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2015年2月21日 (土)

道具屋

10年前に、市街地の“チェンバ大町”で、ミニFMラジオを放送していた。

このスタート以前に、タンドーオヤブンと二人で

「寄席番組、欲しいよね〜」
「だったらウチに、昔のエアチェックのカセットが山ほどあるから、あれ、使えませんかねえ?」
「いいね! それ」
と、盛り上がった。

ところがヘンに律儀なオヤブン。落語協会と芸術協会に問い合わせたら、キッパリ断られたという。

困った……

「じゃ、“卓”、お前やれ!」
「まさか〜。ボクが落語やってたのは20年前っすよ。できるわけ、ないじゃないですか」
「そうか……。でも、ヤッパリ、寄席番組欲しい!!」


そこへ飛び込んで来たのが「第10回・テルサ寄席」の情報。
まずは様子を見に行こう、と、差し入れの一升瓶抱えて、お邪魔した。

観てビックリ。
皆さんの芸に、我々、抱腹絶倒……

漫太郎師匠に「もし録音があったら……」とお願いしたら、二つ返事でご了承くださり、後日、仲見世のアトリエに伺って、拝借させていただいた。

初回から全て網羅してはいなかったけど、月曜から土曜の六日間×二週間分たっぷり、パーソナリティーがユックリ昼休みを取るには十分な分量。
「ふくしま平成ラジオ寄席」と銘打って、毎日正午のレギュラー番組に据えることにした。

ところが。
ひとつ、困ったことができてしまった。

ラジオの寄席番組ってのは、だいたいMCが演者と演目の紹介をする。

第10回はその場で観ていたからいいが、以前の録音となると、声と口跡だけが頼り。

大まか判別はできたが、確か「第2回」だと思う。軽妙でイキな“悋気の火の玉”があって……。これが誰なんだか、どうしても判らない。

だったら漫太郎師匠に訊けばいいのに、お手を煩わせるのが申し訳ない気がして、問い合わせかねた。

ええい、ままよ!
番組コールに、芸人会の紹介と、何回目のテルサ寄席かのアナウンスだけ入れて「演者演目紹介」は、カット、カット!

かくして「ふくしま平成ラジオ寄席」は、演者演目紹介がなく、ダークさんの奇術と冷奴姐さんの踊りのBGMにだけほんの僅かMCが入るという、なんとも珍妙なスタイルで、福島市大町の、ごくごく狭いエリアで、まる一年、繰り返し繰り返し、放送されたのであった……。

翌々年。
テルサ寄席を観に行ったら、パンフレットに、見慣れない人が二人、載っている。

開演には間に合わなかった。楽屋に差し入れを持参したら、永生師匠がひとりで楽屋番をなさってらした。

挨拶もソコソコに客席へ向かうと、ちょうどその“新顔さん”のひとりが「道具屋」を噺している最中。新顔だから若い人かと思ってたのに、ずいぶんイイ歳こいたオッサンだ……

ところが聴いてビックリ。ワタクシが若かりし頃演ってた「道具屋」に瓜二つ!! 先代・柳好師匠の噺運び、そのまんま!!

懐かしくて、面白くて、二階席の手摺にもたれてゲラゲラ笑ったけど……、悔しさもこみあげた。

それ、オイラが、やりたかったんだよぉ〜!

(ちなみに、もうひとりの“新顔”は、当時のさおり姫、現・すゞめ姐さん。残念ながらその時の“伝説の「死神」”は、遅刻して聴けなかった)


それから数年後。
落語を再開しようと決めて、既にすっかり顔馴染みになった漫太郎師匠に「交ぜてください!!」と直訴したら……

「まず、笑遊さんのところに行きなさい」と、勧めてくださった。

で……行ってみたら、数年前にワタクシにジェラシーを催させた、あのオッサンがいたのである。


なんと、われわれのミニFMが抜けたそのコーナーに、入れ替わりで入居したのが、笑遊師匠と奥方・みどり先生の「みい工房」だったという。

笑遊師匠が「うつくしま芸人会」創立者のひとりであることを知り、ワタクシにMCをあきらめさせた「悋気の火の玉」の演者だと解ったのは、それから随分経ってからだった。

「道具屋」は、演者としては、便利な噺だ。クスグリは多いし、時間の伸縮もつけやすい。
ただ、笑遊師匠の得意根多だと判っていたので、しばらくの間、避けていた。もし掛けるなら、笑遊師匠のいない席で、と考えた。

一昨年5月の「らくごのくに・寸志さんの会」。

根多にあぐねた。

ワタクシは、寸志さんと、いさん師匠の前座。もちろん大根多はできないし、開口一番、下手いながらも客席を温めなくてはならない。
こういう時は「道具屋」でしょ!!

ところが。
客席に笑遊師匠がいらしてて……

ままよ。
演りました「道具屋」……


笑遊師匠、終演後に、褒めてくださった。そして……「ボクは構わないから、どんどんおやんなさい」と、発破を掛けてくださったのである。

得意根多を横取りしてしまったようで、恐縮した。

その代償というか……、笑遊師匠に演目のおねだりをした。「ぜひとも“代り目”を演ってください!!」と。

当初は「昔演って、大失敗したからなぁ」と渋ってらしたけど、それほど間を置かずに掛けてくださった。目下の者が目上の方に“期待する”のは、とても失礼なことなんだけど、敢えて申し上げると、笑遊師匠の「代り目」は、まさにワタクシの期待通り、ドンピシャリ、ハマった至芸だった。

それから度々「代り目」を掛けてくださった。
「道具屋」を横取りしちゃった償いは、一応、果たせたんだろうと思う。

昨夜のお通夜の、喪主・みどり先生の謝辞に
「今まで私に“ありがとう”なんて言った試しがなかったのに、朝・昼・晩に病院へ行くと、その度に“ありがと、ありがと”と言うんです」という言葉があった。

女房を、オデン買いに送り出した、酔っぱらいのダンナ。そこからの独白が「代り目」の聞き所。笑遊師匠の絶品のあの場面が、彷彿とした。

祭壇の遺影はおそらく、件のテルサ寄席の高座姿。

そして……ワタクシは、逆立ちしても「代り目」を演れないけども。

この先きっと「道具屋」を演ったり聴いたりする度に、笑遊師匠の「代り目」を思い出すだろう。

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2015年2月20日 (金)

呼び名

幼い頃から「ちゃん付け」で呼ばれたことが、滅多にない。

「ちゃん付け」は、なかなかビミョーなものである。「さん」「くん」「呼び捨て」と、あまたあるなかで、「ちゃん」は一番、距離感のレンジが狭い。まして、イイ歳こいた野郎だと、まず、そんな呼ばれかたは、しない。

ワタクシの今までの人生のなかで、ワタクシを「ちゃん付け」で呼んでくれているのは……

高校からの親友Nと、その一家に……、小染姐さんと、笑遊師匠だけだ。

親友N一家は、ワタクシの苗字から「ミッちゃん」と呼んでくれる。

笑遊師匠に初見参したとき、ワタクシは自らの高座名を「とんぼ」に決めていた。

「あぁた、高座名はある?」
「ハイ……、昔使ってたのもあるはずなんですけど、どういうわけかスッカリ忘れちゃったんで……改めて、考えました」
「何てぇの?」
「“裁落亭とんぼ”ってんです」
「“とんぼ”……呼びやすい、イイ名だね!! じゃあ今日から早速“とんぼちゃん”で行こう!」
「ありがとうございます!! よろしくお願いします!!」

瞬間、笑遊師匠とワタクシの間の緊張・ギャップが、ス〜ッと溶けた。

初会の会話からこのかた、笑遊師匠はワタクシをずっと“とんぼちゃん”と呼んで遇してくれている。

あのタンドーのオッサンすら、ついぞワタクシを「ちゃん付け」で呼んでくれることがなかった。そもそもの始まりが店主と客の関係だったし、どこか緊張というかギャップというか、互いに敬遠するような雰囲気があったんだろう。

それを知ってか知らずか、笑遊師匠は、ワタクシを「ちゃん付け」で呼んで、自ら垣根を取っ払い、ギュッと抱きしめてくれた(……あ、肉体的にではないですよ、精神的な意味で)のだった。

いまだ生意気な弟子です。相すみません。

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2015年2月18日 (水)

記憶というのは、不思議なもので

普段スッカリ忘れているのに、フッと思い出すことがある。

笑遊師匠と初めて出会った頃。
週に一度は、当時、レンガ通りに構えてたお店に、仕事帰りにお邪魔して、落語談義に花を咲かせたものだ。

「とんぼチャンは、噺家さんは誰が好きなの?」
「そうっすねぇ、若い頃に“芸協”のお師匠さんばかり観てたんで、柳昇さんとか、先代柳好さんとか、米丸さんとか……。あと、当時は、枝雀さんが全盛期でしたから、うちのコレクションにも沢山あるし、好きですねぇ〜」
「うん、枝雀は面白かった!! でもね、ボクは、お師匠さんの米朝さんが大好きでねぇ。一時期、オッカケしてたのよ」

というと、米朝師匠と一緒に撮った写真を出して、見せてくれた。

「米朝さんの落語会を福島で開くのが、ボクの夢なの。でも福島じゃ、上方落語はサッパリウケないんだよね……」

笑遊師匠の夢は、残念ながら、おいそれと叶いそうになかった。

だからって「地獄八景」の取材に、急いで行っちまわなくたって、いいじゃん!

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2015年2月17日 (火)

悔やみ

道具屋

短命

鉄砲勇助

悋気の火の玉

紙入れ

権助提灯

虎ノ助伝説

看板のピン

猫と金魚

代り目

もう少しあるかもしれないが、ご一緒したときには、だいたい上記の演目だった。
ワタクシの二百席の、半分以上は共演させていただいたから、口調から仕草まで、ありありと思い出せる。


開口一番ではいつも、あの柳昇師の決まり文句を真似してた。“五人華族“で、親戚はみんなミヤサマ。おじさんがタタミヤで、オバサンがノミヤ。お肉が大好きで、トリ、豚、牛、馬、ひつじ、猿……四つ足なら何でも来いだけど、四つ足でもコタツはいけません、あれは“当たりますから”……

糖尿を患ってたから、普段は相当セーブしてらしたようだけど、仲間内の飲み会となると、タガが外れる。高座の倍は声が大きくなって、オヤジギャグ炸裂しまくる。

福島コトバがやさしくて、男女のドロドロするような噺を、軽いフンワリした笑いに昇華してしまう。

もう、ライヴに触れることは、叶わないんですか、笑遊師匠……

他のお客さんにウケようがウケまいが、ワタクシは、笑遊師匠の落語、大好きでたまりません。

合掌

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2015年2月15日 (日)

親子酒(再)

もめん亭・素人落語三人会

根多帳

 ツイ輝「稽古屋」
 すゞめ「壺算」
 ワタクシとんぼ「親子酒」


マクラで話したけれど“ツ離れ”大幅オーバーの、たくさんのお客さまが、天候と足許の悪い中、ご来場くださいました。感謝感激、雨アラレ。大入叶! 有り難うございます。そして、お加減があんまりよろしくないなか、迎えてくださった、もめん亭の八重子女将さん。ありがとう存じます。

これまで“二勝二敗一分”だった、ワタクシの「親子酒」。本日は……

“判定勝ち”かな。

出来の自己評価は、40点。迷いすぎだ。もっと地のままありのままに、突っ走ってよかったと反省。

でもね。
常連のMさんが「今まで聴いたあなたの噺で、一番良かったよ〜!」と、褒めてくださった。
演目選択と、このMさんのお言葉で、今回は「辛くも判定勝ち」、と、しておこうかな。

あとは「茂庭のしずく」が、ぜひモンドセレクションを受賞して、ワタクシに“命名の栄誉”が転がり込んで来ますように(笑)。

次回、もめん亭さんの高座に上がるのは、4月5日、三遊亭兼好師匠独演会、前座の予定。

決めた。
あの「ヘンな落語」演っぺ!!

チョイとした構想も浮かんで、忘れないうちにメモしたし。

元の噺をそんなに知らなくても笑えるような目処が立っちゃった(笑)。手法は借り物だけど。

こんな風にツラツラと、自宅で呑み直しながら、書いてる……

やめろやめろと云われても、やめられないのは、酒ですなぁ!!

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2015年2月14日 (土)

テレスコ

同じ魚なのに、成長するにつれて、呼び名が変わる魚がある。代表的なのは“鰤”。しかも東と西で“ブリ”になるまでの呼び名が違う。

大多数の人間も、ちょっと前までは、ステージ毎に名乗りを変えてきた。
幼名があり、字(あざな)があり、官職名があり、号があり……そして、本人のごく周辺しか知らない“本名”があり、そしてあの世に逝けば“戒名”“法名”を授かる。

子が産まれれば「母さん」「父さん」に、孫ができれば「爺ちゃん」「婆ちゃん」になり、墓標と遺影がよすがとなれば「写真のお爺ちゃん、お婆ちゃん」になる。

ワタクシの祖父母で、まみえることがなかったのは、母方の“金次郎爺ちゃん”だけだった。だから、金次郎爺ちゃんは、物心ついた頃には“写真のお爺ちゃん”だった。他の祖父母には、何かと可愛がってもらったが、名前を避けて、居住地で呼んでた。母方の祖母は“鶴瀬のお婆ちゃん”、父方の祖父母は“花小金井のお爺ちゃん・お婆ちゃん(後に志木に引っ越したので「志木のお爺ちゃん・お婆ちゃん」に変わった)”のように。

今の日本で、そんな風に名乗りが変わるのは、落語などの伝統芸能の世界や、相撲界くらいだろう。前座名があり、中堅の名があり、大看板を代々引き継ぐ名跡がある。

今夜のラジオを聴いてて、ひとつ、引っ掛かった。
昨日まで散々連呼していた“イスラム国”を、突然そう呼ばなくなったのだ。
どうやら“IS”という略称で呼ぶことに、なったらしい。それが証拠に、さりげなく「自らを“イスラミック・ステイツ、イスラム国”と称する過激派組織」という、ご丁寧というかなんというか、そんな“補足説明”を付け加えていたから。

呼び名を変えるに至った事情も、まぁ、解らないではないけれど。

洒落た芸名を名乗っていた芸能人、それくさい法名を名乗っていた宗教家も、罪を犯して捕まれば、本名を曝される。

烏賊は干したら、スルメになる。

テレスコは、干したら、ステレンキョウ。

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2015年2月12日 (木)

親子酒

大好きな演目……なのだが。実演は二年以上開いてしまった。

東日本大震災発生の年に初めて掛けて、その年に4回。その翌年秋にAOZに出して、それ以来である。

成績は……二勝二敗一引き分け、かな。

根多卸のときは、メタメタだった。AOZに出したときも、共演させていただいた、ちゃん平さんにはお褒めこそいただいたけれど、当人にとっては至って不出来。

根多卸のリベンジを賭けた「麓寄席」と、直後に仙台“よめごや”さんで急遽着のみ着のまま演じた二回は、自分でも巧く運べたし、それ以上にお客様が喜んでくださった。数少ない「かいしんのいちげき」である。
残る一回は、保原の仙林寺さん。このときは、不可はないけど可もなし。それで引き分け。

「親子酒」に限らず、一所懸命演ってるつもりだけど、滅多に“かいしんのいちげき”なんてゲットできない。反面“金輪際この根多お蔵入り”だとか“次回はゼッタイにリベンジしてやる!”となる「つうこんのいちげき」を喰らうことも、そうそうは、ない。

だからこの「親子酒」は、ワタクシにとって、大好きだけど二の足を踏む、恐い演目、なのである。

稽古からして、難しい。
ワタクシは、朝の出勤時に、自家用車のハンドル握りながら発声練習と噺の稽古をする慣いなのだが……、「親子酒」と「試し酒」は、こういうシチュエーションにチトそぐわない(笑)。もちろん呑んでるはずはないが、職場に到着する頃には、すっかり“いい心持ち”になっちゃう……。それで、職場の玄関から一番遠いスペースに駐車するのと、始業30分前到着が、欠かせなくなった。

仕事を終わって家に帰れば、晩酌で“実地稽古”(笑)。愛用の“寿司屋の湯呑み(実を云えば、ワタクシが幼少のみぎりを過ごし、福島へ来る直前をも数年暮らした団地の魚屋さんの湯呑み)”を引っ張り出す……。
普段、ただでさえ過ごしている酒が、さらに増える(笑)。


ワタクシの「親子酒」のお手本は、先代の文治師匠。「眼はパッチリと、横町のフランス人形」新治の文治師匠である。

練馬の大泉にお住まいで、西武池袋線に乗って、寄席に通っていらしたらしい。ワタクシは残念ながら、そのお姿をお見かけしたことはないのだが。
ワタクシのオフクロが、週一回夕方に、所属していたアマチュアコーラスのレッスンに池袋へ向かうとき、度々出会したらしい。なにしろ文治師匠、いつでも和装だから、目立つのだ。

ご近所だから、多分「清瀬市民寄席」にも出演してくださって、ワタクシもそれを観ているはずなのだが……残念ながら、ハッキリした記憶がない。

12年前の未年。新宿末廣一月中席へ、タンドーオヤブンと遊びに行った。
文治師匠のお出ましの時に「待ってました!!」と声を掛けたら「どうぞおかまいなく。待たれるほどのものじゃありませんから」と、軽くいなされてしまった(笑)。あの時の演目は、何だったかな? プログラムにメモして取ってあるから、探せば出てくるんだろうけど。……「長短」だったかな〜と、うっすらと思い出す。
一年後、川崎のサウナで、文治師匠の訃報を視た。
その年、ワタクシは、福島へ移住した。

文治師匠の「親子酒」を復習していたら……

先代・馬生師匠の「親子酒」を、無性に聴きたくなった。

先月ワタクシ、AOZ寄席で「うどん屋」を掛けたのだが、お手本がまさしく、馬生師匠。

この他に「茗荷宿」「明烏」を、お手本に仰いだ。

ネット検索したら、YouTube、落語協会HPに動画があるらしいが、市販のCDは無いようだ(DVDはある)。
flvとDVDは、うちじゃ再生できないんだよね……

さらに辿ったら、ワタクシの高校の落研初代部長、金原亭世之介師匠のホームページに行き当たった。

なんと。
馬生師匠の最後の高座は「親子酒」だった。


1982年の秋に亡くなったから、昨年が三十三回忌……。

惜しいことに、ライヴの姿に触れることは、ワタクシは叶わなかったけど……、茶碗酒を啜ってニッコリする、馬生師匠の上機嫌の笑顔を、ありありと思い浮かべることができる。

ひょっとしたら、ウチのエアチェックコレクションにあるかしら……

探してみよう。

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2015年2月 8日 (日)

飲み過ぎ注意!( 笑)

飲み過ぎ注意!(<br />
 笑)
「菊水」ふなぐち、一番しぼり。
ワタクシ好みで、一合缶を、極々たまに買って賞味するんだが。

いさん師匠の奥方がお勤めなさっていらっしゃる、某スーパーに、昨年末、一升瓶が積んであった。

その時は、隣に並んでいた、埼玉・大宮の「小山本家・しぼりたて原酒」にほだされた。値段もチョイと安かったし。

今日は実は久しぶりに「大和川」が呑みたくなって、立ち寄ったのだが。

お酒コーナーの冷蔵庫に、ただ一本だけ「ふなぐち・一番しぼり」の瓶が、佇んでいた……

これは!!

ヤッパリ、ワタクシが手に取るのを待ってたと思うしか、ないでしょ(笑)。

トローリと濃く、程よく甘い「一番しぼり」は……

今宵も、ワタクシの積る憂さを、トンロリホンワリ、溶かしてくれています……

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パッ缶

パッ缶
昔は、蓋の裏に小さな「缶切り」が付いてましたなぁ。

今や缶ピーも「パッ缶」か。

しかも、ライト・マイルド志向に毒されているなぁ。

葉っぱの詰まり具合が、ずいぶん甘くなっちゃてる。

コレじゃ今のバットと、変わらんわい……

浮世の格差拡大のトレンドに、逆行してる(苦笑)。

池波正太郎を気取るわけではないけれど、昔の味が、懐かしい。

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2015年2月 6日 (金)

見ったぐねぇ!!

見ったぐねぇ!!
今週の、世間の出来事、全て。

見たくない、聞きたくない、語りたくない。

ワガのごく近くだけの、些末なことだけに、囲まれて居たい。

仙界へ旅立ったと、先週、風の便りに聞いた、世間亭節介さん。
お前さんともう少し、じっくり語り合いたかった……。

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2015年2月 1日 (日)

鬼は〜外!!  福は〜内!!

鬼は〜外!!<br />
  福は〜内!!
今年のワタクシ「旅芸人」初め。

31日土曜、仙台新撰落語会。「寿限無銀行」

朝、新幹線に乗ってトーキョーへ。

1日日曜、葛飾柴又・医王寺さん初護摩法要の余興。「道具屋」

仙台では、打ち上げで、かなり過ごしまして……。いつも以上に六六さんを煩わせてしまいました……ごめんなさい、ありがとうございます。

医王寺さんでの演目も、先週半ばには決めて、稽古にかかったんだが……口慣れた演目なんだが……

定番のクスグリのひとつに「今、時節柄、コレやるのはチョットなぁ」と引っ掛かった瞬間、思考停止に陥ってしまった。

落語はある面“流れ”が大事。新しいクスグリをさりげなく付け加えたり、言い様を変えたりするのに、色々と工夫が要るのはわかっていたけど……
云い慣らしたセリフを割愛して、噺をスムースに運ぶのも、同じくらい大変だと、今回、痛感……

そもそも他愛ない噺なんだし、直接の言及ではないんだけど。
でも、喋った後味が悪いのは……ヤッパリ出せないでしょ。

ちょっと前の記事の繰り返しみたいになるけど……

憎しみは、互いの破滅を招くだけだ。
どこかで誰かが、その、負の連鎖を断ち切らねば……

今日はそんな気持ちで、護摩を焚いてもらい、豆まきをしてきました。

鬼は〜外、福は〜内!!

鬼も、福も。
人の心、わがの心の裡にある。

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