住まい・インテリア

2008年8月 6日 (水)

冷房

うちにはエアコンがない。東京郊外のわが実家にもエアコンはない。福島にはエアコンのない家がまだちらほらあるが、郊外といえど東京都でエアコンの無い家は、今や天然記念物に値するかもしれない。
そもそも「日本の夏」は、東アジア、そして地球上でも有数の蒸し暑いものなのである。松尾芭蕉は江戸の熱帯夜が堪え難いがゆえに、奥の細道の旅に出た(のではないかと思われる…)。兼好法師は徒然草で「家は夏を旨とすべし(夏を基準にしてつくりなさい)」と云ったし、紫式部や清少納言は、そんな「風通しのいい屋敷」に住んでいたので、冬場は着物を十二枚も重ね着してしのいでいた。10円玉の裏の「平等院鳳凰堂」だって、襖や障子を総て外してしまえば、会津喜多方の「長床」と変わらない吹き曝しである。さらに云えば、かの「長床」だって、あれだけ冬の寒雪が厳しいところにもかかわらず、見事な吹き曝しなのである。
然るに、1980年頃から、日本の住居と公共交通は「エアコンありき」になってしまった。
住居について云えば、設計上ネックになる「水まわり」を狭い範囲に集中できる上、集合住宅に暮らしていると何かと気になる「上下左右の水音」をシャットアウトするのが容易になる。勢い、湿気抜きや風通しを二の次にした設計が罷り通り、しかも好評を博したわけだ。
日本で最初に窓の開かない通勤電車を入れたのは、北総線であった。当時は驚いたものだが、今ではJRの「走るンです」のおかげで、当たり前になった(最近のは少し開くようにしてあるが)。
列車に冷房がついていなかった頃は、窓の全開する車両がかなりあった。国鉄101,103,111,113,115系、キハ20系後期型などの通勤・近郊型、西武の旧501後期型〜101前期型、などなど。私が学生時代に、青春18きっぷで旅をしていた頃は、ローカル区間になると窓をスカっと全開して、おもむろにタバコをくゆらしつつ、車窓の風景を愛でたものである。これを楽しめない今の学生諸君が哀れだ。ただ、当時の列車のトイレは垂れ流しだったから、事前に進行方向前方にトイレが無いかのチェックを欠かせなかったが。
最近のマンション・アパートなどで、風通しを売り文句にうたうところも増えてきたが、風呂場、便所に台所の全てが窓に面しているのはほぼ皆無である。却ってエアコンが未だ「普通の家電品」でなかった頃、1970年代までに建てられた物件は、兼好法師の教えが生きている。だから、この資源高の中、集合住宅に住むなら、築年を経た、ボロい所に限る(笑)。
進化ばかりが進歩ではない。三歩あるいて二歩下がる、でも、トータルで一歩前進。
ご近所の炊事洗濯、廁、風呂などの水音、また、ほのかに石鹸の香などきこゆるもいとつきづきし。これでいいのだ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)