クモハ73・600番台のヘンな顔
青梅鉄道公園に、初めて連れていってもらったのは、多分小学校に上がる前。1970年前後のことだと思う。
ウチは西武池袋線沿線。まだ国鉄武蔵野線は建設途上。だから、所沢・小平を廻って、開通したてだった拝島線に乗り換え、青梅へ向かったのだろう。
ワタクシには、鉄道公園に並んでいたSLたちよりも、青梅線を走る焦げ茶色の電車たちのインパクトが大きかった。
普段馴染んでいた西武線や東上線もオンボロ電車の牙城だったけど、はるかに派手に化粧直しされていた。
ところが青梅線の電車ときたら……公式名称“ブドウ色2号”を身にまとい、まだ盛んだった石灰石輸送の貨物列車と頻繁にすれ違うせいだろう、粉を吹いたようになっているのが混じっていたり。さらには、車内の建てつけの大部分は木造で、ぶ厚くニスで塗り立てられ、たまに輝く金属部分が眼に入れば、それは真鍮の、鈍い黄色みを帯びたもの。
あまりの異世界ぶりに驚いて両親に云うと「昔はみんな、こうだったんだよ」と、シレっとのたまう。
それから十年余り、ワタクシは、機会があれば、現役で矍鑠と活躍している電車たちをひたすら慕い、追いかけた。先日の記事に載せた画像も、元の写真はその頃に撮ったものだ。
で……「クモハ73・600番台」。
不思議なデザインをしたものだ。
しかし、ワタクシ思うに、当時の技術水準の枠内で(特にガラスの製造技術の制約で)、運転士の安全と快適を加味し、しかもコストが安くつき、見てくれもそこそこ斬新な、なかなかのデザインなんじゃないかな〜と、思われるのですよ。
あのユーモラスな顔のクモハ73を追いかけて、青梅線、南武線、鶴見線、はたまた今ライトレールに転換した富山港線も訪れたっけなぁ。
実車の写真が出てきました。
1980年11月3日、鶴見線・浅野駅ホームにて、海芝浦行きです。
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