戸市街の光景が映った。
刻々と入ってくる惨状の映像……。唖然として、職場に遅刻するかしないかのギリギリの刻限まで、画面に釘付けになった。
神奈川・秦野から、埼玉・浦和に移った約半年後のことである。
浦和に越して、わがオヤブン、タンドーのオッサンと、再び親密な付き合いが始まった矢先の出来事であった。
ワタクシが浦和に越したのと相前後するように、オッサン、国分寺の借家を引き払い、家族を福島の家に移した。
「トーキョーは子育てには向かない。それに、会津の両親も心配だから」と、云った。ナルホドとは思ったけれど……。
阪神淡路の震災発生後、かなり経ってから「実は夢を見た」という。
ビルや高速道路が、大地震でバタバタ倒れている光景を。
愛娘、ユキちゃんが生まれたばかりの頃だった。
「俺は乳飲み子抱えて、トーキョーみたいなこんなところで生き抜く自信がない。だから、カミサンを無理矢理説き伏せて、福島にやったんだ。福島は“イワシロの国”と云われるくらい、昔から地盤は丈夫だし、トーキョーみたいに過密じゃないから、オレでも何とかやってける。
でもさ……あの日テレビ視て……オレが視たのはこれだったのか〜〜と、ガッカリした!!」
後にオッサン自らも福島へ帰り……ワタクシもここへ呼び寄せられた。
オッサンの観た夢と、20年前の震災が無かったら、ワタクシは現在、何処でどんな暮らしをしていたことやら……
だから、福島の社会人落語家「裁落亭とんぼ」は……
阪神淡路大震災の落とし子なのです。
そして
ユキちゃんも、二十歳になったんだなぁ。
成人、おめでとう!!
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