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2015年1月29日 (木)

サタケと云えば、名門である。

精米機の(笑)。

おコメの業界にいる人なら「サタケと云えば、精米機」と、ピンと直感する……んでは、ないかな?

千把こきの先っぽみたいにとんがった、ローマ字の「SATAKE」の、ロゴマークを今、突然、思い出したりなんかして。

サタケと云えば、秋田のお殿様。ワタクシの記憶が確かならば、今の秋田県知事も、その後裔にあたるはずだ。
でも、サタケさん、元々からの秋田のお殿様ではないんだね。出身は常陸の国、今の茨城県。関ヶ原のドサクサの結果、言い様は悪いが、秋田に“飛ばされた”。

秋田と茨城……ともに、美味いお米の名産地であるのは、サタケの殿様の意地が今なお、引き継がれているからではないかしらん……

福島に来る前、働いていた会社に、サタケさんという先輩がいらした。そこを初めて訪ねたとき、応対してくれたのが、まさしくそのサタケさんであった。
40を出たというのに独身で、鰻の寝床のような細長いマンションの一室で、独り暮らしをしてた。

配属の関係で、机を並べることは、ついぞ無かったけれど……

一度だけ、呑んだ挙げ句に帰れなくなって、泊めていただいたことがある。

あれからかれこれ、15年。


サタケさん、元気でいますか?

コチトラは、当時には思いもよらなかった、福島の空の下、どうやら何とか生きてます。

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2015年1月26日 (月)

幼い頃の寄席体験

ライヴの口演に触れるインパクト。落語を(落語には限らないけど……)ラジオやCDで聴くのもワタクシは好きだけど、やっぱり同じ時間をお客として、演者と共有できるのは、ライヴを於いて、他にない。

三遊亭若馬というお師匠さんが、ワタクシの育った町に住んでいらした。ちょうどワタクシが落語にハマり始めた頃。わが町のホールでの「清瀬市民寄席」を、主宰された。

若馬師匠は、円馬門下。芸協所属である。

当時はそんな落語会が珍しかったのだかどうだか……芸協のそうそうたるお師匠さんたちの至芸に、ワタクシは若い身空で、すっかり魅せられてしまった……

米丸師匠に柳昇師匠、笑三師匠に遊三師匠、円右師匠に川崎の先代柳好師匠、ハッキリと覚えてないのが申し訳ないけど、橘ノ圓師匠、伯枝から柳橋を襲名して間もなくの七代目。新治の先代文治師匠に、むらく師匠、北見マキ先生の奇術、「もう、帰ろうよ」の千代若千代菊師匠の漫才……

それこそ30年前の芸協“オールスターキャスト”。

またこれが残念なことに、そのお師匠さんたちの演目で、ハッキリ記憶にあるのは、ただひとつだけ。
柳昇師匠の「里帰り」。

「ねぇお前さん、ハルが来た、ハルが来た!!」
「どこに来たんだ?」
「里に来たのよ!!」

こうして打ち文字にしたところで、可笑しくも何ともないのに、師匠はこのやり取りだけで、500人満員の市民ホールに、爆笑の渦を巻き起こす。

もっと残念なことに、これがワタクシの「ライヴ柳昇」、唯一の経験である。この次、師匠の間近を訪ねたのは……師匠のお通夜であった……

ハッキリ覚えてないくせに、いまだワタクシに影響を及ぼしている(らしい)一席がある。

歌丸師匠の「つる」。

清瀬市民寄席で、初めて触れた(らしい)。
当時のワタクシ、市内中の図書館の落語書籍は、恐らく全て読破していて、テレビやラジオの寄席番組エアチェックを欠かしていなかったにも関わらず……「つる」は、初体験だった……


そんなことは、すっかり忘れ去っていて……、だからこそ、そうなったんだが。

福島で落語を再開するとき、なぜか「つ〜、る〜」というフレーズが脳裏に甦り「“つる”演ります!!」と、笑遊師匠に宣言したのだ。
ところが……

どこをどう探しても、音源はおろか、書籍もメモすらも、我が家から何一つ出てこない……

仕方がないので、ネットに出てた上方の台本をいじり倒しまくって、信夫の麓寄席に持ってった。
今振り返ると、最も数を掛けているのが、この「つる」なんだから、不思議だね。そして、良いか悪いか、お手本をいじらずにいられない、ワタクシの妙な芸風は「つる」から始まってる。


先日のAOZ寄席のあと、まり雄・くり坊、父子お二人の素晴らしいマネージャー、まり雄ママの、ご幼少の頃の寄席体験のお話を伺って、つらつら思い出した次第でありました。

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2015年1月25日 (日)

マッサンがスコットランドへ旅立つ数十年前

マッサンがスコットランドへ旅立つ数十年前
イギリスから、一人の女性が、東北探訪にやってきた。

彼女の名は“イサベラ・バード”。

ワタクシ不覚にも、彼女の存在を、ついぞ知らなかった。去年の真夏、青森へ向かう新幹線のシートに備え付けの“トランヴェール”誌面で、初めて出会った。


以来、ぜひ彼女の著作に触れたいとは思っていたけれど……
こちらのコンディションも良くなかった。ホント、去年の秋口辺りから、余裕なかったし。

それを見透かしていたかのごとく、今日の昼下がり、やっと少し落ち着きを取り戻して訪ねた県立図書館の書棚で……彼女は待っていてくれた。

暫くは、夜毎、明治始めの東北・北海道を、イサベラさんと訪ねる旅に出ます。

電話に出なくても、メールに返事を寄越さなくても、探さないでください(笑)。

嗚呼。
こんな能天気で、いいのかな……

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2015年1月23日 (金)

仙石東北ライン

この春の、JR東日本ダイヤ改正の目玉は“上野東京ライン”復活開業。
上野〜東京間の在来線の“汽車線”が廃止されて久しいが……30年を経て、見事復活を遂げるのだ。

コレは本当に涙ぐましい小さな工夫の積み重ねの成果だ。

もし、山手線、京浜東北線で、東京〜上野間を通る機会があるなら、スマホなんか弄ってないで、車窓を眺めてみてほしい。

今、山手線内回りと京浜東北線北行が発着しているホームは、かつての中央線ホームだ。東北・上越・北陸新幹線を東京駅から発車させるスペース確保とともに、あの煉瓦造りの丸の内駅舎を保存するために、線路は二階建てに改築された。

ギリギリ三複線のスペースしかない、東京〜神田間。地下深い上野駅ホームへ急勾配で下る新幹線の線路の上空に、思いの外華奢な造りの在来線の高架橋が、被さる。

秋葉原。
山手・京浜東北線と総武線の交差だけでもワクワクする駅の造り……今や、東に降りれば、地下に筑波エキスプレスの駅もあるし、ヤッチャバ跡にはシースルーの、オシャレなビルが建っている。

北日本とトーキョーの、玄関口だった、上野駅。
今はまだターミナルの雰囲気を湛えているけど、あと何年か経つと“両国駅”のようになってしまうんだろうな……

閑話休題。
“仙石東北ライン”である。

仙石線と東北本線、昔から線路が近接してた所があった。
成立の経緯もあって、それを結ぼうなんて話は聞いたことがなかったんだけど……

恐らく“東日本大震災”がきっかけで、急に実現する運びになった。

ただ、大きな障害があって……

仙石線は、直流1,500V電化。
東北本線は、交流20,000V電化。
電車で直通させるとなると、高価な“交直流両用車”が、必要だ。
ところが、哀しいかなこの区間、そんなプレミアムな電車を投入してペイできるような、輸送需要は……ない。

電化方式にとらわれない鉄道車両にディーゼルカーがあるけれど……昔よりかなり俊足にはなったとはいえ、電車にはとても及ばない。

そこで注目されたのが、内燃機関と電気モーターを並装する“ハイブリッド車”。

仙石東北ラインで、都市間輸送鉄道としては、恐らく世界で初めての“ハイブリッド車”がデビューする。
HB-210という車両だ。

将来の鉄道車両のひとつの試金石になるものだと、ワタクシは思った。
そういえば、同じく仙台近郊の仙山線が、我が国の鉄道交流電化、始まりの路線である。
今度のHBも、恐らくテストケースとしての導入なのだろうが、ぜひ、後世のために、さまざまな成果を残してほしいと思う。

ところで……
この“HB-210”……

車体はほとんど、E721、そのままだ。

ちょっと涙が出そうになった。


常磐線の新地駅で、津波に呑まれて横倒しになってたE721……

現車は確か、その場で解体の憂き目になったと記憶しているが……

新しい使命を受けて、新たな命を吹き込まれて、生き返って来たんだな、きっと。

春になったら、乗りに行こう。

そして……新装・女川駅を訪れて“ゆぽっぽ”のお風呂に浸かって来よう。

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2015年1月22日 (木)

中国の歴史は面白い!

中国の歴史は面白い!
なにせ「三千年」の蓄積はハンパではない。

現代日本人が、わりかし知ってるのは「項羽と劉邦」「三國志」くらいだと思うけど……それだけじゃない。
春秋戦国、漢帝国の興亡、三国時代の後に続く国々の行く末、それに翻弄される沢山の男と女の人間模様……

人類は進歩したのか? 確かに、ある面では。でも、別の面では、三千年前と全然変わってない。相変わらずバカだ。

そんな愚かさを誰もが持っているということを、中国の歴史は語ってくれる。

厚みが2センチはあろうかという文庫版で6冊、相当な大部である「小説・十八史略」。
完読にはなかなか骨が折れるけど、中国史を概観するには、最適な作品です。

陳舜臣さん、ありがとう。


憎しみやサディズム、恐怖支配が、栄光や繁栄に至った試しは、ないのです。

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2015年1月21日 (水)

あのオチを、云いたい

落語をテメエで演じようという人なら、プロアマ問わず「あの“オチ”を云ってみたい!!」という、憧れがあるはずだ。

噺によっては、オチが今一つのものもある。従来のモノを超えるオチを、懸命に工夫する。

これが高じると……噺全体を、自ら拵えてみたくなる。

でもね。
古典落語のオチは、ヤッパリ上手く出来てるんだなぁ…。

小さなエピソードを重ねて重ねて、伏線を張って……おしまいの一言で、ストンと落とす。

オチを云うだけなら、誰でもできる。だけども、伏線を張りながら、お客さんを惹き付けて放さないのが……名人の名人たるゆえんなんだろうなぁ……

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2015年1月16日 (金)

20年

明日。
阪神淡路大震災から、丸20年になる。

20年前も今も変わらずワタクシは、某国営ラジオ第一放送を目覚まし代わりにしている。
今は6時チョイ前の天気予報から鳴らしているが、当時は「♪新〜しい 朝が来た!」の歌から鳴るようにセットしていた。

ラジオ体操は、余程のことでもないかぎり、フツーに放送される。去年の初夏から放送に合わせて体操するようになったけど、当時のワタクシには、それは単なる「目覚めのきっかけ」であった。

体操の時間が終わり……
何だか、普段と様子が違う。

耳を澄ますと
「神戸で震度6」と、聞こえた。

まさか!!

ロフトから転がるように降りて、当時も滅多にスイッチを入れたことのなかった、テレビを点ける。

いきなり、方々からどす黒い煙の上がる、神戸市街の光景が映った。

刻々と入ってくる惨状の映像……。唖然として、職場に遅刻するかしないかのギリギリの刻限まで、画面に釘付けになった。
神奈川・秦野から、埼玉・浦和に移った約半年後のことである。

浦和に越して、わがオヤブン、タンドーのオッサンと、再び親密な付き合いが始まった矢先の出来事であった。

ワタクシが浦和に越したのと相前後するように、オッサン、国分寺の借家を引き払い、家族を福島の家に移した。
「トーキョーは子育てには向かない。それに、会津の両親も心配だから」と、云った。ナルホドとは思ったけれど……。

阪神淡路の震災発生後、かなり経ってから「実は夢を見た」という。
ビルや高速道路が、大地震でバタバタ倒れている光景を。
愛娘、ユキちゃんが生まれたばかりの頃だった。
「俺は乳飲み子抱えて、トーキョーみたいなこんなところで生き抜く自信がない。だから、カミサンを無理矢理説き伏せて、福島にやったんだ。福島は“イワシロの国”と云われるくらい、昔から地盤は丈夫だし、トーキョーみたいに過密じゃないから、オレでも何とかやってける。
でもさ……あの日テレビ視て……オレが視たのはこれだったのか〜〜と、ガッカリした!!」

後にオッサン自らも福島へ帰り……ワタクシもここへ呼び寄せられた。

オッサンの観た夢と、20年前の震災が無かったら、ワタクシは現在、何処でどんな暮らしをしていたことやら……


だから、福島の社会人落語家「裁落亭とんぼ」は……

阪神淡路大震災の落とし子なのです。

そして

ユキちゃんも、二十歳になったんだなぁ。
成人、おめでとう!!

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2015年1月15日 (木)

噺家は長生きか短命か

とある演目を聴きたくなって、先日、CDを2枚借りてきた。
どちらも、ワタクシの若い頃、健在だったふたりのお師匠さんの口演である。
ラジオやテレビでは、聴いたり視たりはしたけれど、残念ながら、ライヴに接することはできなかった。

ひとりは十代目の馬生師、もうひとりは八代目、彦六の正蔵師。

当時若かりし小朝師匠の余興に「噺家が高座に上がる姿の物真似」というのがあって、このお二人も取り上げられていた。
小朝師の大師匠、彦六の正蔵師は、当時すでに御年八十超。今、ワタクシの身近にも、そういう年配の方がいらっしゃるけれど、彦六の正蔵師は、比べ物にならない、ヨボヨボのお爺ちゃんだった。
一方の馬生師は、まだ50そこそこだったけど、小朝師の当時の口上を拝借すると「座布団を探しながら出てくる」。
今我が国日本で、50歳位で、ああいう老成した人は、いなくなった。

CDを聴く。

馬生師の録音は、1981年のもの。
正蔵師のは、1971年のもの。

正蔵師は、まだ70台のはずなのだが、既にワタクシの印象にあるヨロヨロ口調。

50台前半の馬生師……、口跡と噺の構成こそシッカリしているけど、噺の運び具合は、正蔵師とあまり変わらないように思えた……

ふと気付けば、ワタクシが落語にハマり始めた頃の馬生師の年齢に、自分がなっている……

一日一日を、もっと大切にしないと、いけないね。

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2015年1月14日 (水)

入れちゃえ、入れちゃえ!!

去る11日・日曜の、中合寄席。
ワタクシは“大根踊り”をやってきました。

2010年・初席以来、ほぼ恒例になってます。

一昨年、体調が今一つで、落語をやったら……
「あれを観ないと年が明けた気がしない!!」とのお叱りを頂戴し……、我が身に鞭打って
「押〜忍!」
と、今年も気合い入れてきました。

しかし、寄る年波と運動不足は否めない。
息が上がるは、足は上がらないは……(苦笑)。

両手に持って踊った大根は、例によって、お客様への“お年玉”に。
ただ、今年はチョイと趣向をプラス。

年末に実家でTVを視ていたら、上野・アメ横「チョコレートの叩き売り」のオジサンが取り上げられていた。
以前、わが盟友・小道さんが「アメ横行ったらチョコ買うんだ!!」と云ってて、その顛末をブログに載せてた記憶がある。

「テレビ見た人、手を挙げて〜!」
そして
「コレも入れちゃえ、アレも入れちゃえ!! 入れちゃえ、入れちゃえ、千円〜!」
小気味良い調子で、片手に持った袋に、チョコレートを投げ込む。

コレ“真似したい!”と思いましてね。

大根はもちろん、地下の食品売場で仕入れるのだが、今回はせっかくだ、オマケも入れちゃえ〜!

今が旬の“アサツキ”“春菊”を、各二袋。有料買い物袋も、二枚。

「大根欲しい人、手を挙げて〜!」

「今回は大根に加えて更に、アサツキに春菊!! 入れちゃえ、入れちゃえ〜!」

あ〜、気持ちよかった!

ただ、野菜高騰の折柄……ワタクシの財布には大打撃でしたけど(涙)。

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2015年1月13日 (火)

ピースとハイライト

ピースとハイライト
6月に、札幌ドームでサザンオールスターズのコンサートが開催されるらしい。
おかげで、我々社会人落語仲間では、ひと騒動。二日間で10万人が札幌に集まる当日は……、葉桜姐さんが企画してくれた「札幌チャリティー寄席」!

集客云々よりも、姐さんが声かけした面々の宿と足が、問題。
昔の地べたの札幌駅なら、軒下で寝袋にくるまって……というテもないではなかったけど(……経験あり……笑)、イマドキそれは出来ない相談。
早速、某・ルートインを押さえにかかりましたがね。

一杯呑みながら、手配だの報告だのをしていたら……どうしても、煙草を一服しないと落ち着かない気分になってしまった……

煙草はやめたつもりである。
のだが……

実は、完全禁煙は、しばらく前に諦めた。
そこで「禁煙」と云うのは止して「卒煙」と称することにした。

要するに“OB”になったわけ。普段は遠く離れているけれど、たまに母校を訪れるのだ。

無理に我慢してストレスを溜めるより、開放した方がいい。もちろん我が身に煙草が良くないのは判っている。だから止めたのだ。でも、どうしてもガマンできないときがある。基本、煙草は止めたけど、今更そんなガマンに耐えることもあるまい。

毎日は、要らない。どうしてもガマンならないときだけにしよう。

酒でヨロヨロの脚を引きずって、階段4階を往復して、至近のセブンイレブンへ行ったが……グッタリである(苦笑)。

来月、中合寄席に行ったら、一階の煙草センターで、缶ピースと、シガレットケース、買うべ。

今年中はたぶん、それで、もたせられるだろうから。

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2015年1月 7日 (水)

バナナチップ怖い

初めて“バナナチップ”に出会ったのは、中学生だったか高校生だったか……いずれにしても、ワタクシ10代半ば、およそ30年ばかり前のこと。

「バナナ」も「ポテトチップ」も好きだけど「バナナチップ」とは、何ぞや!?

バナナを中途半端な、5ミリ弱にスライスした乾物。なんじゃ、こりゃ〜!

ところがね。
一口食べて、虜になっちまったんですよ!!

生のバナナより、かなり控えめな甘味。
サクサクしたクリスピー感に、絶妙に混ざるモチモチ感とフンワリ感……

この味わいと食感のハーモニーは恐らく、人工合成では不可能だと、ワタクシは思う(いや、バナナチップが顕著なので、どんな食い物飲み物の味わいでも、どこか人知を超えたところにあると、ワタクシは思うんだけど)

今日1月7日、ダブルヘッダーの“2015初席”でした。


・寿限無銀行

・STAP犬の目

反省。

1。出前寄席に掛けるにしては、どちらもマニアックすぎ。

2。稽古不足を高座は待たない……。薄々聞いてた気がするんだけど、梅沢富美男センセイが我が福島市のご出身と、この暮れに再認識。ネタはいつでも初舞台(「夢芝居」は30年前から、ワタクシのカラオケ定番!?)

でもまぁ、そんな、とんぼのままで、いいじゃ〜ないの〜。


ダメよ〜、ダメダメ!!


なして!?


“とんぼ”のまま、じゃなくて、“あり”のままで……

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2015年1月 4日 (日)

11回目の烏賊人参

11回目の烏賊人参
明けましておめでとうございます。

ワタクシの福島移住以来、わが実家のおせち料理に、福島の郷土料理「烏賊人参」が加わって、早11回目の年越しである。

基本的にはワタクシがテキトーこいて作るのだが、それもままならなくて、出来合いを買って持っていったこともある。

しかし、今回は、思うところあって、手作りすることに決めた。

1。スルメは福島で買って持っていく。トーキョーで買うとバカ高いから。近所のスーパーに置いてある、予め細切りにしてあるもの(自分で切らなきゃダメよ〜、ダメダメと聞いたこともあるけれど、まぁ今回は、いいじゃ〜ないの〜)。

2。味付けのベースは“大木大吉・こんにちは料理酒”。向こうでは容易に買えないから、チョイと重荷だけど、これもリュックに入れていく。

3。人参は“トーキョー清瀬名産”を、母に刻んでおいてもらう。

4。こんにちは料理酒に、お屠蘇の余りの味醂をテキトーにブレンド、煮きってアルコールを飛ばし、笑遊、じゃなかった、醤油を加え、お吸い物より若干濃いかな?というくらいに水で薄めてひと煮立ち。指を突っ込んでゆっくり20数えられるくらいまで冷ます。バナナで釘が打てちゃうのは冷ましすぎ。

5。スルメと人参がヒタヒタになるくらいの感じに、4。の汁で漬け込む。一晩置けば出来上がり。

自分で云うのも何だけど、今回は絶品!! アッサリ薄味なんだけど、スルメと人参の味わいが引き立つ、盃のスイスイ進む一品でした。

今回の烏賊人参の口福を導いてくださった、たくさんの皆さんに、感謝。


余計な旨味は ないよね
Ah〜 麺つゆなら楽だけど
生醤油にゃ勝てない

少し位の コクや甘味なら
まるで僕の舌 試すよに
本味醂〜チョイと〜 振りかけりゃいい
このまま漬ければ
味が(味が〜)馴染んで(互〜いに)
何気ない 酒のつまみ(wow,wow,wow,wow)

味には味で 感じあおうよ
鯉と“なおし”で 涼めるように
何度も云うよ ボクは確かに

酒を愛してる(苦笑)

美味しいお酒と食べ物、素晴らしい仲間の皆さんに恵まれていれば……

ボクは、死にましぇん!!

本年もよろしくお願い申しますm(__)m

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