ワタクシの大好きな、柳昇師匠の噺に「扇風機」がある。“青菜”の改作かな? という印象が残っている。ウチの「カセットコレクション」にあるはずだから、探してみよう。
ところで、我が家にはエアコンが無い。
ちなみに、我が実家にも無い。約半世紀生きてきて、エアコンのある住まいだったのは、最初に就職した会社の寮の約一年と、浦和のレオパレスに住んでた六年弱だけだ。
福島の夏は暑い。半端なく暑い。日本全国暑い街ランキングでたぶんベスト(ワースト!?)10にランクインするだろう。
でも、夕方〜夜にはサッと気温が下がって、過ごしやすくなる。トーキョーの熱帯夜みたいには……
ところがそれが、年に数日、あるのだ。
普段は爽やかに吹く風が、ウンでもなきゃスンでもない。オマケにこういう日に限って、湿度がむちゃくちゃ高い。
風呂から上がってサッパリ、と行きたいのに、上がった途端から玉の汗まみれ。洗いざらしのTシャツなのに、ネッパっちまってスンナリ着らんにんだよハァ(訳・粘っちゃってスンナリ着られないんだよね、もぅ〜)。
なんで、今宵は「二代目・我が家扇風機」くんに、働いてもらうことにする。
写真が彼の姿である。
いやぁ“昭和”してますな(笑)。
“二代目”ということは、初代も居たのである。
実を云えば“初代”の方が新しい製品だったのだろうと思われる。初代は「首が伸びた」から。
今のは伸びる仕組みがない「お座敷仕様」。
初代は“不燃物の日”に、やってきた(笑)。
当時は今ほど、ゴミ置き場からの持ち去りがウルサくなかったから。
ただ……、そんなところに出される位だから、完働品のワケがない。
初代扇風機くんは、いささかトロかった。
「強」ボタンで中程度の回転、「中」ボタンで漸く風が起こる回転、「弱」だと、羽は確かに回るものの、その動きを目で追えるノンビリさ、ソヨとも風が来ない……というシロモノだった。
現・二代目に出会ったのは、かれこれ25年前。神奈川県秦野市に住んでた頃だ。
不燃物の日に集積所に座ってた(またかい!!)。
ただ“初代”の失敗例があるので、少しは慎重になっていた。即ち「とりあえず動作テストする」工程を加えたのだ(笑)。
首の伸縮こそ無いものの、スイッチの標記通りに送風してくれるのが、ありがたかった。
かくして哀れ“初代”は、二代目の身代りに、集積所に出されたのだった……。
以来幾星霜。
当地福島へ来てから“二代目”よりモダンでスタイリッシュな扇風機が、不燃物の日の集積所に出ているのを、何度も見かけた。
世の中の気風やルールが変わって、手を出しにくくなったのもあるけど……、何より“二代目”に不具合が無いからなぁ。
それに「福島は暑い」と言ったけど、眠れないほどの熱帯夜は、10日あるかないか。
この“二代目”。アタシの最後の“冷房家電”に、なるかもね。
さて。
福島交通飯坂線の電車が、25年振りに交代することが決まったようです。
アタシの予想通り、今度の車両は、元・東急1000系。今走ってるのは、元・東急7000系。順当すぎる(笑)。
それで、これを何故、ここへ書くかというと……。
飯坂線には、今なお「クーラーの無い電車」が、走っているから!!
アタシが幼少の砌。
「クーラーが付いてる電車」は、特別だった。
我が地元の西武線では、黄色いヤツで、屋根に弁当箱みたいなのを載せてるの。
山手線では、運転台の窓が細っこくて、ヘッドライトが二玉の。
ところが、ホームに入ってくる姿だけで喜んでは、いけない!(笑)
西武(池)線は当時、4両編成を二つ繋げた8両が多かった。アタシがよく利用する清瀬駅&池袋の南側改札は、後の編成に当たる。
クーラーの効いてるらしい前半に……後の編成が窓全開で続いて来ちゃったのを見ると、それだけで暑苦しくてウンザリした。
一時期の山手線は、もっとヒドかった(笑)。
電車の顔を見て「あ、冷房車がキタ〜!!」と喜んでいると……。10両編成の両端だけ!! 残り8両は窓全開なんて、当たり前。
天下の山手線。完全冷房は早かったと思われるかもしれないけど、実は結構遅い。
平成になる直前まで「センター4両冷房無し」という、今では信じがたい編成があった(笑)。コレ、ホント(c)佐野浅夫。
「夏に電車やバスに乗れば、必ずクーラーが効いている」なんて、たかだかここ30年のことなんですね。
飯坂電車の「窓全開」。間もなく見納めです。
青春18きっぷを駆使して、歩き回っていた、若かりし頃。
車窓の景色を愛でながら、傾ける一杯、燻らす一服が、美味かった。
って、やだなぁ。
ゆってることが、脱け殻じみてるわぃ(笑)。
今少し、浮世に未練のある、アタシでございます。
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