幼い頃の寄席体験
ライヴの口演に触れるインパクト。落語を(落語には限らないけど……)ラジオやCDで聴くのもワタクシは好きだけど、やっぱり同じ時間をお客として、演者と共有できるのは、ライヴを於いて、他にない。
三遊亭若馬というお師匠さんが、ワタクシの育った町に住んでいらした。ちょうどワタクシが落語にハマり始めた頃。わが町のホールでの「清瀬市民寄席」を、主宰された。
若馬師匠は、円馬門下。芸協所属である。
当時はそんな落語会が珍しかったのだかどうだか……芸協のそうそうたるお師匠さんたちの至芸に、ワタクシは若い身空で、すっかり魅せられてしまった……
米丸師匠に柳昇師匠、笑三師匠に遊三師匠、円右師匠に川崎の先代柳好師匠、ハッキリと覚えてないのが申し訳ないけど、橘ノ圓師匠、伯枝から柳橋を襲名して間もなくの七代目。新治の先代文治師匠に、むらく師匠、北見マキ先生の奇術、「もう、帰ろうよ」の千代若千代菊師匠の漫才……
それこそ30年前の芸協“オールスターキャスト”。
またこれが残念なことに、そのお師匠さんたちの演目で、ハッキリ記憶にあるのは、ただひとつだけ。
柳昇師匠の「里帰り」。
「ねぇお前さん、ハルが来た、ハルが来た!!」
「どこに来たんだ?」
「里に来たのよ!!」
こうして打ち文字にしたところで、可笑しくも何ともないのに、師匠はこのやり取りだけで、500人満員の市民ホールに、爆笑の渦を巻き起こす。
もっと残念なことに、これがワタクシの「ライヴ柳昇」、唯一の経験である。この次、師匠の間近を訪ねたのは……師匠のお通夜であった……
ハッキリ覚えてないくせに、いまだワタクシに影響を及ぼしている(らしい)一席がある。
歌丸師匠の「つる」。
清瀬市民寄席で、初めて触れた(らしい)。
当時のワタクシ、市内中の図書館の落語書籍は、恐らく全て読破していて、テレビやラジオの寄席番組エアチェックを欠かしていなかったにも関わらず……「つる」は、初体験だった……
そんなことは、すっかり忘れ去っていて……、だからこそ、そうなったんだが。
福島で落語を再開するとき、なぜか「つ〜、る〜」というフレーズが脳裏に甦り「“つる”演ります!!」と、笑遊師匠に宣言したのだ。
ところが……
どこをどう探しても、音源はおろか、書籍もメモすらも、我が家から何一つ出てこない……
仕方がないので、ネットに出てた上方の台本をいじり倒しまくって、信夫の麓寄席に持ってった。
今振り返ると、最も数を掛けているのが、この「つる」なんだから、不思議だね。そして、良いか悪いか、お手本をいじらずにいられない、ワタクシの妙な芸風は「つる」から始まってる。
先日のAOZ寄席のあと、まり雄・くり坊、父子お二人の素晴らしいマネージャー、まり雄ママの、ご幼少の頃の寄席体験のお話を伺って、つらつら思い出した次第でありました。
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