親子酒
大好きな演目……なのだが。実演は二年以上開いてしまった。
東日本大震災発生の年に初めて掛けて、その年に4回。その翌年秋にAOZに出して、それ以来である。
成績は……二勝二敗一引き分け、かな。
根多卸のときは、メタメタだった。AOZに出したときも、共演させていただいた、ちゃん平さんにはお褒めこそいただいたけれど、当人にとっては至って不出来。
根多卸のリベンジを賭けた「麓寄席」と、直後に仙台“よめごや”さんで急遽着のみ着のまま演じた二回は、自分でも巧く運べたし、それ以上にお客様が喜んでくださった。数少ない「かいしんのいちげき」である。
残る一回は、保原の仙林寺さん。このときは、不可はないけど可もなし。それで引き分け。
「親子酒」に限らず、一所懸命演ってるつもりだけど、滅多に“かいしんのいちげき”なんてゲットできない。反面“金輪際この根多お蔵入り”だとか“次回はゼッタイにリベンジしてやる!”となる「つうこんのいちげき」を喰らうことも、そうそうは、ない。
だからこの「親子酒」は、ワタクシにとって、大好きだけど二の足を踏む、恐い演目、なのである。
稽古からして、難しい。
ワタクシは、朝の出勤時に、自家用車のハンドル握りながら発声練習と噺の稽古をする慣いなのだが……、「親子酒」と「試し酒」は、こういうシチュエーションにチトそぐわない(笑)。もちろん呑んでるはずはないが、職場に到着する頃には、すっかり“いい心持ち”になっちゃう……。それで、職場の玄関から一番遠いスペースに駐車するのと、始業30分前到着が、欠かせなくなった。
仕事を終わって家に帰れば、晩酌で“実地稽古”(笑)。愛用の“寿司屋の湯呑み(実を云えば、ワタクシが幼少のみぎりを過ごし、福島へ来る直前をも数年暮らした団地の魚屋さんの湯呑み)”を引っ張り出す……。
普段、ただでさえ過ごしている酒が、さらに増える(笑)。
ワタクシの「親子酒」のお手本は、先代の文治師匠。「眼はパッチリと、横町のフランス人形」新治の文治師匠である。
練馬の大泉にお住まいで、西武池袋線に乗って、寄席に通っていらしたらしい。ワタクシは残念ながら、そのお姿をお見かけしたことはないのだが。
ワタクシのオフクロが、週一回夕方に、所属していたアマチュアコーラスのレッスンに池袋へ向かうとき、度々出会したらしい。なにしろ文治師匠、いつでも和装だから、目立つのだ。
ご近所だから、多分「清瀬市民寄席」にも出演してくださって、ワタクシもそれを観ているはずなのだが……残念ながら、ハッキリした記憶がない。
12年前の未年。新宿末廣一月中席へ、タンドーオヤブンと遊びに行った。
文治師匠のお出ましの時に「待ってました!!」と声を掛けたら「どうぞおかまいなく。待たれるほどのものじゃありませんから」と、軽くいなされてしまった(笑)。あの時の演目は、何だったかな? プログラムにメモして取ってあるから、探せば出てくるんだろうけど。……「長短」だったかな〜と、うっすらと思い出す。
一年後、川崎のサウナで、文治師匠の訃報を視た。
その年、ワタクシは、福島へ移住した。
文治師匠の「親子酒」を復習していたら……
先代・馬生師匠の「親子酒」を、無性に聴きたくなった。
先月ワタクシ、AOZ寄席で「うどん屋」を掛けたのだが、お手本がまさしく、馬生師匠。
この他に「茗荷宿」「明烏」を、お手本に仰いだ。
ネット検索したら、YouTube、落語協会HPに動画があるらしいが、市販のCDは無いようだ(DVDはある)。
flvとDVDは、うちじゃ再生できないんだよね……
さらに辿ったら、ワタクシの高校の落研初代部長、金原亭世之介師匠のホームページに行き当たった。
なんと。
馬生師匠の最後の高座は「親子酒」だった。
1982年の秋に亡くなったから、昨年が三十三回忌……。
惜しいことに、ライヴの姿に触れることは、ワタクシは叶わなかったけど……、茶碗酒を啜ってニッコリする、馬生師匠の上機嫌の笑顔を、ありありと思い浮かべることができる。
ひょっとしたら、ウチのエアチェックコレクションにあるかしら……
探してみよう。
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