という貼り紙が中華食堂のウィンドウに出ると、夏だなぁ、と感じる。
ただ、滅多に、外で冷やし中華を賞味することはない。
何故といえば、自分で作ったほうが、格段に美味いから!
冷やし中華スープ付きの、生中華麺を買ってくる。ワタクシは“ゴマだれ”が好みなのだが、敢えて、ゴマだれでないストレートスープの方にする。
麺を茹でる傍ら、付属のスープの味を修正する。そのままでは甘ったる過ぎて、オハナシにならないからだ。
大量の煎りゴマをアタリ鉢でよくあたり、スープを少しずつ加えてよ〜く馴染ませたら、酢をタップリ補充する。ゴマ酢の合間にそこはかとなく、付属スープの味と香りが見え隠れする位まで、元のスープをカモフラージュしてしまう。
麺が茹で上がって、冷水でキリリと引き締めたら、笊で水気をよく切って、具をあしらう。
繊切り胡瓜。水晒しなんかするもんか。照りつける陽射しを浴びて青々とした匂いが溢れるようなのがいい。
ハム。“チャーシュー”も、結構乙なのだが、やっぱり冷やし中華には、ハムが似合う。それも、ボンレスとかロースなんて高いのではなく、四角くて、塊の皮が食紅で染めてあって、原料にどんなお肉を使ってるのか首を傾げるような、どことなく魚肉ソーセージの味がする、安〜い“チョップドハム”が、いい。
錦糸玉子。卵の苦手なワタクシだけど、冷やし中華には無くてはならないパートナー。出来合いもあるけれど、ここは、生卵から薄焼を焼くに、しくはない。
あとは、好みと有り合わせ次第。モヤシの茹でたのを合わせてもいいし、紅しょうがも素敵だし……。ウチには在庫などあるわけないし、わざわざ買うのも馬鹿馬鹿しいから、今まで添えた試しはないが“毒々しいほど真っ赤に染まったサクランボの缶詰”を一粒飾るのも、一興だ
それに“練り辛子”。
キレイに盛り付けたところを、辛子ともどもグチャグチャにかき回し、最初に口に運んだ一箸で、鼻面を思い切りブチかまされたような一撃を喰らって、気が遠くなりながら……
「ああ、夏だなぁ!」
と、感慨にしみじみ浸る……。
こんな夏毎の楽しみに、ワタクシを開眼してくれたのは、高校時代からの悪友、Nである。
子供の頃、ワタクシは、冷やし中華が、実は苦手メニューのひとつだった。
幼い頃のワタクシの食い物の好き嫌いは、理由がさっぱり判らない。他の家族がみんな喜んで食うものを、てんで受け付けなかったりした。数え年50にして今なお、実家での朝食は、ワタクシだけ別メニューだったりするほどだ。
高校生だった、ある暑い休日。Nの家に遊びに行っていたら、彼が有り合わせの材料で、冷やし中華を作って振る舞ってくれたのである。
出された瞬間、正直、ギョッとした。
だけど、せっかくNが作ってくれた、おそらく自慢の一品だ。それを無下に断るべきではないという分別も付いていたし、その場で「冷やし中華、俺、嫌いなんだよね!!」と言い渡す蛮勇もなかったし……、第一、食べ盛りの空腹感には抗えなかった(苦笑)。
一箸付けるまで、顔がひきつっていただろう。
ところがところが!!
これが素敵に美味かったのである!!
あの日を境に“冷やし中華”は、ワタクシの苦手から好物へと、劇的な変身を遂げた。
それから数年後。
彼の仲立ちで“タンドーのオッサン”なる人物と、出くわすことになる。
だから今、こうして福島の遇居で、酔っ払いながら、こんなブログをツラツラと書いているのは、そもそもNのせい……否、Nのおかげ、なのだ。
高校の卒業アルバム、部活のページ。
“演者”がワタクシ、たった一人になってしまっていた「落研」のコーナー、Nは、ワタクシより、大きな顔で写っている。
彼との邂逅がなければ、ワタクシ一体、今、どこで、どんな暮らしをしてたんだろう?
冷やし中華の酢と辛子の刺激で、ワタクシは、様々思うのである。
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