鉄道・バス
わが「趣味の根元」。
2021年10月 6日 (水)
2020年5月24日 (日)
時刻表 昭和39年9月号
東海道新幹線開業直前の時刻表。その復刻版である。コレが、いつまで眺めてても飽きない。
最初のうちは「当時はこんなに時間がかかったのか」「意外と列車の本数が少ないな」「夜行列車が沢山ある」などと、大まかなところを楽しんでいたのだが……
「鉄歴・半世紀」ともなると、それだけでは済まなくなる。「何だコレ?」という、ヘンな列車が目に留まり、それをトコトン追いかけてしまうのだ。一例をご紹介。
今、アタシが住んでいるのは、福島県福島市。いきおい、福島駅からまりが気になる。予め言っておくと、国鉄東北本線は仙台まで交流電化が完成していて、奥羽本線の板谷峠は直流電化。福島駅には基本的にSLはいない(構内入換用はあったかも)。列車はほとんどが、電気機関車が客車を牽くスタイル。電車は一部の急行と準急だけで、たった二往復の特急「ひばり」「つばさ」はディーゼルカー。ちなみに、以上の概略も、時刻表から読めてしまう(あ、電化方式の交直流別は、無理か)。
さて「ヘンな列車」は、コレ。
福島発 下り普通最終列車 仙台行き 21:37発 437D
何がヘンか、というと「福島発下り普通」で、これ一本だけがディーゼルカーなのだ。下り最終だけに、やけに目立つ。
そこで、上りのページを見る。
福島着21:24、738D。これが折り返して仙台行きになるのは、まず確実。しかし、この738D、なんと山形県新庄から、陸羽東線経由ではるばるやって来るのである!
いざ、陸羽東線のページへ。
15:37新庄発、738D。福島まで6時間弱の長旅。さて、今度は同じページの下り列車をチェック。
新庄着14:48、715D。これがまた、白石10:17発、というロングラン列車。さて……
白石8:38着の412D。これは、6:55に、支線の利府から出てくる。もうちょい!
たった一駅、岩切~利府を走る413D。おそらく、東仙台の車両基地から回送されて来るのだろう。
というわけで、朝、仙台を出た一本のディーゼル列車が、一日中懸命に走り回って、夜、仙台に帰ってくるらしいと判る(但し、あくまで時刻表からの推測。実際の運用では違っていたかもしれない)。
ほかにも、ヘンな列車、ヘンな駅をいくつか発見したので、暇を見て紹介したい。
2013年5月23日 (木)
クモハ73・600番台のヘンな顔
青梅鉄道公園に、初めて連れていってもらったのは、多分小学校に上がる前。1970年前後のことだと思う。
ウチは西武池袋線沿線。まだ国鉄武蔵野線は建設途上。だから、所沢・小平を廻って、開通したてだった拝島線に乗り換え、青梅へ向かったのだろう。
ワタクシには、鉄道公園に並んでいたSLたちよりも、青梅線を走る焦げ茶色の電車たちのインパクトが大きかった。
普段馴染んでいた西武線や東上線もオンボロ電車の牙城だったけど、はるかに派手に化粧直しされていた。
ところが青梅線の電車ときたら……公式名称“ブドウ色2号”を身にまとい、まだ盛んだった石灰石輸送の貨物列車と頻繁にすれ違うせいだろう、粉を吹いたようになっているのが混じっていたり。さらには、車内の建てつけの大部分は木造で、ぶ厚くニスで塗り立てられ、たまに輝く金属部分が眼に入れば、それは真鍮の、鈍い黄色みを帯びたもの。
あまりの異世界ぶりに驚いて両親に云うと「昔はみんな、こうだったんだよ」と、シレっとのたまう。
それから十年余り、ワタクシは、機会があれば、現役で矍鑠と活躍している電車たちをひたすら慕い、追いかけた。先日の記事に載せた画像も、元の写真はその頃に撮ったものだ。
で……「クモハ73・600番台」。
不思議なデザインをしたものだ。
しかし、ワタクシ思うに、当時の技術水準の枠内で(特にガラスの製造技術の制約で)、運転士の安全と快適を加味し、しかもコストが安くつき、見てくれもそこそこ斬新な、なかなかのデザインなんじゃないかな〜と、思われるのですよ。
あのユーモラスな顔のクモハ73を追いかけて、青梅線、南武線、鶴見線、はたまた今ライトレールに転換した富山港線も訪れたっけなぁ。
実車の写真が出てきました。
1980年11月3日、鶴見線・浅野駅ホームにて、海芝浦行きです。
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2013年5月17日 (金)
快速 飯能発元町中華街行き
東急の五島vs西武の堤。
「強盗慶太にピストル堤」なんて対句があったくらいで、何かと対立し、張り合っていた間柄である。
この3月。
地下鉄・副都心線を間に挟んで、かつてのライバル会社の電車の相互乗り入れが始まった。
もし福島へ来ていなかったら、ワタクシおそらく、運行が始まった最初の休みに直通電車に飛び乗って、親友、S・Kくんを訪ね、六角橋で呑んだくれていたに違いない。
ところで……
東急ってスゴいな、と思うところが、ひとつある。
他の鉄道会社がやらないことを、ここは3度も敢行した。それは……
長年に亘って育て上げた「始発駅」を、完璧なまでに捨てたこと。
現在日本に存在する鉄道で、これを為し遂げたのは、ワタクシの思うところ、「汽笛一声」の新橋から、先頃復元成った東京駅にターミナルを移した、当時の鉄道院以来だ。
東急は、およそ10年前、横浜(そしてそれ以南の桜木町までも)、目黒、という、大きなターミナルを、電車の運行形態から見るならば、単なる通過駅にしてしまった。そして今春「シブヤ」も、そうなった。
回路を縦横無尽につなぎあわせて、便利なシステムが構築されるのは、素晴らしいことだ。
でも「終着点」が「通過点」になってしまったときから、その場所が、かつての風格を失って、衰退へと転落してゆくことがある……。
線路の末端に立てられている四菱マークは、都心部においては、その街の繁盛をもたらす「四つ葉のクローバー」なのかもしれない。
地上に大きな面積が必要で、当然それに伴う経費もかかるであろう「終着駅」。ぼんやり列車に乗っていたら、いつの間にか過ぎてしまうところとは、やっぱり、わけがちがう。
建設時の経緯や路線の経路、そして、駅を取り巻く地形の絡みもあるのだろうが、西武線と東上線の池袋、京王線の新宿は、乗り入れ先の地下鉄が自社ターミナルを通るけれども「終着駅」「始発駅」の形を残している。それだけに、東急のスクラップ&ビルドは大胆に見えるが……。
都心と郊外の連絡から始まった東京の私鉄のうちで、最も早く「都市内電車」になったのが、東急の各路線だから、こういう一面エキセントリックなことができるのかもしれないな。
以下、お遊び。
小竹向原で、青い「快速札」は、赤い「急行札」に取り替えます(笑)。
地下に入る時は、前面窓は閉めます(笑)。
一応、両方とも「貫通扉付き」のものを選んでみたんだけど、よく考えると1411なんか半鋼製だから、地下鉄に入れちゃいけない(苦笑)。それに、こんな連中が混っていたら、ドアの位置がマチマチだ。ホームドアが作れないぞ。
ちなみに、もとの写真を撮影したのは、1980年頃。
33年前の西武池袋線、東急目蒲線(現・目黒線)には、こんな電車が走っていたのです。
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2012年3月 4日 (日)
たぶん、ラストチャンス
清瀬から準急・新木場行きで、福島へ帰るバス乗り場に近い有楽町まで行こうと思っていたら……。
練馬で向こう側のホームに、コイツが!(309F)。
恐らく、池袋線で101系は、ワタクシにはラストチャンスでしょう。
予定変更して、池袋の地上、1番線に到着。
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2011年5月13日 (金)
スタジオジブリ・レイアウト展
好評につき、震災での閉館期間が延長になった、らしい。
ワタクシ、余り大きな声では云えないが、その余禄を頂戴することになる。
そこで、福島県立美術館・スタジオジブリ・レイアウト展を観に行こうと計画中の皆様へ、お願いです。
なるべくクルマで来ないでくださいm(__)m。県立美術館の駐車場は、ちょびっとしかありません! まだ図書館が休んでいるだけ、ずいぶんマシですが。
電車の駅も、バス停も、近くにあります。それで来たほうが、駐車場待ちより、余程時間がかかりませんよ。下手すると、クルマを停める場所より、駅やバス停のほうが近い場合も少なからず……。
ワタクシが福島に移ってきた最初の年、県立美術館で「スターウォーズ展」を開催してた。
夏休みに、弟夫妻がこちらへ遊びにくるというので、どこを案内しようか……ったって、未だ福島の右も左もわからない頃。とりあえず「スターウォーズ」へ行くことにしたけれど……直にクルマで行こう、なんて無謀なことはやりたくない。
結果、実行したのは……
①岡部の自宅から、クルマで飯坂温泉へ向かい、パルセ飯坂に駐車して、鯖湖湯で朝湯を満喫する。
②飯坂電車で美術館へ。スターウォーズはもちろん、常設展もじっくり鑑賞。
③美術館を出て、信夫山をハイキング。たっぷり汗をかきまくる。
④飯坂電車で飯坂へ戻り、パルセに近い八幡湯で汗を流してサッパリ!
⑤帰り道「いちい」に立ち寄り、飲み物とご馳走を買い出しして、家呑み。
自家用車なんて万能の移動手段じゃない、ってのは、記憶に新しいじゃないですか……。福島市が、この規模の地方都市として「公共交通インフラ」に恵まれていることに、皆さん気が付いてほしいなぁ。
もっと電車とバスを使いましょうよ。
「トトロの故郷」出身のワタクシからの、提案でした。
って……あ、そうか!
「ももりんバス」を、一台「猫バス」仕様にすればよかったか……! う〜ん、相変わらず、後知恵だなぁ……
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2011年5月 8日 (日)
明治の鉄道
明治時代「鉄道」は、先端ハイテク技術のカタマリだった。
ワタクシが生まれるおよそ100年前の明治5(1968)年「♪汽笛一声、新橋を〜」と走り始めた陸蒸気。それから40年後の明治末には、日本全国に鉄道網が発達。しかもその初期には全く未知だった“電気”という新たなエネルギーで走る“電車”の路線が生まれ始めている。
それだけではない。機関車の性能や土木・車両製造技術も大幅に進歩した。客車や貨車は飛躍的に大きくなり、スピードも大幅に向上。そして、ローカル私鉄が雨後の筍のごとく発生してくる。
この時代の何がすごいか、といえば、幹線の「スクラップ・アンド・ビルド」だ。土木技術が未熟なゆえにできなかった長大トンネル、長大橋梁が建設できるようになった。それで「輸送の隘路」が解決されるとなると……未だできてから20年未満のところでも、旧い設備は惜し気もなく廃棄されていった。
もちろん、現代とは、世の中のシステムが違うから、単純に応用できないだろうけど……。
でもこの40数年。日本人は何をして来たかしら。
もともと変化が激しい土地柄だから「好奇心」豊かで「既得権がいかに虚しいか」を知っているはずなのにね。
明治の終わり頃、わが福島に「軽便鉄道」が開通した。それ以前「鉄道」には、色々な風評があった。やれ、陸蒸気の煙で公害が出るだの、輸送体系の変化で街が寂れるだの……。
それはある面、当たっていた。確かに輸送の“既得権”は、雲散霧消した……。
「それじゃあ、わがの村にも鉄道を」と、軍隊の助けを借りて引いたまではよかったけど……、機関車の煙突から吐き出された火の粉で、一面が大火に見舞われた……。それで、福島の「軽便」は、かなり早く電化が成った。
ワタクシが幼い頃好きだった「きかんしゃ・やえもん」の絵本のエピソードは、この事件をもとにしてるとかしてないとか。
大地震発生後、福島市民を勇気付けてくれたのは、この軽便の流れを汲む“飯坂電車”のいち早い復旧と、福島交通バスの奮闘だった。
世の中、何が幸いするか、わからない。あざなえる縄の如し、塞王が馬だね。
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2011年4月26日 (火)
14時46分
写真は一昨年の晩夏、女川を訪れた時に撮った、女川町営温泉施設「ゆぽっぽ」。
その後ろに見えるのが、女川町役場。
ここの風呂に入ったことは、このブログに書き残した。盲腸線の終着駅、乗ってきた同じ車両に戻って出発するまでの限られた時間内に、見るべきものは、事前のリサーチをろくにしなかったから、思い浮べられなかった。
そんな“乗りつぶし”のためだけに来る“鉄”のために、ここ「ゆぽっぽ」の風呂場には3色信号が灯されていて、次の列車の発車時刻によって、それが「青」→「黄」→「赤」と変えられる、という、粋な計らいに感心したものだ。
先日、ネットを色々見ていたら、女川の町の惨状の写真があった。ディーゼルカー2両が、線路のあった場所から山の方へ押し流されてひっくり返っている。
そして、JR東日本のホームページには、女川駅の現況の写真が載せられていた。
レトロで風情のあった木造駅舎は跡形もない。わずかに面影を留めるのは、駅舎の基礎のタタキのコンクリートと、プラットホームと、屋根だけ……。そして、ホームと屋根の残骸のすぐ隣に写っていたのは、今回の写真のバックにある、町役場……。
そこには、ワタクシが一時を過ごした「ゆぽっぽ」の姿は……、影もなかった。
その時のワタクシの行動を思い出すべく、石巻線のダイヤを検索してみた……。
ワタクシが女川に到着したのは、14時45分。出発が15時30分。
もしも、この3月11日に、一昨年の夏と同じ列車に乗っていたら……。
女川着とほぼ同時に、大地震襲来。当然列車は運転見合わせ。
そういう目に遭遇したら、ワタクシどうしていただろう。津波を避けて、生き延びることができただろうか……。
たった一時間足らず過ごしただけだけれど……、足を踏み入れて、「ゆぽっぽ」に入ったり、そこに入るためにうろうろ歩いて、なけなしのお金を引き出したりした街。
駅の改札を出た駅舎の階段の、何段目かが、青く塗られていた。そこは、昭和三陸津波がここまでやってきたというモニュメントだった。
たった一時間弱足を踏み入れただけの街だけど……。他人事には、思えない。
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2011年3月30日 (水)
バスにノルカ
ガソリンが、クルマ一日分、バイク一日分になった……ので、今日は“バス通”。
休日ダイヤなので、いささか不便だけど。
家の前からのバスは大混雑。おまけに少々渋滞していて、駅到着が遅れた。乗り継ぎ便の時刻ギリギリ! 東西自由地下通路を走って地上へ出たら……。そこへ職場方面行きバスが! 間一髪セーフ!
さて、わが職場前を通るバス“自由乗降区間”になっていて、職場の真前で乗り降りできるのだが、敢えてワタクシ、この写真の停留所で乗り降りすることにしている。
だって……30円、高くなっちゃうんだもの!
まぁ、最近、あんまり歩いてないから、ちょうどいいかもね。
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2011年2月26日 (土)
霊山町・掛田駅
今日は「霊山古典落語を楽しむ会」で、霊山町掛田へ。
掛田は、福島へ来たばかりの頃、訪れたことがある。福島の路面電車“飯坂東線”の跡を追って。
書物で駅舎が残っているのは知っていたけれど、実際に往時そのままのたたずまいのこの掛田駅が見えたとき「おぉ! 駅だ!」と思わず叫んでしまったものだ。
小ぢんまりしていて、お世辞にも綺麗とはいえないけれど、地方私鉄の終着駅にふさわしいその姿。併用軌道の終点らしく、道路に向かって斜めに建てられているところも愛おしい。これが、廃屋ではなく、バスの待合室、乗務員の休憩所として現役なのがうれしい。
今日改めて訪ねたが、そこは相変わらず「駅」だった。今はバスのターミナルなのだけど、バス停の名前も未だに「掛田“駅前”」。“綺麗ではない”と書いたけれど、それは寄る年波のせい。保原方面からのバスで来れば、ここが今でも霊山の玄関口。掃除は行き届いている様子。
せっかくだから「霊山こどもの国」に保存されている電車を、ここまで戻してやって、駅舎とともに記念館みたいにすればいいのにね。「廃鉄好き」にはたまらないスポットになるだろうなぁ。
さて、落語会。「古典落語を楽しむ会」というだけあって、誠に失礼ながら、お客さまの質(たち)がとても好い。落語をよくわかってくださっていて、しかもツウぶらず、笑いどころでワッと盛り上げてくださる。上がりがいの大いにあった高座でした。ありがとう存じます!
根多帳
ツイ輝「田能久」
とんぼ「味噌蔵」
笑 遊「短命」
いさん「くしゃみ講釈」
大入叶
さぁ、明日からは、次に向けての根多仕込み、根多仕込み……っと!
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