詩? のようなもの

自分自身を元気付けるもの。そして、他の誰かをそうできたら、うれしいな。

2009年6月24日 (水)

いいコにしてたらいけないの?

いいコにしてたらいけないの?

いいコにしてたらいけないの?

いいコにしてると みんな
笑ってくれるんだよ


ボクはね ボクは

みんなが 笑ってるのが
大好きな だけなんだけど

いいコにしてたらいけないの?

いいコにしてたらいけないの?

だって だってさ

みんな 笑ってくれるのに

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2009年4月29日 (水)

Burst & Birth

…云っとくけど、まぁ、今回、無茶苦茶長いよ。不幸にも来ちゃったかた、どうせいい歳こいた酔っ払いオヤジの与太話、昔話。遠慮なくスルーしておくんなさい。

どうも我がブログ、最近、詩のようなものが多いな。旧作だったり、新作だったり、オリジナルあり替え歌ありと、全くとりとめがないけれど。
26年前に手に入れて、何くれと山盛り綴じ込んであるルーズリーフが今、手もとにある。当時、高校生だった私は、毎日のように詩を書いていた。クラスには馴染めず、部活(…生物部)ではイジられ、団地住まいだったから部屋で叫ぶわけにも行かず、今は馴染みの酒の味もいまだ知らず、ひたすらノートに思いをぶっつけていたらしい。でも、そんなものを、何故今でも後生大事に手もとに置いているかといえば……。そんな状況で書いたのにもかかわらず、絶望的な記述がほとんどないからだ。

クラスに馴染めなかったのは、仕方がないとあきらめ切っていたし、部活でイジられまくってキレたこともあるけれど、心底憎いやつをイジることはないだろうという、いじめられっ子特有の本能が働いたようで、極端にマイナスに傾かなくて済んだ(のだと、今になれば分析できる)。だから、ノートをめくり返して見れば、トータルすると、現状打破への憧れから出た、割と前向きなものが多い。

それからかれこれ四半世紀。振り返ってみれば、「エイヤッ!」と気合入れて、後先なんか考えずにやっちまったことに対しては悔いはない。でも、思っていたくせに実行しなかったことは、いまだにくよくよ「ああしておけばよかったなぁ」などと思い出しては、眠れなくなったりするのだ。

自分の所属している場所、それに馴染めない、というのは、その後もず〜っと続いた。自分から進んで飛び込んで行った学校や職場ですら、ことごとくそうなってしまい……。
大学を卒業できたのは、いまもって自身最大の不思議であるし、履歴書が一枚では書ききれなくなってしまったことにもなった。

嫌なことは、いつもある。でも、楽しいこと、熱中できることも、いつもあった。今もそう。
喉元過ぎれば熱さ忘るる。グッと一時の我慢。その我慢を延々続けられる人がいる。偉いな〜、凄いな〜と素直に感心する。でも、できないなら、別にそうすることなんかない(自分がそうだし)。耐えきれないほど嫌な思いを続けるなんて、馬鹿馬鹿しいし、もったいないから、早くそこから逃げ出すなり、きっぱりと距離をおく算段をした方がいい。
…と書いたところで、得意顔で他人に我慢を押しつけていた、過去の自分とその時の景色がありありと浮かぶ。嫌だね〜!

おやおや、まだ読んでくれてるんすか、ありがとうございます。さすがにこちらもちょいと疲れて(酔いが回って)きました。そろそろ本題です。とはいえこの先まだまだ長いです。眠かったらどうぞお休みください。

昨夜、若き頃の、とある作品を探して、件のルーズリーフを繰っていたら、25年経っていることに気が付いた。はてさて、それでは25年前の今日辺りは、オレは何を考えていたんだべ…と、前へ前へとめくって行くと……。
ドンピシャリ4月27日付で、我が作品の中で、大勢の人が関わってくれた、一番のお気に入りが! それが、表題の作品。
その頃の仲間で作り上げた一つの作品の中のワンピース、高校の学芸発表会(略称「学発」、普通ならいわゆる「文化祭」)で興行した「スライドアニメ」の主題歌にしてもらったもの。だから、自分だけのものではない。ずっと思い入れが強くて、パソコンで音楽をはじめた時に、いの一番にリメイクしたけれど、当時あったパソコン音楽作品発表の場に出すのは、一緒に作った仲間の許可をとってからにしたいという思いがあって、結局できず仕舞いになってしまった。
数年前に「初音ミク」という、歌ってくれるPCアプリケーションが発売されて、今は歌い手もずいぶん増えたらしい(哀しいことにうちのパソコンは対応してない……)。手に入れたらもちろん、いの一番に歌わせたい作品だけど…。でも、あの時歌ってくれた“たえちゃん”の許しを得ないかぎり、それはネットには流せないな。
ただ、昨日(お、気が付きゃ一昨日だ!)で、この作品、25THアニバーサリーだから、歌詞ぐらいは許してもらいましょう。

これができた時は、衝撃的だった。よく、作家や詩人、作曲家が「作品は天から降りてくる」と言うけれど、まさにそれ。校門を出た時、フレーズが、パッと詞と曲が同時に“降りて”来て、家に着くまでの15分で、大方完成してしまった。サビから来たりせずに、最初の歌い出しから、順を追って、しかも突然。こんな経験は残念ながら、それっきり、ない……。

Burst & Birth

1984.4.27 補6.21

Burst 弾ける

そして そこに残るものは

わだかまりのない
 素直な広がり


Birth 生まれる

今 小さな愛が

見つめあう ふたりの
 瞳に光った 涙から


Burst & Birth

爆発のエネルギーが

Burst & Birth

今 愛に変わる

Burst & Birth

古い殻 吹き飛ばして

新しい生命(いのち)が
 輝くよ


Burst 弾ける

押し付け固められていた
 なにかが

限りなく 彼方へと
 飛び散ってゆく


Birth 生まれる

ここに 大きな夢が

生き抜く者たちの
 生命の叫びから


Burst & Birth

爆発のエネルギーが

Burst & Birth

今 夢に変わる

Burst & Birth

豊かな希望 胸に抱いて

若い心が 旅発ってゆくよ

Burst & Birth

爆発のエネルギーが

Burst & Birth

今 愛に変わる

Burst & Birth

古い殻 吹き飛ばして

新しい生命が 翔くよ

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2009年4月23日 (木)

迷うのだ!

迷うのだ!

悩むのだ!

逃げてても 始まらない

迷うのだ!

悩むのだ!

しっかり受けとめて

前へ進むのだ!


お前は お前なんだ

それ以外の 何者でもない

それでいい それでいいんだから

お前のままで いいんだから


迷うのだ!

悩むのだ!

それが お前なんだから


そんなお前を

ちゃんと見てくれてる人がいる

だから 大丈夫だって!

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2009年4月13日 (月)

願いは 叶う

心に 強く 願ったことは

いつか きっと 叶う

忘れた頃かも知れないけれど

いつか きっと 叶う

でも 100%は叶わない

だけど それは しょうがない

恨みや 呪いが 叶わないように

その分 割引かれてるのだから

心に 強く 願ったことは

いつか きっと 叶う

それで 自分と 周りの皆が

幸せになれることなら

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2009年3月 7日 (土)

曲がり角

1985年、高校を出た年の四月に書いた詩だ。当時、何だか経験したことのない不安でいっぱいだったのだろう。
あれからもう二十ウン年過ぎたのだが、実をいうと、それから不安定な時期が度々あって(今も安定はしていないけれど…)、そのたびに思い出しては、当時のノートを開いて、自分を勇気付けたのである。ちと照れ臭いが、それをここに書き付けておこう。


「曲がり角」1985,4.2


自分のゆく手が

壁にさえぎられたように

見えなくなる時がある

まだ 道は続くはずなのに


それは 自分が

道の曲がり角へ来たから

曲がり角を曲がれば

また ゆく手がひらけてくる


そんないくつもの曲がり角を

曲がりながら歩いてゆく

希望を捨てちゃいけない

曲がり角へ来れば まだ
        みちは続く


ほんの気まぐれで

選んだ曲がり角の道が

続くのは幸せの花園か

それとも 不幸の砂漠だろうか


その道がたとえば

砂漠へ続く道でも

いちど曲がってしまったら もう

引き返すことはできない


それでも 悔やんじゃいけない

苦しさも ひとつの恵み

希望を捨てちゃいけない

曲がり角へ来れば まだ
        みちは続く


そんな いろいろな曲がり角を

曲がりながら歩いてゆく

最後まで希望を捨てちゃいけない

曲がり角へ来れば まだ
        みちは続く

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