タンドーのおっさん

わが人生を変えてくれた人・・・もしくは、無茶苦茶翻弄してくれた(…笑)、タンドーオヤジの思い出。

2012年2月29日 (水)

猫の災難……?

猫の災難……?
わがオヤブン、タンドーさんは、猫が好きだ。
かつて営んでいたクルマのショップのロゴマークにも猫の顔が入っていたし、店の末期には、実際に飼ってた。近所で子猫をもらってきては「富市」とか「龍太郎」とか、時の総理の名前をつけて、可愛がってたっけ。

福島の自宅を「塾」にした頃、その“猫好き”が再燃。グレーの雌の子猫をもらってきて「ニャン姫」と名付け、それこそ“猫可愛がり”だった。

問題は“姫”がメンタだったこと。さすがのオヤブンも“姫”に避妊手術を受けさせようと思ったようなのだが……、費用が高い! そんな金はない。東京なら補助金制度があるらしいのだけど、福島にはそれがない……。
そのまま放置と相なった。


それで、程なく「塾」は、塾生よりも猫の頭数の方が断然優るという、近所でも評判(……良くない方の……)の「猫屋敷」に。

3年前の春。

一番可愛がっていた“姫”、そして近所で一番強い奴になりつつあった“姫”の次男坊「涙目(略して“ナミ”)」が、相次いで、帰って来なくなった。

オヤブン、前年秋に父上を失ったがゆえの自らの変調を押して、毎日毎日“姫〜!”“ナミ〜!”と、遅くまで捜し歩いていたそうだ。

今はきっと、向こうで、富市、龍太郎や、姫、ナミ、そしてワタクシの知らない、オヤブンの学生時代に押入で出産した雌猫に囲まれて、ゴキゲンそうにニコニコしてるんだろうなぁ。

「迷犬・ダイ」も、もちろん傍らに従えて。

写真は、2007年11月20日撮影、ニャン姫の息子達。グレーが“ニャン2号”、トラ毛が“ナミ”。

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2012年1月27日 (金)

2番「北国の春」

♪呑みすぎ〜、食べ過〜ぎ、二〜日〜酔い♪

我らが素人落語の会、詩吟のヒロイン、さや歌ちゃんが、NHKの「東北のど自慢」出演!

でも「鐘ひとつ」は、ないよなぁ……でもまぁ、テレビ番組ですからね。

それを視るために、震災の時に、床に転落したテレビのコンセントを初めてつないだ。

この4月で、福島も完全地デジ化。普段でもウチでテレビを視ないワタクシだから、このテレビに電源が入るのは、たぶん、今日がラスト。

最初に就職した会社の“石塚さん”に頂戴して、この春で、24年……。テレビが大好きだったオヤブンの思い出も……。

さでワタクシ、明後日は、東京・柴又で「2番・北国の春」、演って来ます!

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2012年1月13日 (金)

会津の味噌

まだトーキョーにいて、オヤブンの店があった頃だから、もう9年以上も前。

店のバックスペース、オヤブンの部屋で、いつもの如く二人で何か作って呑んで……。明くる朝。

オヤブン「おい“卓”、味噌持ってくか」と、のたまう。何を作って肴にしたのかサッパリ記憶に無いけれど、たぶん、在庫の味噌を使った一品を、ワタクシ“美味い、美味い”と、平らげたのだろう。

「会津の味噌は、甘いけど、いいか?」と云いながら、中くらいのタッパー一杯に味噌を詰めてくれたっけ。そのタッパーは、今なおウチの台所にある……。

今宵の夕食は「味噌風味鍋」。使った味噌は、会津のもの。

正直今まで、なかなかこの味噌、買えなかった。年に一度のゼイタクで、清水の舞台から飛び降りるつもりになって、カゴに入れたものだ。
それが、この頃、スーパーで半値で売られているのをしばしば見受ける。
一消費者としては有り難いけれど……。なぜそうなってしまったかが解るゆえに、そして、オヤブンが、あの味噌をくれた時に見せた、さりげない“ふるさと自慢”の気配を思い出すにつけ……やりきれない思いが募る。

お米、お味噌、野菜、お肉、お魚、海藻、牛乳、お豆腐、そしてもちろんお酒……。口に入るものがみんな美味しく、安心だった福島。

美味しいのは、変わってない。

“安心”を取り戻すために……ワタクシは、何をしたらいいんだろう……

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2012年1月12日 (木)

鴨だ〜っ!

今宵の買い出し、馴染みのスーパーのお肉コーナーに、合鴨肉の“半額”が!

濃紅色がちょっとくすんで黒ずんではいるけれど……、正価じゃとてもじゃないが買えた値段じゃない。これはワタクシの「見つけ次第、即カゴに入れるべき」リストの一品なのだ。

ダシ昆布、豆腐、たっぷりのネギ、そして先日の春菊とともに、あっさり醤油風味の鍋にする。

「鴨がネギ背負ってやってくる」なんて喩(たとえ)があるくらいで、鴨肉とネギのぶつ切りの相性といったら……。コリャもう、たまりません! 燗酒が、進むこと進むこと……。

あ。
こういう“季節に一度”という楽しみは、オヤブンとシェアするんだった……。

こないだ、生牡蠣の“半額”見つけたときは、一緒に一献したのにね……。ゴメンナサイ。

かくしてワタクシ、この冬一番の冷え込みにもめげず、今宵もまたストーブ焚かずに布団へ潜り込むのでありました……

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2011年12月26日 (月)

24年前のクリスマス

クリスマスのイブだったかその日だったかどうだか、記憶は定かではない、でも少なくともその直前の、まだ天皇誕生日じゃなかった日の辺りか、24年前の、そんなある日。
悪友NとTがやってきて「例の店に、行くぞ!」と誘う。

ワタクシ大学3年生、Tは1年生、Nは社会人だが、鉄道員という職業柄、遊ぶ時間には困らない。しかし、ケータイなんてまだ身の回りには影もカタチもなかったあの頃、どうやって連絡しあってたものやら。

オヤジのフェローマックスを借り出して、向かうは村山「ネオ・ライフ」。

上下多摩湖の突堤を渡り、一面の茶畑の中をクネクネ走って到着。恐らく、手ぶらではなかったはず(笑)。

そして、タンドーのオッサン(といっても、当時33歳!)に、初見参。

しかし、まさか、ここまでオッサンに翻弄……モトイ、師匠に世話になることになろうとは(笑)。その時は、夢想だにできなかった……。

「夢というものは、持ち続けていれば、必ず叶う」。これはワタクシが、常々感じていることであり、そして、自分を勇気づける言葉。

今朝ワタクシは、職場の全体朝礼のスピーチ当番。お題は「自分の夢」。社会人落語のちゃん平さんの話題などもからめながら、この「夢は、持ち続けていれば、必ず叶う」を、メインテーマにした。
自らの勇気をも、奮い立たせるために。


夢、希望。
持ち続けて、明日へ向かおう。

なんて……

こんなふうに前向きになれるのは、もう24年の付き合いになるオッサン、モトイ、師匠のおかげだね。
そして、師匠との出会いをお膳立てしてくれた、悪友NとT……大きに、ありがとう。

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2011年11月28日 (月)

昨日27日は、AOZ

テーマは「一年」。
クルマで会場へ向かったら、エライ混雑。一周年記念祭の日曜日だもんね。
前身の「さくら野」閉店以来、すっかり淋しくなっていたあの界隈が、活気を取り戻した以上に、賑わっている。今までの福島市には(というか、全国的にも)珍しい「AOZ」と、商業施設の複合ビル。
そもそも「AOZ」自体は“アクティブシニアセンター”という名前の通り、幸齢者を主な対象として企画された(……「幸齢者」の表記は、ちゃん平さんからの無断拝借……笑)。ところが、蓋をあけてみたら、AOZは高校生の“溜り場”になった。ここには予約制の自習室がある。たくさんの高校生が懸命に勉強していて、いつも満員御礼状態。さのみならず、自習机にあぶれたのか、わざととらないのかわからないけど、フリースペースのテーブルで、友人達と談笑している高校生たち。けれど、やっぱり彼らの前には参考書とノート……。ビルの周りはいつも自転車で一杯だ。

こんな展開は、AOZを企画立案した人たち、そして、福島市民のほとんどにとって「想定外」だったんじゃないかな。

でも、その企画立案をした人たちの中に、次のような思いを持っていた人がいるに違いない。

「福大と医大が街から去って、同時に福島の街中が寂れ始めたんだよ」と……。


「自習室」設置を提案したのは誰なんだろう?
わがタンドーオヤブンが、自分で学習塾を開くときにつけたキャッチフレーズが「講師の常駐している自習室 私塾・慧學舘」だった。こういう需要があることを、オヤブンしっかり視てたのだ……。当人は「あそこは“ギャンブル特区ビル”にすべし!」なぁんて、ほざいてたけど……。

そんなAOZの一角で、定期的に寄席を開いていただいて、ワタクシも何遍も出させていただいた。不思議なものだ。

AOZ寄席「一年!」根多帳

 ツイ輝「お芋の袋」
 小笑 漫談
 とんぼ「御神酒徳利(序)」
 マネーシロー マジック
 日が志「たらちね」
 平三「宮戸川」
 いさん「そば清」

 音響 中家すゞめ

大入叶!

御来場のお客さま、ありがとうございます。今後とも「AOZ寄席」を、ぜひとも、ご贔屓に!

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2011年11月27日 (日)

ダンシがシンダ

談志師匠が亡くなった。その訃報を耳にしたのは、仙台にいた時。

実はワタクシ、談志師匠には、あまり馴染みがない。おまけに、志ん朝師匠にも、馴染みが薄い。

これは巡り合わせとしか言い様がないのだが……ワタクシの若き少年時代、落語にハマっていた数年間に、接点が少なかったのだ。


恐らく、両師匠をはじめとする「テレビタレントとして爆発的に売れた落語家」が、一斉に“ライブ”“独演会”へ力を入れはじめたのが、この頃で……。同時に、ワタクシの当時の落語との接点は、専らラジオだった。
だから約6年に亘る「エアチェック」カセットが、段ボール一箱あるけれど……志ん朝師匠の声はただ4本……談志師匠にいたっては、2本あるかないか……。


そしてワタクシ、定席の「寄席」に足を運ばないまま、落語から20年遠ざかっちゃった。
初めて「新宿末広」に行ったのは、はるか後、タンドーオヤジが福島へ帰った年の明けた、初席だった……。

ちょうどワタクシが落語にはまっていた少年時代、ワタクシの街に住んでいた三遊亭若馬師匠が、わが街の市民センターで寄席を始めた。若馬師匠は芸術協会所属だから、いらしてくださったのは、芸協のお師匠さんばかり……とはいっても、そうそうたる顔触れ。米丸師匠、柳昇師匠、文治師匠、夢楽師匠、円右師匠、小南師匠、歌丸師匠、笑三師匠、遊三師匠……移籍前の文朝師匠、先代の柳好師匠、柳橋師匠、そして漫才の千代若・千代菊師匠……、etc。

恐らく柳昇師匠と千代若千代菊師匠がまだ60ちょい過ぎくらい、他の師匠はまだ40〜50代……。アブラが程よく抜けて、しかも枯れすぎない、お師匠さんたちの絶妙の時代の「芸」を、ライブで受け取っちゃった……。

ナマの“志ん朝”“談志”の両師匠を観ることなく、ここまできたけれど、それは、巡り合わせだからしょうがない。その代わり、ワタクシの中には、それに劣らない“宝物”が(他の人にはどこがいいのかわからないかもしれないけれど)、たくさんある。

先日、山形で「自分の噺は何故それを選んだか」、意識するべきだと教わった。そして、仙台では「噺家は誰が好きなの?」と、質問責めに遭った。

特定の「誰」が一番好きだ、というお師匠さんは、ワタクシにはない。でもやっぱり、若い頃馴染んだ“芸協”のお師匠さん達にシンパシーが、ある。

しかし……そんなことを、ここ数日思っていて……ある結論に達して、ワタクシは総て納得がいった。


ワタクシは「タンドーのオッサン」の弟子、だったのだ。

「ネオライフ亭」に入門して、お茶汲みから始まり、ある時は離れ、ある時はくっついて、部下として、秘書みたいなこともしたし、酒も何度となく酌み交わしたし……挙げ句の果て、福島へ、ノコノコ拉致られるし(自身は当時、まさかそんなことにはならないだろうと思っていたのだが、周りの連中はオッサンが福島へ帰って来たとき“あ〜‘卓’の奴め、きっとオッサンに附いて福島へ行くんだろう”と、早くから予感したという。まぁ、そういうものだ……)。そんな付き合いが、かれこれ20年。

オッサンと、談志師匠。メチャクチャぶり、わがままぶり、反面、周りへの気配りがあり(これが、往々に通じなかったり)、カッコつけるのが好きだったり……。共通点が、多々、思い浮かぶ。

それはそれとして……。
ワタクシは「タンドーのオッサンの弟子である」と、今、はっきり自覚するに至った。「塾の講師は“芸人”だ!」が持論だったし、実際、講義=噺の稽古もつけてくれた。

ちょうど3年前。オッサン、モトイ、師匠に、塾を辞めさせてもらいたい旨と、落語を再開することを話しに行ったときのこと。師匠、「そうか……オレもやりたい落語があるんだよな」と云った。師匠のことだから、古典ではないだろう。自らの創作に違いない。「じゃ、それ、こんどぜひ、聴かせてください!」と、頼んだのだけど……。

オッサン、モトイ、師匠は、この震災の2年前、なにをどう予知したのか、こともあろうに「あの世」へ事前に避難しちゃって……。


「師匠の落語」は、とうとう、聴けなかった。

ワタクシに影響をくださった、数々の師匠に……献杯!

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2011年10月19日 (水)

ちゃん平さん、ご馳走様です!

ちゃん平さん、ご馳走様です!
去る10月16日は、いさん師匠がお席亭の、第3回「らくごのくに」。

当初の企画では、ワタクシが、某・大ネタを披露、ゲストに茨城のちゃん平さん……の、予定だった。

ところがその、ちゃん平さんが、三代目日本一に輝いちゃった!

これは、ワタクシはもとより、お席亭のいさん師匠にも“想定外”の大惨……、いやいや、大慶事! まさかまさか「日本一(すなわち世界一)」が、ここフクシマに!

直ちに模様替え。
「池田」の報告会になりました。それでワリを喰った(?)のが、米沢の小道さん……。でも、ちゃんと、着物持って来てくれてました。あぁ、よかった!

根多帳

 いさん「天狗裁き」
 小道「新聞記事」
 松太郎「裕次郎物語」
 とんぼ「カラオケ病院」
 ちゃん平「学校へ行こう」
     「上野の釣り」
 (二席)

大入叶!

12時ちょっと前に会場に到着したら、独り荷物を運んでる、いさん師匠。「お早ようございま〜す、あとは?」「これでラストなんだ……」
もう一本、早いバスで来るべきでした……。

開演13時半。
会場の支度をとりあえず二人で済ませて、午後1時……。誰も来ない。お客さまはさておき、演者もワタクシといさん師二人だけ。おいおい、大丈夫?

1階でオムスビふたつ買ってきて、腹拵えが済んだ瞬間「こんちわぁ〜!」と、ちゃん平さんの元気な声! あぁよかった! メインディッシュだけは(……ちゃん平さんゴメンナサイ)これで間違いなくなった!

13時15分。ようやくお客さまが一人、いらしてくださる。でも、二間の和室の仕切りを取っ払って座布団を並べた、いやに広〜く見えるその場所に、たった一人……「どうぞ、お好きにお座りください」と声をおかけしたものの……居辛いよね〜、あれは……。

でも、福島って、なんだかなぁ。
その場にいたたまれなくなったワタクシが、会場の外へ“誰か知ってる人のひとりでも来ないかなぁ”と、うろついていたわずか数分の間に(呼び込みする程の度胸がないのが情けないけど)どこからわいたのやら……モトイ! いらしてくださったやら「空席以外はすべて満席」しかも「ちょうどいいお客さまの詰まり具合」に、なってる(笑)。みんな、いったいどこから入ったの? しかも、見事にお約束の“フクシマ時間(笑)”で。

しかし、今日は、演りやすかった。なにせ、お名前こそ存じ上げないけれど、おそらく福島で一番笑ってくださる常連の、男性のお客さまが、最前列に陣取って、常の如く、豪快に笑ってくださったから。
AOZはいうまでもなく、テルサだろうが、中合だろうが、文化センターだろうが、音楽堂だろうが、いつも、いつでも最前列の席から、会場の雰囲気をリードする笑い声をくださる。

顔で笑うのは、愛想でもできるけど、楽屋がびっくりするほどの声を立てて笑うなんて……、ナルねぇさんとワタクシの専売特許かと思ってた……。


噺家は 笑い上手に 助けられ

福島はお客さまが固くて参ると聞くけど、なかなかどうして。

どう呼び掛けていいものか、迷うところだけど……、件のお客さま! いつもありがとうございます。

そして……「福島は固い」と愚痴る師匠へ。師匠がたの地道な活動は、ちゃんと実を結んでますよ! それに乗せていただいて、ワタクシなんぞは、随分とラクをさせていただいておりますです……。

ところで……。
われわれ池田の172分の1がいただいた「参加賞」のひとつが、こちらでは売ってない“きつね どん兵衛・関西バージョン”だったのは、以前にご報告したとおり。
ところが、ちゃん平さんの許に“1年分”届いたのは……「工場直送・関東バージョン」。

どこで外から見分けがつくか……、ちゃんとあるんですね! マーキングが。
そう、今日の写真。ここが「E」なら、黒っぽい関東の甘辛い汁、「W」だと、関東人が“おろ? スープさ入れ忘れたべか?”と誤解しがちな、色が薄いのに実は割とショッパイ関西風の汁。

日清食品、さすが、なかなか、したたか。水戸のちゃん平さんのところへ、ということは「常磐線の電車の室内灯が消えるあの辺りの工場(あそこを通ったことがある人はきっと判る……煙突が「カップなんたら」になってる)」から、直送したようだから。


それを聞いたら、日が志さんがわざわざドンキに立ち寄ったのも、むべなるかな、と。一年分もらっても、我々には「Wの喜劇」は、来ないんだから……。

ともあれ、ちゃん平さん、ありがとうございます。噺は袖で、ゲラゲラ笑わせていただきましたし、じっくり3年(いや、20年か)掛けた「名人」ノウハウのエッセンス、もちろんその薫りをほんのちょっと嗅がせていただいただけですけど……勉強になりました。高座の噺からも、楽屋話からも、たくさんヒントをいただきました。
まぁ、今後それを活かせるかどうかは、こっちの力ですけど……。


ちゃん平さん、小道さん、そしてもちろん福島のみなさん……。一日たっぷり楽しめて、今後の希望を抱くことができたのは、皆さんのおかげ。ありがとうございます。

しかし、7年前に、タンドーのヒゲオヤジにホイホイついて来なかったら、今のこれは、なかったんだよね……。

オッサン……。改めて、ありがとう。献杯!

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2011年10月15日 (土)

暫くやめてた所為か馬鹿に美味い

暫くやめてた所為か馬鹿に美味い
ハーイ皆さん、お元気ですか? ドンヨリ雲がパッと晴れたら、吾妻山はアッという間に真っ赤っ赤。肌寒い中、芋煮でビールもいいけれど、七輪でモーモー秋刀魚の煙立てながら一杯。でも、もうすぐチラホラ雪の便りの季節。冬になればストーブで美味しい煮込み料理がいっぱい作れる。放っといても腐らないしね! 楽しみ、楽しみ!

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今週、仕事は割と暇だった。火曜日スタートから、今日土曜までの、毎日、定時。

そんな状況でこのブログ、何故更新停止に陥っていたか、と云うと……。

「断酒」してたんです。

身近に、酒断ちする人が結構いましてね……。

Cさんは、自らに気合いを入れるために……。MさんとKさんは、患って、ドクターストップ。

ワタクシは、この夏秋で痛風発作を2発。2回目の発作の最中に健康診断があって、問診の先生にオコらえた(苦笑)。

近ごろ、ものごとが思うように、はかが行かない。それで、日常最大の楽しみ、晩酌の量が増えはじめ、今まで日本酒3日で1升だったのが、2日で空いてしまうことがザラに……。

朝、出勤のために、4階から階段を降りるのだが、もちろん朝からは呑んでないのに、足がふらつく……。これは、いかん! このままで良いわけがない。

で、この火曜日から「断酒」に踏み切った。
問診の先生には「せめて、減らしなさい!」とオコらえたのだけど“減らす”なんて、そんなの、とてもムリ! 一旦呑みはじめたら、すっかり酔っ払うまで呑むか、酒がなくなるかしなきゃ、止まらないんだもん……。いっそ、断っちゃったほうが、余程ラクだ。

火曜日の時点で、一合ほど、酒はあった。でも、なんとか、それに手を付けないようにして……もちろん、夕方の買い出しで、買わないようにして。

晩酌の代わりに、酢の水割り「Sit down(「オスワリ」)」にして……。4日、保った。

やってみて、わかったこと……未だ「アル中」には、なってないぞ(予備軍にはちがいないけど)! 夜はちゃんと気持ち良く眠れたし、昼間、酒が欲しくて困ったり、手が震えて仕事が手につかないなんてことは皆無。むしろ、朝の目覚めはスッキリだし、階段の上り下りもふらつかないし、食べるものが不味かったりすることもなく。

よし。これから「ウイークデー」は禁酒しよう、と決意を新たにしつつ、今「この4日間の自分の努力にご褒美!」と云いながら……、このところちょいとやめてたせいか、ばかに美味い一献を傾けてる、やっぱ、どうしようもなくアル中予備軍のワタクシ……(苦笑)。

「願掛け」の断酒を1年から3年に延ばして、結局朝晩呑んじゃう小咄の人物と同じじゃん(笑)。

オトーさん……、やめろやめろと云われても、やめられないのは、「酒」ですなぁ!

しかし……呑んでなきゃ、書けないのかね、このブログ。表題を「二代目・Rチューンコラム」にしないとか!?

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2011年9月25日 (日)

23日は、墓参り

23日は、墓参り
恒例の、タンドーのオッサンのお墓、西会津・野沢の常泉寺さんへ。

先日の池田往復で、気が付いた。「あ、今なら、高速タダじゃん!」

1時間半で到着。速い、速い。

ただしねぇ……。ワタクシの愛車ミニカくん、貨物仕様の3速オートマゆえ、高速走行燃費がよろしくなく、街走りと変わらない……。お金の面だけみたら、普段の土湯経由の方が、かなりトクでした……(苦笑)。

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